2011年11月17日木曜日

比べない生き方 望めど欲せず、こだわらない。生き方




人生がつらい それは 他人 や なにか と比べて生きているからです。

理想的には、欲を失くすこと、因われをなくすこと それはとても難しい。

それではどうしようかという本でした。

失敗を人のせいにすれば気持ちは楽になります。しかし、そういう人はイヤな人です。

嫌な人からは人が逃げていきます。そうするともっと苦しくなってしまいます。

それを払拭しようと逆転を狙い失敗し自信がなくなり、今度は自分で自分を責めるようになります。

この他責と自責のループで精神を壊して仕舞います。

ひとは社会のなかでいきていかざるえない生き物です。社会で居場所がないと苦しくてたまらない。

求めて求めて得られない苦しみで死ぬことすら考えてしまう。

そのなかで、全ては自分に与えられた課題なのではないかと考えたそうです。

そして、すべて比べることを止めたそうです。自分自身と比べることも他人と比べることも。


仮にタバコを禁煙しようと決めたとします。 おとといはできたけれど、昨日は吸ってしまった。おれは駄目だと思うのではなくて、 禁煙とは一生するものだから、今日はできた、明日はできないかもしれないが、一生禁煙する努力を続けると 心に決めたそうです。 一生諦めなければ実現できるという言葉を実地されている方、これが諦めなければ実現できることの本質なのだと感動しました。

一度や二度の失敗でイヤになって諦めるのではなく、一生涯かけてやり遂げる覚悟。
すごい考えかたの転換だと思います。オールオアナッシングでは失敗した際、放り投げて仕舞いがちです。一生涯やるならば、放り投げることはしない。


欲を捨てることはできませんが、それに振り回されることは出来る限り減らさなくてはなりません。

欲をもった自分自身を受け入れ認めてやること。欲を捨て去ることはできませんが、

それに向かっている姿勢こそが欲を捨て去る行為だと言います。


比べることは、物足りないということを意識させます。 でも、企業で働く自分たちは、比べないで生きていくことはとても難しいことです。

その矛盾を解決したのは、孔子の修養して徳をつみ、この世を押さえていく考えかたと 老子の無為自然 ありのままでいる という考えかたです。

うまくいっているときは、修養する論語的考えかたで自らを高める、うまく行かないときは老荘思想で、足るを知る。

そのふたつを使い分けるそうです。

それと「望めど欲せず、こだわらず」 

目標や志は孔子的思想で高く掲げる。 そしてその理想に向かって頑張る。しかし、結果については老荘思想でこだわらない。うまくいっても喜ばず、失敗しても落ち込まず。

目標のために最大限努力する、それでも結果にはこだわらない。 すごい考えかただと思います。


志と欲の違いとは 志は ある方向に目指す信念だから、手にはいるかどうかは関係ない。
欲は、手に入ったら嬉しい、手に入らなかったら哀しいというもので、一喜一憂するものだということです。

望むが、欲せず、結果にはこだわらない。 これならば、現実的な比べない生き方ができると説いてます。

新書で、タイトルからして、あまり期待はしていない本でしたが、だれにでも適用できるひとつの人生哲学を創りだしてしまってます。

この本は本当に読めてよかったです。

はだかの自分を見せられる人ほどカッコイイ。

塩野七生処女作 ルネサンスの女たち



塩野七生の処女作。 1969年に発行されているので、塩野七生32歳のときの作品。

処女作からして面白い。すごい。歴史物であり、それもイタリアルネサンスの芸術側ではなく

政治側を舞台にした歴史小説を書いた第一人者。

この人の本は、登場人物になり切らず、著者の天からの視点で書くが、

20世紀から振り返っているのではなく、同じルネサンスのイタリアにいる感覚にさせてくれる。

ボルジア家の一員になった気持ちにはしないが、

当時の外交官になった気分にさせてくれる。これが心地良い。


当時のイタリアの外交官というのがどういうのかも、塩野七生はイメージを与えてくれる。

各地の宮廷の動きを追い、各地の大使館で働き、諜報活動をして、本国と連絡を取り合う人物。

塩野七生がイタリアルネサンス時代の外交官として、当時の世情を報告を読んでいる感覚。

処女作で、ほぼ塩野七生のスタイルは完成されていたことに感激した。


ルネサンスの女たちでは

一章 イザベッラ・デステ 1474-1539 フェラーラ公国の姫で、マントヴァ王妃になった女性がどう国を護り、美術と芸術を愛でるサロンを作ったか、その意義の説明と一生。

二章 ルクレツィア・ボルジア 1480-1519 ボルジア家 チェーザレ・ボルジアの妹、教皇アレクサンドル六世の娘として、ボルジア家に翻弄された人生。 兄が死んでからの平穏な人生に涙。

三章 カテリーナ・スフォルツァ 1463-1509 フォルリの女傑で、人質に取られた子供を殺すと脅されて、女性器を差しながらいくらでもここから産めると言い放った。またミラノのスフォルツァ家の説明も描いてくれる。

四章 カテリーナ・コルネール 1454-1510イタリア半島ではなくキプロス王国の王妃として生きたベネツィア人と王国が併合されるまで。ベネツィアの外交戦略も含めて。

塩野七生のルネサンス本は、チェーザレ・ボルジアを中心に幸運と力量の話が盛りだくさんだ!

日本の戦国時代なみの魅力あふれる世界を提示してくれた。


チェーザレ・ボルジアがヴァレンティーノ公がふびんすぎる

人たらしのブラック謝罪術 人たらしシリーズ第二作目




人たらしのブラック謝罪術

人たらしとは⇒相手を気分よく持ち上げる技術 相手に喜んでもらうサービス精神のことだ。

そうすると、こんな成果がもらえる。
「あいつはなかなかやるな。」「見所がある」「心に残るやつだ」

効果的な評価が得られる。人間関係にビクビクしなくなる。

そんな成果を求めるために技法を書いた本の第二弾

1章 相手の怒りを鎮める予防線の張り方

2章 困った状況を脱するための回避テクニック

3章 もっと人に好かれる為の仕事術

4章 クレーム処理でどうしても覚えておきたいポイント

5章 社内生活を楽しく 円滑にするために

6章 人間関係に悩まなくてもすむ 魔法の裏技

面白かったのはやられたらやり返す。 自分のミスを責めずに他の原因のせいにする。

反応をはやくして頭をよく見せる。わざとキレるふりをする。相手にカフェインを飲ます。

相手に貸しを作っておく。サービスはやりすぎるくらいやる。


ずいぶんと利己的な方法論を勧めている。

人たらしになるというのは自分の利益を最大限にあげるために相手の心をコントロールすることなので、

世間一般の倫理観とは別の価値観なのだな。

使用方法がとても難しいが、利用箇所さえきちんとしておけば、ちょっとしたトクになるやもしれない雑学本だった。


人たらしのブラック交渉術 第三弾

2011年11月6日日曜日

儲けるってなんて素晴らしい言葉なんだ! イケア創業者 カンプラート 貧窮国家スウェーデンが福祉国家になるまでとイケアの成長

H&Mなどと同じスウェーデン企業。(売上はドイツが最大) 
SPA業態 小売店が製造をもつ。 

この本は前半がスウェーデンの歴史とIKEAの成長の歴史を書く。後半がIKEAの成功した理由が書かれている。



白眉は前半。もっていた北欧スウェーデンのイメージを見事にぶっこわして最貧国とナチと戦後の工業化という歴史を感じさせてくれる。ドイツ人の書いた本なので、日本人からみた印象とはだいぶ違うところに焦点が当てられていて満足した本だった。

スウェーデンとは、 
19世紀の欧州最貧国 
アメリカに人口流出していた。 
この国は、国中がアルコール依存症患者で溢れてしまった。 
その中で、1910年代に社会主義政党が政権を握る。 
福祉政策を進める。またアルコール依存症追放運動も始まった。 
そして、50年代に社会主義の理想郷として名声をもつ。 
70年のオイルショックでダメになる。 
90年代にクローネ危機 
00年代に再度脚光 

政治的に平等が進められた流れで 
郊外都市の発達 
安価なものが発達 

そこで誰でも使える家具や洋服が求められ発達していった。 

スウェーデン人とは自分たちを、美を生み出すものだと思っていない。ただ、何もないところに流れてきた美を集めているうちに、それがローカル的なものではなくグローバル的な普遍性を帯びてしまったという。 

イケアの本だった。


スウェーデン郊外から出発 
パクリ上等精神。 東側のポーランドから家具の密輸。
スウェーデンイメージを大事にする 

家長制度、家族的経営をモットーとする。 

メディアのPRが上手い。 
俺はダメだ。不安だ。なぜ決断ができない。何千回として不安感に襲われる」創業者カンプラード。世界第六位の富豪にして世界一のケチの名声。自由と平等のイメージを持ちながら、ナチス賛美の極右出身。世界中のデザインを生みながらデザインを不要という。北欧イメージを持ちながら、タックスヘイブンを駆使する秘密裏の団体。面白い伝記だった。


http://cruel.org/economist/ikea.html ここにイケアの節税方式が書かれているが、内情は未だにわからないという。

2011年11月3日木曜日

死ぬことと見つけたり   花の慶次原作者 隆慶一郎著







隆慶一郎

「死ぬことと見つけたり」

種本として、佐賀藩の山本常朝「葉隠」

「花の慶次」の原作本を書いた隆慶一郎の本らしく、清々しい漢っぷりの主人公がでてきた。

男が憧れる漢を描く。読み途中で花の慶次みたいな奴だなと思ったりするのだが、

花の慶次よりも、佐賀藩浪人 斎藤杢之助は、もっと「生きながらにして死んでいる人」であって、

初代藩主鍋島勝茂たち 常世の権力とは別の公精神で生きている人っぽく書かれている。


それでも、浮世離れしているわけではなく、

マキャベリよろしく目的の為ならば暗殺も辞さず覚悟はあり、

武士として最高級の能力を持っている。そして、起こした事件への責任の取り方もふまえている。

決して自分の行動がどういった影響を及ぼすかわからない愚図ではなく、

広く見通し、最適の解の時躊躇せず自らを死地へ踏み出せる大人として描かれている。


その精神が「死ぬことと見つけたり」なのかなと自分自身は理解した。



主人公斎藤杢之助は、毎朝、自らを精神的に死人にすることで

藩祖鍋島直茂の時代のような武士として自分の力量と器量のみで生きてきた

侠気の精神を保っている漢として描かれる。その姿は武士として理想の姿なのだが、、、



関ヶ原の合戦後30数年たち太平の時代にはそれが不調和を呼ぶ。

そこが物語として勧善懲悪物にもしてくれて、読後感をすっきりもさせてくれる。

そして、この小説はラストのオチがすごい。葉隠の精神にぴったりの終わり方すぎて感動してしまった。

2011年10月25日火曜日

化物語(上) 大ヒット作品の一番最初のお話だ。






アニメ版化物語( ばけものがたり)を観てからだと小説版はほぼ同じで驚いた。
ぜんぜん改変されていない。
アニメは累計35万本のDVDを売り上げた深夜アニメの大傑作。
小説もいまだに続編が発売され、12月の恋物語で全12巻完結予定。

それまでに全部読み終えたいが。

化物語(上)に収録されている作品は、


化物、怪異に巻き込まれた高校3年生阿良々木暦と


ひたぎクラブ 同級生の戦場ヶ原ひたぎ

まよいマイマイ 迷子の小学5年生 八九寺真宵

するがモンキー 下級生の高校二年生 神原駿河

が各ヒロインの三作。

田舎の進学校と田舎町といった狭い空間を舞台として、

化物、怪異と遭遇してしまう阿良々木暦の高校3年生の春が舞台となってる。

すべての章で、ラストにどんでん返しとなるような事実が判明し、物語が解決していくカタルシスが

たまらない。

そして、それぞれに心理描写と怪異に襲われた理由付けもしてくれて、納得した形で読了できる。

読んでいて混乱したり共感できないような嫌なストレスを感じず、納得できる作品ばかりだった。

アニメ版はハイテンションで進んで、筋が追えなくなったりするが、

こちらは丁寧にきちんと筋を追って、神原駿河の悲しみや憎しみを共感しあいながら読めたので

アニメ版よりも心理描写はイイ。 戦闘シーンはアニメ版のほうが迫力はある。

2011年10月8日土曜日

人生即努力、努力即幸福 本多静六 私の財産告白




本多静六

金儲けは理屈ではなくて、実際である。
計画ではなくて、努力である。
予算でなくて、結果である。
その秘伝はとなると、
やっぱり根本的な心構えの問題となる。


金というのは重宝なものだ。
ところが、世の中には、往々間違った考えにとらわれて
この人生に最も大切なお金を
頭から否定してかかる手合いがある。


人生の最大幸福は職業の道楽化にある。
富も、名誉も、美衣美食も
職業道楽の愉快さには比すべくもない。



略歴は、
1868年埼玉県菖蒲町に生まれる。
11歳のとき、父を亡くし苦学して19歳に東京山林学校に入学。
25歳でドイツ留学し、帰国後東京帝国大学助教授に。
以後、日比谷公園の設計改良にあたり、秩父の山林で財を成すが、
60歳の停年後、財産を寄付。1952年に死去。


本多静六の財産の貯め方は単純だ。
月給の4分の1を貯金し、ボーナスなどの臨時収入は全て貯蓄に回す。
その間、生活レベルは一段下がり、吝嗇の陰口を叩かれても耐えぬく。
月末に子供が腹を空かせていても、感情に左右されず、貯蓄する理性をもって行動する。

なぜなら貧乏であることは、苦渋であり屈辱を味わうことが多い。
また精神の独立や生活の独立を果たすために貧乏であっては自立することすら覚束ない。
よって貧乏であることに安住せず、積極的に貧乏を討伐しなくてはならない。

人間、だれでも貧乏をするのだから、貧乏をするなら若い内にしてしまえ。
虚栄心が取り除かれていく。
倹約勤勉をモットーとし、毎日著述原稿1ページを仕上げることを自らに課す。

財産を作ること、それは一生耐えざる精進向上の気魄、努力奮闘の精神であって、
自らの生活習慣の中に十分染み込ませることにある。


貧乏であることを脱するために倹約をする。
それで幸福感を得られるのだろうか。
幸福感とは、現在の生活水準で決まるのではなく、自らの生活自体が上向きになっているのか
下向きつつあるのか、方向性によって決まる。倹約し、勤勉であることは方向を上向かせることに
なるので、より幸福になれる。

そして、生活をおくるには、理性をもって感情を制御することが求められる。
そして、その理性に他者への愛嬌という衣装を着せてやることで、他人との軋轢をさけることができる。なまじっか、理性だけで推し進めると喧嘩になる。人情をもって行動することが大事となる。

金は、大事だが、なにより大事なのか職業を道楽としてできるかどうかだ。
金自体は職業道楽の粕にすぎない。仕事を通じて、金という利益を得なくても、名誉を得ることもあり、社会的地位を得ることもある。利益というものは、金だけではなく複数の考えかたがある。
総合してプラスとなるかマイナスとなるかという風に考えよ。

職業の道楽化する唯一の方法とは、勉強をすること以外にない。
努力のうえに努力を積み重ねるしかない。
自分の仕事を天職を信じ、一心不乱に取り組み、迷わず疑わず努力をし続けることにより
早晩その仕事に面白みが生まれてくる。
面白みが生まれてくればそれは苦行ではなく、立派な道楽に変わってくる。

一生懸命やる。これが平々凡々の人間が唯一、自己を大成化させるための方法である。
「汝の上位は常に空席である」 本当に勉強し、本当に実力を養うものには必ず門戸は開かれている。努力の前に閉ざされる扉は存在しない。
自ら進んで卑屈に陥らないで、萎縮しないで、いつも「おれだって」という気概をもって努力を続けていきたい。




2011年10月1日土曜日

人たらしのブラック交渉術 利の為にはけっして感情的にならない。



カジュアル心理学本

交渉術について。

自己啓発とも違うし、教科書とも違う、ちょっとしたコネタがたくさん詰まっている心理学の雑学本。

テーマは交渉術について。

そもそも交渉術てなんだ?自分の希望する状況にどうやってお互いに満足いく形で持っていけるかの合意形成をはかる術のことだ。

そのためにどういった計算ずくの行動があるのだろうか、その裏技を公開している本。

自分の意見を通すためには事前調整の根回しがどれだけ必要か?計算ずくの行動はできているか?相手が求めているものを知り、自分が欲しているものは相手に悟られず、有利な条件を提示できるか。

相手を満足させてこその人たらし交渉術だ。
そのためには先読みし、元気な挨拶、相手のイメージに合わせた商品を提示する。

イメージを想起させるためには、比喩をどれだけ使えているかで決まってくる!
相手の知っているものに例えて具体的に説明ができるか
そうすれば、スポンジに水が染みこむように、人々の心に染み渡っていく。
つまらない比喩でもないよりマシという言葉はありがたい。比喩はたくさん使っていこう。そのうちうまくなる。

交渉術は、よりマキャベリ的に動くことを勧めている。

感情的にならず、利を求めて行動する。へりくだったときがよければへりくだるし、子供のおもちゃ売り場の前のように泣き崩れたほうがよければ、泣き崩れる。 こちらが褒めても否定し、そんなことないですよ。とでも言ったら、その謙虚さが素晴らしいと 再度褒め直す 図太さ.や機転を利かせて、他人を手のひらで転がすように行動する。接待はぜったいに効果的なので、できるかぎり使う。
喧嘩を吹っ掛けられたら、絶対に見くびられないように行動せよ。見くびられたら足元をみられてしまう。

要求を通すために様々なテクニックを知り、感情的にならず少しずつ練習していくことこそがプロへの近道なのだということを教えてくれる本だった。

2011年9月30日金曜日

インドのヒンドゥーとムスリム インドにちょっとだけ詳しくなるブックレット




インドのヒンドゥーとムスリムの宗教対立の歴史とは。

この山川出版社の世界史ブックレットは短いながらも知りたい情報がきちんと詰まっている。

世界史を勉強する人たちの副読本という本の性質なんだろうな。


インドにおけるイスラム教とヒンドゥー教の対立は、1947年パキスタンの分離独立という問題で、いまだに引きずられていうのだが、

この対立が起こったのは一体いつか?
がこのブックレットのテーマ



それは、19世紀後半、ムガル帝国が敗北し、イギリスが支配を確立していくときに、ナショナリズムと宗教が結びついてできたというのがこの本の主張

近世 13世紀、奴隷王朝からイスラム教徒が支配権を確立していく。

イスラムとヒンドゥーは日本の仏教と神道のように習合が行われていた。イスラム教徒なのに、カースト制があったりする。アラーの神とクリシュナ神が同化して表現されたりもする。

同化、習合が進み、またイスラム教徒にとっては宗教的な問題よりも統治するという現実的政治問題が重要だった。


近代にはいり、イギリスが支配を強めていく中、分断して統治せよの原則通り、 国民の宗教であるヒンドゥー教徒を優遇し、支配階層だったイスラム教徒を迫害をはじめる。

また、イスラム教徒のなかでもイギリス化していくものは取り込むようにしていく。

近代の雰囲気として、国民統治として合理化、きちんと分類する科学的手法が発展したのも大きい。

科学的手法として国民の宗教の分類も行われ、ふたつの宗教を信じることは古い事にもなった。


区別を明確にさせた。


その結果、分断された宗教は先鋭化していき、ナショナリズムの高揚と共に、懐古主義的になり、より宗教として純化していこうとして、言語もムスリムはウルドゥー語、ヒンドゥーはヒンディー語になった。

イスラムとヒンドゥーが共闘して戦った1857年のインド大反乱も失敗し、イギリスの強さが際立ち、国家を作る運動から、内省的な宗教運動に埋没するようになっていった。

イスラム教とヒンドゥー教の対立自体は19世紀後半 近代に入ってからのことだと。。。

現在の対立はとても深いが、その対立の根自体の歴史は長くない。

そこにこの問題を解決できる希望が見いだせるのではないだろうか 

そんな本だった。

2011年9月28日水曜日

僕の妹は漢字が読める 読了 日本語は危機に陥っているという想像させる話なのかも。


23世紀の小説内の作品の文章が酷いというので読んだ。


「おにいちゃんのあかちゃんうみたい」 2060年に発売された小説が大ヒットし、以後の日本現代文学では萌えが主流になった。


たった一冊の本により、日本社会はどんどんと萌えへ先鋭化していき、漢字を使わず、二次元の首相が統治する世界へとなっていった。 漢字は古語として、一部の古文学愛好者しか読めない文字になっている。


テーマは日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で http://yasu0312.blogspot.com/2011/07/blog-post_22.html


水村香苗が言っていた明治の文豪たちに連なる作家をだせなくなった日本人作家たちと近いのかも。




タイムトラベルを生み出せるスーパーな科学力を持っている社会でありながら、文学者は記号で文章を書くことに戻ってしまった社会。でも、23世紀になっても話し言葉は明治以降変わっていない。言文不一致運動が起こった世界だ。どんな情熱が再度言文不一致にさせたのか。日本国民全体の義妹への愛ゆえにか。。


話の筋道は知らぬ間にタイムトラベルものになり、義妹モノになり、実は過去に行った時に成したことが未来を決定づけたという話になる。


文学の正統派とは、主流派とは、言葉の質で決まる部分よりも時の流れが決めているだけじゃないのか?というのがメインで言いたいことだと感じた。



2011年9月26日月曜日

僕は友達が少ない 二巻




はがない 二巻


ブリキ絵は、身体を濃淡使ってテカらせて描いてくれるから肉感的だなあ。
頬だけじゃなくて、膝頭もテカらせるのは手が込んでる。

僕は友達が少ない 2巻 日本人の父と 亡くなったイギリス人の母の子供で

日英ハーフである主人公の男羽瀬川小鷹

が残念な美少女たちに囲まれて巻き込まれてニヤニヤする話。

2chマトメサイトを紙で読んでいるようなインターネットネタが満載なのでクスリと笑えて

すげー早く読める。 こんな友達欲しいなあ、欲しかったなあと ちょっとだけ思うが

美少女たちがなぜか残念すぎる。 残念とは邪気眼厨二な妹だったりエア友達と会話したりする黒髪に、エロゲーおたな金髪だったり、なぜか男だったり、シスター幼女だったり、メカ同人が好きだったりする理系少女だったり・・・

主人公に惚れてくれるハーレムエンドに向かってくるのかなあ。

2011年9月18日日曜日

ヨーカ堂 good day 雑感

http://wpb.shueisha.co.jp/2011/09/15/6946/

グッディgood day 地元のヨーカ堂で初めてみた。

売れるんだろうか?厳しいだろうなあ。


ユニクロみたい に、ベーシックベーシックしている。
ベーシック市場が一番戦えると踏んだんだろう。

売り場を巡った雑感

ニットやカットソーのテーブル陳列しているが、そこの商品の畳みが適当すぎる。。。
カットソーならプリントの向きが揃うようにはしないと厳しいだろうよ。
お客さんが売り場に感動しなければ、残念ながら手にもとってもらえないよ。


売っている商品は

流行りのアメカジ、チェックシャツやダウンジャケット
SPAなので商品自体はテイストがすべて似ていて、クオリティも悪くないように思う。
だが商品品数が少なくて、本当にコーディネートを作れるのかちょっとばかり疑問に思ってしまった。


Sのサイズ欠けが大量。
洋服売り場に販売員、一人は置こうよ。
商品は、ユニクロみたいに悪くはないのだから。

売り場の魅せ方のルールができていない。

売り場では、同じチェックシャツの色違いが大量に陳列してるだけ。
まるで同じお菓子を山積みにしてタワーをつくり、圧倒させて買わせる感じ。

食料品売り場の乾物やお菓子コーナーではないのに。
洋服はよく生鮮食品に例えられるものなのに。


販売員も置かず、大量に同一商品を並べているだけで
手抜きされている売り場に感じる。


コーディネート提案がまったくないので、面白くない。
ユニクロを着ててばれてもいいのは、パンツというが、
good dayにはほとんどパンツ売ってねえ。

これは売れね~んじゃないだろうか。。。

ヨーカ堂のお店の入り口にgood dayのマネキンがあり、

売り場自体もエスカレーター登って二階すぐの好立地なのだが。


価格でも、色違いでも、陳列でも、
接客でも勝てていないグットデイは
いったいユニクロに勝てるのだろうか?

傷物語 キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード

100%の純正ライトノベルと言っていいのかわからないが、

少年少女を主人公にした恋愛SF怪奇物語で、

尚且つアニメ化されてTVアニメDVD市場で最も売れたDVDパッケージソフトの原作本

現役作家作品で 一番ブランドがあるライトノベル 「物語シリーズ」の第ゼロ話 傷物語



吸血鬼 キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード と

高校3年生の春休みを過ごす主人公阿良々木暦のお話。


喋っているみたいに物語が進む。韻をふんだり、繰り返しを多用したりして、リズム感がすごい。

オチは普通なのに、そこまで持っていく描写が半端ない。 高校3年生の春休みであることを

p14 春休みなので、自分の所属する学年を二年生というべきか三年生というべきなのか、正直なところ微妙なのだけれど、

から始まって、ところどころ春休みの所在無さを表現してくれる。

時間軸のどこにいるのか物凄く丁寧に描いてくれるので、迷子にならない。

p214  否定はしない!否定はしないよ!? それを否定することは~ あくまで 否定はしないよ!?

だけどさ、だけどさあ


西尾維新は心地良くなるリズム感があって、本当に楽しい本だった。


2012年に劇場版アニメ化予定。







劇場版傷物語トレーラー

http://www.kizumonogatari-movie.com/#



2011年9月16日金曜日

考えない練習 座禅の薦め




思考病を取り上げてる。

心が勝手に動いて物事を考えさせ続ける現代人の病について。

考え続けることによって、思考のなかに入り込みすぎて、外の世界(五感)を忘れてしまうことになる恐ろしさを説いている。

思考世界は無限に広がっているため、満たされることができない地獄だと考える。

よってその地獄をさけ、心の安寧をどう保つか?

その説いに対して、どうしたらを答えている本。


ひとつの方法として、自分の行動していることに意識を向けること。喋っているなら、唇と喉に。
触っているなら指先に神経を集中させることで、考えるよりも感じるようになる。


もうひとつの方法は、浮かび上がってくる感情、仮にムカつくことがあったら、「「ムカつく」」というように自分自身の感情を第三者的にみて自分自身から引き離すこと


そう考えると座禅を組むということは理に叶っている。

座禅を組む時、なにも考えるな、意識をぽんと放り出させられる気持ちにさせられる。

座禅には刺激が同じものしか来ないので、考えすぎていたら本当にヘトヘトになってしまうのだ。
なのであまり考えないようになる。

と同時にやることがないので、外の音や足の痺れなど、自分の身近なものや肉体に対してすごく集中するようになる。

座禅を組み終わると、どっという疲労感と同時に、自分が新しく新鮮な存在になった気持ちにもなる。


「考えない練習」は、たぶん座禅で得られるという感想を持った。

考えなくても思考はどんどんと浮かび上がってくる。それは嵐として、()に追いやり

すぎるのをやり過ごすしかないのだろう。

山川出版社 ヨーロッパの傭兵 世界史リブレット  




山川出版社 世界史リブレット

えらくニッチな分野を取り上げてくれるたった90ページのリブレット(小冊子)

17世紀ヨーロッパの傭兵たちはいったいどんな存在だったのか、

いまのイメージの荒くれ者たちといったのとは違う像を浮かび上がってくる。

職業として手職としての傭兵たちは、社会階層は貧しい層がメインだが、

普通の若い人間が2,3年の期間限定で勤める仕事だったりもする。

また傭兵としてあちこちの都市を回る為、旅をすることが少なかったであろう昔の人々にとっては

新しい発見や違う職業につくチャンスだったのかもしれない。

そして近代に整備される常備軍へどう変遷していったかを数字を用いて示してくれる。


たった100ページにも満たない小冊子だが、さっくり読めてほんとう面白い。

戦史や政治史のような歴史の大きな流れとは違う社会生活史は

歴史をとても身近に感じさせてくれた。

このシリーズは120冊近くでているので、気が向いたら読みたいのだが、なかなか売っていないのが

ちょっと残念だ。。。

2011年8月16日火曜日

睡眠のための技術書 起床術


いい本だった。

睡眠をうまく取るためには、寝る時間にあるのではなく起床する時間を一定にすべし。

人によって寝る必要量も全然ちがう、歳を取ったら眠る時間は少なくていい。
ヘタに8時間睡眠にこだわる必要もないと。

眠れなかったり、起きれなかったりすることは多々あるので、この本は藁にすがる思いで読んだ。

ロングスリーパーやショートスリーパー。アルコール、カフェイン、夜のバカ食い、枕や布団、ストレス、パソコンテレビ、明かりと体内時計の関係など一般的な知識をひとまとめで読めて便利だった。

なにより

朝型の人間か夜型の人間かは、基本的に体内の温度で決まるので上手く付き合っていくしかないでしょう。

でも、社会的に朝型のほうが生きやすいので、起きれなくて困っていたら睡眠の質を上げて改善していきましょう。

ヘタに早起きすべしと煽らないで生活のことを実際に考えてくれる現実感覚がとても良かった。


起床に関しては、一足飛びには治らない。

社会生活、生活スタイルを身体に合わせられるのならそういう風にコントロールしたほうがいいかもとも言ってくれる。

そういう点がとても誠実だった。 これで治るとはこの本は謳わない。

前提に眠る時間は人それぞれ季節や年齢によって違うし、意識で変えられるものでもないと考えているので、 改善策は生活スタイルを睡眠時間の長さに合わせる方向になる。

眠るのに必要な時間は遺伝的に10時間必要な人間なら、

多くのことをやるのではなく、行動の一部を捨てることをしたほうがいいと薦めている。
テレビを10時以降みないとか仕事を変えるなど。

睡眠時間は肉体の活動なので、意識を調整するのでは変わらないと考えているのだ。

これはありがたい考えかただ。うまく起きれない人間は、起きれないことで人から責められる以上に

自分を責めたりする。

身体遺伝の話とすることで、うまくいかないことを責めるのを一旦止めることができる。

その間に肉体に合わせた生活スタイルを作って生きましょうと推奨してくれているのだ。



ねむりを誘発してくれる食べ物

レタス
玉ねぎ
いわし、牛乳、豆腐

眠るために身体を温めると、血行がよくなり熱が放射されやすくなり深部体温が下がり、眠れる。
http://www.terumo-taion.jp/health/interest/01.html
眠る時は深部体温を下げるため、

入眠儀式をする

朝着る服を枕元に用意する

ちょっとずつ睡眠について知識と実践ができて、気持ちが楽になった本だった。

2011年7月31日日曜日

短所を伸ばそう 性格分析ナビ 再読



懐かしい。

16の性格分類指標MBTIマイヤーズ・ブリッグス・タイプ指標)というユング心理学から派生した 性格分析を利用して人間の性格を当てはめようとする本


生まれながらにして性格はある程度決まってきているのだが、


決まりやすいのは 感覚的に五感で感じたものを重視するか


直観的に脳みそで感じたものを重視するのかの二通りに分けられるとしている。


性格の傾向を16通りに分類しておくのは、難しいだろうし上手くいくのかわからないが、


人間関係の悩みのなかにいるときになんでもいいから手がかりが欲しいという効用はできると思う。


数年前にチェックした項目に再び回答してみると変わった所もあるし、変わらない所もある。


MBTIやこういうカウンセリングは本で読んで質問に答えて分類されたところを読んで当たってる違っていると思うことは殆ど効果はなく、


その後のカウンセリングでどう思ったかを話しながら分析していくことに意味がある。

アラブの大富豪 アラビア社会の王族の歴史と国家








カタール国籍の人々の推定一人頭GDP14万ドルて!こりゃ確かにバルサは喜んで胸スポンサー契約するわ。


世界の一人あたり名目GDP(USドル)

アラブの王族たちがどうやって財を成し、いまそれをどう活用しているかが書かれた本。

アラブの国々の国家間での意識の違いが読めてとても面白い。

アラブといってイスラム教の印象で、ひとまとめで見てしまうのはとても勿体無いことだと、この本は教えてくれた。

サウジアラビア サウド家 メッカを手に入れた19世紀の新興国家 
その王子のひとり アルワリード王子

UAE 1971年イギリスの肝いりで作られた連邦国家
長兄 アブダビ 次兄 ドバイ
この二つの国家の関係性

石油マネーを元にUAEに組み込まれず独立の道を選んだカタールとバーレーン 

機を見るに敏なクウェート

ヨルダン ハシミテ王国 ムハンマドの末裔 アラブ最高の名門 でも貧しい。
イスラエルとアメリカ とヨルダンの関係性 名門だが金がないので、周旋するのに最適な国家


この地域に石油資源が与えてくれた恩恵というのはものすごい。

そのお金をつかって、20世紀は豪遊していたが、21世紀にはいってからは投資に回すようになった。

アラブの王族や国家間の関係性を知るのに最適な本だった。

2011年7月22日金曜日

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で  「普遍語」英語と「国語」日本語






日本語が亡びるとき 英語の世紀 二年前の小林秀雄賞。これが名著と言うやつか。英語に駆逐される世界主要文学のひとつ日本文学。
言文一致体は話し言葉と書き言葉を同じくしたものではない。夏目、二葉亭たち明治の翻訳者達が死ぬ思い出で作り上げた日本語で西洋語を読む為に刷新された文体。漢語を殺して作った言葉。今度は英語によって、その明治の言葉が死滅する。


文章を書くこと、書き残すためには、一番大事なのは読む人がいるかどうかだ。
知の図書館が、英語でできている以上、殆どの二重言語者たちは英語を読む。
英語(外国語)を読んだ物を日本語に直して日本語で書いた人々が明治期の翻訳者たちの文豪だった。
いまの知の探求する人たちは、英語で読んだことを、再度英語で書くことの魅力に抵抗できるのだろうか。
英語で書けば、読む人の数は全世界的に広がっている。
読んだあと、人間は書かざるえない。書かれたものはいくらか読まれる。また書かれる。
どんどんと大きく発展していく英語の知の図書館に、日本語の知の図書館は対抗できるのだろうか。


できないだろう。でも、できないなりに日本語を守るために、きちんとした日本語を教えていかなくてはならない。 
日本語は、明治期に古文と漢文を切り捨ててしまった。戦争後に常用漢字にしてしまい、旧仮名づかいを捨ててしまった。
読み言葉が違う以上、古典との接点がなくなった。それは日本語自体の豊穣さを失わせてしまう。


ふらんす 仏蘭西 フランス France  すべて同じ意味だが、 もっているイメージは違う。


ひらがなには、なよっとした女性的イメージがあり、 漢字には硬さ カタカナには強さ 
アルファベットには外的な雰囲気がある。 日本語は、音の数はとても少ないなか、言葉のかたちで
心情を表現してきた。 それが理解できる人間を作らなくてはならない。


それ自体が、いまの日本語話者に与えられた責任なのだ。 抗ってそれでも日本語が滅びるならば仕方ない。ただ手をこまねいてみている事はしてはいけない。


日本語で書く小説家の憂国の書だった。


一章アイオワの青い空のしたで<自分たちの言葉>で書く人々


この章は、まるで小説のよう。若干の憂鬱さが漂っていて、アメリカ中央部の白人社会と
小説家を目指すIWPプログラムに講師として参加したときの話が書かれている。


二章 パリでの話


パリでの経験 とくに過去の普遍語フランス語がどう没落していき、普遍語以外の言語を守ることが人間の知性を守ることになるという講演をした話。また、西洋文明に出会い、無理矢理にも近代化せざるえなかった日本人の悲しさ。日本語で書かれたものは英語圏では読まれず、英語で書かれたものは日本語圏では読まれる非対称きわまる関係。


三章 地球のあちこちで<外の言葉>で書いていた人々


国家論と国民文学論 話し言葉が書き言葉になるまでは、書き言葉は東アジアだったら漢文、ヨーロッパだったらラテン語。それが印刷技術から国語が誕生した模様を書く。
言葉の本質は読むことから「叡智のある人」に出会うことが出来た。叡智の求める人とは、精神的に高潔で勇気がある人格者ではなく、知らないことを知りたいと思う人の事を言う。そして、そのなかの幾人かが「叡智のある人」になる。叡智は知の図書館に言語として半永久的に保管される。
世界を支配する普遍語を現地語に翻訳する行為。これによって現地語が「国語」に成長していき、数学を初めとする純粋な普遍語をつかう自然科学に「文学」が対抗していった。
自然科学の拠り所は「真理」であり、文学の拠り所は「文章」そのもの。文学の弱さは、実際に読まれないと伝わらない。自然科学はテキストブックにまとめられるが、文学はテキストそのものを読まなくてはならない。


四章 日本語という「国語」の誕生 及び 五章 日本近代文学の奇跡


日本語誕生の歴史 とくに明治期、西洋への対抗の為に曲折しながらも生き抜いた事が日本近代文学を成立させた。


六章 インターネット時代と英語と「国語」


文学の終わり それは英語の世紀に入ったことにある。
「叡智を求める人」が英語で読むようになってきた。「国語」は倫理観や哲学、正義、思索をする抽象度の高い文章ではなくなり、口語として現地語へと転落していく。


七章 英語教育と日本語教育


日本語が「亡びる」運命を避けるためになにをすべきか。エリートが完璧な英語話者となること。海外の叡智をきちんと翻訳をすること。多くの日本人に対してはよりきちんと日本語を勉強すること。
「国語」としての日本語は亡びる可能性があることを認識し、その復興と保護に向きあうことが、「国語」保持のために必要になる。叡智を求める多くのひとが戻りたくなるような日本語を作り、伝えていくことが将来の世界人類のためになる。
それでも亡びる運命ならば、死にいくところを正視するしかない。

2011年7月20日水曜日

世界一わかりやすい4コマビジネス書ガイド 読了。



世界一わかりやすい4コマビジネス書ガイド 読了。

ビジネス書のエッセンスを、4コマ漫画で表現。


文章は速読できても、四コマ漫画は速読できないんだな。


http://bloomingdesign.net/wordpress/
その為、読書のスピード感は抑えられるが、
代わりに勉子ちゃんが、道筋案内を務めてくれる。


50冊のビジネス書のエッセンスが詰まっていて、ハイライトシーンばかり読めるので、ほんとう前向きになれる。
落ち込んでいるのは自分だけじゃないんだなと思う。
著者の勉子さんも悩んでいたんだあ、と共感できた。 自分も落ち込んでばかりじゃ駄目だな。ちょっと前向きに色々と行動してみようと、気持ちを前向きに上げてくれた本。


50冊の本を紹介する本なので、数冊引っかかる本があれば読もうか。


恋愛から、シゴト論、古典自己啓発本、 実際の仕事技術、コミュニケーション、考えかた、


沢山の本が紹介されていて、どれかには必ず琴線に触れるものが見つかりそうだ。


前向きになれる本をみつけるための本。


まずは、


この本から読んでみよう。

虹色のトロツキーを読み終えた  安彦良和の描く漫画 満州国と戦前関東軍

日本近現代史について全く知識がなかったが、

政治にうごめく日本近現代史がわずかながら理解できた。

内モンゴル自治区


一度だけ内モンゴルの草原で、数日だけ馬を走らせたが、

あんな真平らのところで歩兵戦をしたことにビビる。 殆ど草原しかなく、

日本国内の空気とは全然ちがく、乾燥し、木の影も少ないところで

武器弾薬、食料水の補給に苦しむなか戦ったのか。。。



虹色のトロツキー1巻

昭和10年代の満州を舞台にした日蒙2世が満州国で翻弄されていく話。すごく面白い。歴史上の有名人と、架空の人物で主人公、日蒙混血のウムボルトが織り成す物語。一巻はまだ序章。
石原莞爾と辻政信のあいだに人生を翻弄され、自由闊達な国策大学という奇妙な大学「建国大学」との学生たちの仲間意識というものにひねくれながらも愛着を覚え始めている時期



虹色のトロツキー 2巻



徐々に話が展開していく。 ウムボルトが建大を蒸発して故郷に戻り、孫逸文と接触する。銀巴里の歌手と会う。そこに奉天の楠部が張っており、通遼の日本軍が中国の農村に潜んだ孫逸文一派を取り囲む。逃げる三人。ジャムツの逃げるシーンはガンダムを彷彿させる。建大に戻るウムボルト。そこで日本人の青年たちの馬小屋立てこもり騒動があった。このあたりは青春記。安彦良和はこの話を青春記にすることも考えたらしい。




虹色のトロツキー3巻


ハルピンで、ユダヤ系のなかにもソ連のコミュニストがでてきた、ユダヤ系を使って沿海州にイスラエルをつくろうと画策する辻少佐。ウムボルトは知らぬ間にトロツキーとユダヤ系ロシア人のあいだの最重要人物へになっていった。運命がどんどんと翻弄されていってしまう。
この巻のハイライト楠部大尉とウムボルトの戦い。合気柔術創始者の植芝の弟子であるウムボルトが楠部大尉を倒し殺してしまうシーンはぐっときた。日本人を殺せば殺すほどあなたの日本人の血は薄まるのよの麗花の言葉は重かった。そして宗将軍のもとに合流し、抗日義軍を率いることに。大きな流れに翻弄されていく人生はキツイが、漫画として凄まじく面白い。





虹色のトロツキー4巻

初っ端から満洲国の重鎮が集合。小説でも漫画でも自分にとって初めての満洲の物語。

松岡洋右の南満州鉄道の列車「あじあ」の中での足の投げ出し方などは性格が出ていて読んでいて楽しい。画で説明するのは面白い漫画だ。
だんだんと軍部内部での対立軸もはっきりしてきた。本流が日ソ同盟で中国、英米と戦争派。辻少佐や石原莞爾が中国同盟で英米と戦争回避だったのか。川島芳子、李香蘭、麗花、魅力的な女性陣が勢揃い。
馬を寝かせて奇襲作戦。モンゴル馬をあそこまで乗りこなすのは大変だろう。植芝先生登場。やはり一番かっこいい。匪賊からウムボルトを取り戻しにきた、安江大佐が次に活躍していく。



虹色のトロツキー5巻


ウムボルトの人生はどんどんと変遷していく。たった一冬の間に人生が一変してしまった。ウムボルトにとって一番大事な出来事である「父、深見圭介の計画」がだんだんと見えてくる。
トロツキー計画の答えを見つけ出す為に満州国の興安軍少尉となる。敵と味方を行き来していく人間模様。麗花が偽満の将校となったウムボルトの元を去って消えてしまう。満州国興安軍ウルジン少将など、モンゴル系軍人がたくさん出てくる。現在の外蒙古とロシアと内蒙古にわかれたモンゴル民族の歴史が伝わってくる。ウムボルトが兵士とモンゴル語で話すシーンにモンゴル文字が振られているのはすごい良かった。キリル文字ではなかった時代だ。モンゴルの分裂した感覚をすごく感じることができた。 




虹色のトロツキー6巻


とうとう魔都上海にいる見世物トロツキーと、ウムボルトが接触した巻。
おやじを殺し、母を犯して殺した人間を探すという目的がウムボルトにはつきまとう。それが辛い。
そんななかで、清涼剤として建国大の恩師中山優先生との再会。建国大がとても素晴らしい存在として書かれている。学友との議論、友情、土地を愛することなど、精神の生まれ故郷として、学校を素晴らしい存在として書いている。ウムボルトの人生で最も幸福だったんだろうなあと想像してしまう。
安江大佐の子供が書いたラストの解説で、安江大佐の言葉に胸を締め付けられる。
「日本をこのようにしてしまったのは、我々年配の者達の責任だ。俺はその責任を取る。ソ連が入って来たら拘引されるだろう。俺は逃げも隠れもしない。」




虹色のトロツキー 7巻


ウムボルトが麗花を連れて建大に帰還。麗花を義父の所に預けることになる。日蒙二世、偽満と麗花に呼ばれ、義父は日本軍に親密であること、ウムボルトの中に流れている日本人の血を嫌悪し、麗花を押し倒せざるえなかった苦しみが感じられる。日蒙双方の意識からは五族協和は成し遂げられる気配は感じられない。
ウムボルトはノモンハン戦線へ。満州国軍蒙古少年隊に配属され、興安軍としてノモンハンへ出撃した。
外蒙とソ連邦 満州国軍と関東軍 蒙古人を二分しての戦争が勃発。
戦場の逃げ場の無さ、自分には想像しかできないが、こんな風に命がそこら中で消えていく感じなのか。
戦場にでて、戦車など近代兵器に差があるなかで戦う兵士たちはどうだったのだろうか。
辻権作が戦場に向かう際、満州国軍が離散した兵に囲まれ、国軍いまだ成らず はぐっときた。
関東軍も自分と同じ日本人だということを忘れられないなと思った。



虹色のトロツキー 8巻 完


読了。本当に面白かった。戦争てマジで怖い。こんな風には決して自分は戦えない。
ウムボルトのような青年はたくさんいたんだろうと考えを巡らせてしまう。。。
大きな運命に抗って生きた青年がいたんだろうという想像力が駆け巡る作品。
現実に起こった事件や時代を鮮やかに描くために、空想の人物を組み合わせた作品だった。
空想の人物だから現実の部分を描きれない為、ラストは戦死しかなかったのだな。


ノモンハン事件終結後、すぐに第二次大戦勃発。1939年にとうとう世界大戦が始まった。


最後の1990年代日本の終わり方は、ノモンハンと自分たちの時代は陸続きなんだと改めて思った。
そして秋葉原のシーンと安彦良和本人のデフォルメ絵が出てきたシーンで鳥肌が立って、わずかに希望を感じさせてくれる読後感が良かった。


これがエンターテイメントなんだ、凄いな。

2011年7月14日木曜日

結婚の条件 小倉千加子著   結婚の条件も社会階層で違う

結婚の条件


フェミニズム論のコラム集。
けっこう辛辣な本だった。

女性にとって結婚とはなんぞや?

生まれた階層を維持するためのお金を持っているかどうか。(自分かもしくは旦那が)


結婚市場に持ち込むのは、 男は財力、女は美貌
これの交換なんだよ この方針でこの本は進んでいく。

人それぞれ、男女には理想の結婚像があり、その結婚相手に対して自分の価値が足りない時、

年齢というタイム制限がある中、どうするか?

それが結婚の難しさだ。

だったら、結婚以外での出産や育児の方法があれば理想的だよね。
でも、日本社会はそこまで合理的にできていないから、悩ましい。

内田樹と真逆だなと思ったのは、教育はクライアントへ提供するサービスだと言い切っているところだ。 頭でっかちの本かもしれないが、そういう人は結婚しないんだと言っているのも面白い。

2011年7月12日火曜日

図説女子高制服百科 制服イラスト集




なにかを網羅する事は、選挙活動に近いな。
政治家は、地域の有権者を歩いて地道にコンタクトをとっていく。

高校まではローカルなもの。
仙台の学校に青森の人はそうやたらめったら通学しない。
なので、制服図鑑を作ろうとしたら、その地域をとことん歩き回らないとならないだろうと想像しながら読んだ。
その地域での学校の立場や地位も紹介されているので、各地方を調査するのは手間がかかりそうだ。
藤女子高等学校 (札幌) 地方の学校はどうやって調べたんだろうか。



残念ながらこの本は、すべてを網羅しているわけでもないみたいだ。
載っている学校がどういったコンセプトで選択されたかはわからないし明示されていない。


服に関する図鑑は写真じゃなくイラストがいい。イラストのほうが情報量が少なくて閲覧しやすい。
光や色合いを絵で調節できるので、より洗練されてみえる。そのかわり奥行きがなくてイメージが変わったりもする。



制服の魅力の一つは、100年間の洋装が生きた形で残っていること。


森英恵など有名デザイナーの制服は、バブルの雰囲気を漂わせてくれる。
いまの主流はアパレル企業と協同で制服を作る
昔ながらの制服は、セーラー服が多い。セーラー服を着るのは伝統校の証拠ぽい。
生徒が投票して制服を選ぶととてもベーシックでコンサバティブな紺ブレザー、スカートになる。
生徒は制服は引き継ぐものだから、と考えているのかな?

ただでさえ、洋服は流行でどんどんと消え去るのに、制服には数十年単位でデザインが残っている。

それは本当にすごいことだと思う。博物館に入っているのではなく、実際に使用されている。毎日着られている。

セーター服の起源も、イギリス海軍の軍服から20世紀初頭に子供服として世界的に流行したのを、福岡女学院が1921年に導入したことがきっかけらしい。



制服のイラストの脇に学校紹介が載っている。


倒産したりした学校もあり、競争が激しい学校法人の運営も垣間見える。
経営が厳しくなると、起死回生として制服を変えたり、学校名を変えたりする。学習環境の改善などを図ったりしている。
甘い経営はとてもじゃないが出来ないみたいだ。


そして大手の聖心女子グループや大妻女子グループが地方に乗り込んでくるのを迎え撃つ地元女子高。
解説文には、OGが紹介されていて、この有名人はこの名門校出身だったのか!と驚くところも多かった。
高校の校風が載っており、友人の、ああこの性格だったからこの高校だったのか、も透けてみえるところもある。




絵師は、上手いひともいれば、頭身がおかしいひともいて玉石混交。


そして、この本は図書館で借りられた。置いていないと思ったが、リクエストしたら2weekで来た。図書館てすごい便利。

2011年7月11日月曜日

歴史を紀行する 司馬遼太郎



新装版発売。

竜馬と酒と黒潮と (高知)

会津人の維新の傷跡(会津若松)

近江商人を創ったちの秘密 (滋賀)

体制のなかの反骨精神(佐賀)

加賀百万石の長いねむり(金沢)

”好いても惚れぬ”権力の貸座敷(京都)

独立王国薩摩の外交感覚 (鹿児島)

桃太郎の末裔たちの国 (岡山)

郷土閥を作らぬ南部気質 (盛岡)

忘れられた徳川家のふるさと (三河)

維新の起爆力・長州の遺恨 (萩)

政権を亡ぼす宿命の都 (大阪)


昭和44年刊行

日本各地の土地の風土と、土地の風土が日本史に影響を与えた時を想像する紀行文。

昭和44年というと1969年頃。 

今から40年前の日本の風土、過去の金沢、三河、萩に旅をできる本。

それも旅の案内役に司馬遼太郎の解説がついて!とても楽しい。

佐賀で立ちションベンをするエピソードまでにも、歴史的な意味合いを込めてしまうのだ。

12の土地への旅をとてもロマンティシズムに彩って描く姿は魅力に溢れていた。

昭和46年から「街道をゆく」がスタートするので、その2年前に書かれた本だ。

司馬遼太郎の本はいつも楽しい。本当に楽しみながら読める。

2011年7月9日土曜日

学ぶ意欲の心理学 市川伸一 学習の動機付けってどうやるの?心理学からのアプローチが書かれた入門新書

http://ci.nii.ac.jp/naid/110001893063/堀野緑・市川伸一 1997 高校生の英語学習における学習動機と学習方略.教育心理学研究,45, 140-147.

学習動機。勉強の内容が面白いと感じた人ほど効果的な勉強方法を考える。
また、英単語を覚えるには繰り返しよりも、接頭語を意識したり関連付けで覚えた層が成績は良い。
内容の面白さが動機を産み、負荷の高い勉強法への意欲を湧く。負荷の高い勉強は効果が高い。
結果として、いい成績をあげることができる。 という内容。

教育心理学の、学ぶ意欲について書かれた本。




いい本だった。
読めば、やる気を科学的に分析することの大変さを感じる。
そして、心理学の学説を援用して持論に権威つけることを戒めてくれる。


この本は、動機付け=モチベーション を論じる前に基礎心理学の講義が一章分入る。
著者が一番大事にしているのは、教育心理学はまだまだ限界をもった学説であること。
振り回されない為に、基礎的な心理学の流れを押さえておく必要があるという部分だ。

心理学の基礎は、動物実験やモデルを使って一般化したもので、
心を抽象的なモデル化して分析していく学問だと示す。
結果としてどうしても基礎理論は抽象化し、全ての事象を網羅しようとするので極端になりがちだ。
心理学にはこういう弱点がある。


学習の2要因モデル 
縦軸に、学習内容が自分にとって大事かどうか
横軸に、学習が役にたつかたたないか

市川伸一の理想としては、学習内容に興味がない状態では、
他人との競争や、
負けたくないという自尊心、
みんなと一緒にやる楽しみ

ということからスタートしたとしても

徐々に学習自体に興味を持つ、
自分の能力を訓練する喜び、
実生活に活かしていくように進んでいく

という方向に進んでいくことを期待している。

好きなことこそ上手なれ 

すきになることで、学習方法も考え出し、効率的に勉強をするようになる。

しかし、教育学者として大きな問題がある。
この学習理論を実際の教室に適応させるときにエライ手間が係る点だ。

オーダーメイドで個人個人の動機付けを見ていかなくてはならない。

また、算数の九九は、好きだろうが嫌いだろうが、できなくてはならない。

教育者として、学習者に将来食って生きて行く為には、つぶしの効く学力をつけなくてはならない現実問題がある。


教えなくちゃならない学習と
好きでモチベーションのあがる学習

この二つをどう配分するのが効果的かを見つけ出すこと、それが学習理論を教育心理学の分野で求められていることだというのも理解した。


ラストの教育の意味とはが心に響いた。

教育の意味とは

なりたい自分と なれる自分の領域をひろげること

イイ本だった。

2011年7月5日火曜日

ヒトはどうして死ぬのか? 死の遺伝子が設計された理由が感動的




生物の細胞はなぜ死ぬのだろう?

プログラムされた細胞の死 「アポトーシス」について書かれた簡単な新書


新書の最初の章で、
著者のやっている学問分野の現状を解説してくれるのはいい本だと思っている。
まずは、その分野の現状がわかり、著者がきちんと専門なのかを教えてくれる。
もうひとつは、その分野がもっと知りたいと思ったときの先導役になる。

細胞の死は二種類ある。  細胞の自殺「アポトーシス」と細胞の事故死「ネクローシス」

通常、細胞が分化していくときは、わざと沢山作っておいて、消去する方法をとる。

無駄は大きいが、不測の事態に備えると同時に、細胞分裂は2の二乗で増えるから多めに作られてしまう。

細胞分裂と細胞を殺す遺伝子「アポトーシス」はセットで生命維持に取り掛かっている。

身体がガンに侵されたりウィルスに晒されたとき、
治すのではなく、殺してしまい、新鮮な細胞を新しく作ったほうが効率が良い。

細胞を分化するとき、その境目の細胞が死ぬことで、手足やしっぽが作られている。


そんな高度な生命維持をしていく生命だが、回復できない細胞がある。それは、脳の神経細胞や心筋細胞だ。
ここは一生涯使い続けなくてはならない。高度の生命維持をしている為、代替えが効かない。
また、通常の細胞分裂も上限の回数が決まっていて、無限にはできない。


今後の研究は、ガンやエイズなどへの治療方法へ活かしていくと考えている。
しかし、現実にはお金もかかり、ガンのプロセス自体が完璧に解明されていないので、
アプローチもとても困難になっている。理論を現実の効用に落としこむのは、相当に大変なことなのだと、この本は考えさせられる。新薬を作ることの難しさなどは、想像以上だった。


最終章は、細胞の死を研究してきた著者の死生観

生命がはじめて自殺死というプログラムを自分の遺伝子に組み込んだのは 男女という性がうまれたときだという。
生殖細胞が減数分裂をする、遺伝子をシャッフルする過程で、生命は多様な遺伝子プールを得ることができた。そこから生命の進化に繋がったと考えれている。


性と死が密接になったのは、遺伝子がシャッフルされて新しい遺伝子が生まれ続けることだ。
ここで、生命は爆発的に進化した。
その結果、生命自身が生き延びていくことに無理が生じてしまった。
ひとつの遺伝子を何度もコピーしていくことで、傷ついたり劣化してしまう。
そこで古くなった遺伝子を維持していくよりは、新しい遺伝子に切り替えることになった。

それが「死」だ。死があることで、生命は何度も更新されていく。

「性」の繁殖システムで作られた「生」がある。
その「生」の連続性を維持していく為に「死」が必要である。
「死」という自己消去機能があったからこそ、遺伝子の「生」の連続性は保たれ繁栄できた。


生命自身が 自分の死ぬという利他的な行動をする為、遺伝子たちは連続性を保ち、生き延びていくことができたし、将来も生き延びていくことができる。

生命は将来の「生」ために自分自身の「死」という利他的な行為をする、 そんな死生観。


仮に、不老不死が達成できたら社会はどうなるか?

地球がパンクしてしまう。起こりうる可能性はまずは戦争だ。細胞の自殺死はなくなっても、事故死はなくせない。 ひとが多かったら人減らしするだろう。
次に起ころうのは、出産の制限、子供を作ることは禁止されるだろうな。
不老不死が達成された社会はとても凄惨なものになってしまう。



生き物は、「必ず死ねる」 それはとても哀しいことだが、将来の生命たちに必ず必要なものだったんだな。
そして、自分たちの命も、前のひとが死んでくれた上に立っている。
そのバトンを次に繋げることが命なんだという事を明確に感じさせてくれた本だった。

2011年7月4日月曜日

なれる!SE3 今度は提案活動!

なれる!SE3 失敗しない?提案活動




新入社員SEのプログラマー奮戦記 

作家は、本当に大変だ。

後書きで、徹夜続きで、何度もやり直して、起きている最中ずっとPCを開いて仕事をしてる。

それでも、好きな仕事だからこそ、「大変だけどやっぱり好きだからなあ」(ノ´∀`*)ていう気持ちで書いている。


今回の本のメインテーマは、どんなに大変でもやっぱり仕事は楽しいなあ。 

仕事賛歌の小説。

世の中に不要な職業人はいない。自分の視点だけじゃ見えなかったものが物語が進んでいくうちに見えてくる。この本で一番面白かったテーマだと思う。


開発は開発の論理で動き、営業は営業の論理で動く。

そして、ライバルの大企業は大企業の論理で動き、  今回のクライアントのシステム部課長、橋本女史は過去の経験から 厳しく律した行動を取っていく。 

提案活動がうまくいかなく絶望的になった時、

諦めない新入社員 桜坂工兵が、無理を突破していき、勝利に導く。

痛快な話で、水戸黄門的な定番だが、 
そこに SE業界 を舞台 というオリジナリティに 
「ライトノベルの恋愛」というエッセンスが読み口を柔らかくしてくれ、
ちょっと面白い作品になっている。



なれる!SE 


http://yasu0312.blogspot.com/2011/01/se.html

なれる!SE2


http://yasu0312.blogspot.com/2011/02/se.html

2011年6月29日水曜日

タイタンの妖女 = 宇宙空想探検記 + 宗教 + 自由意志 

タイタンの妖女 爆笑問題太田光 推薦



最初のページに、著者が解釈した箇所以外はすべて事実が書かれていると謳っている。

未来に行われた火星地球戦争
「ウィンストン・ナイルズ・ラムファードの火星小史」の著者、ウィンストン・ナイルズ・ラムファードと、
ある役割を担ったマラカイ・コンスタント。二人の人物の出会いから物語は始まる。


様々な架空本を引用していき、最大の幸福とアクシデントに見舞われたマラカイ・コンスタントの人生史を綴っていく。


「タイタンの妖女」は火星地球戦争以後半世紀以上の研究が纏めてあるといった体裁を取っている
未来の話である火星地球戦争のさらに未来から書かれたマラカイ・コンスタントとウィンストン・ナイルズ・ラムファードの伝記という姿をしている。




終章まで終わり、読み返してみると、最初に伏線が張り巡らされている。
二度読みをしているとニヤケてしまった。二度読みは一度クリアしたダンジョンをなぞっていく感覚。
一度読みとは全然違う感覚になる。


物語は宇宙船での、空想旅行記の作りになっている。
架空の戦争、架空の宗教、架空の科学、架空の生物。空想で塗り固められている本。
なのに、それぞれが否にリアルに迫ってくるのが困ってしまう。ディテールが細かいし、綺麗なのだ。
出てくる生き物達が変にリアルな精神構造をしている。架空の世界に読者を紛れ込ませてしまう。
結果、宇宙に放り出された気持ちになる。一緒に冒険をするハメになる。
それが、タイタンの妖女という作品の本当に良い所だ。


また筋が不明瞭なことを退屈させないくらいに、言葉のテンポや面白い造語が沢山でてくる。
そんな著者カート・ヴォガネット・ジュニアの遊びに付き合う感覚もある。結果としてエライ遠いところまで運ばれるが。


好きな言葉は p232 「この極度に挫折を味わった男が哲学を書いた唯一の火星人であり、この極度に自己挫折的な女が、詩を書いた唯一の火星人だったという事実は、一考に値すると思うね」


ラストはとても心地良かった。太田光の言うように、このオチかよ!と読書中は感じるが、読み終わるとあれで良かったなと思える。


全てにおいて映像が思い浮かぶ凄い文章だった。本なのに目の前にCGが飛び交う感覚になる。

2011年6月28日火曜日

希望難民ご一行様 ピースボートと承認の共同体幻想  希望を諦める事をどうやって成し遂げるか



21世紀初頭の日本は諦めることをどうやって成し遂げるかをずっと考えているのだな。
20年以上続く経済不況。色んなモノを失ってきて、それでもどうやって精神を生き延びるかを皆で考え続けている。




社会学専攻の大学院生がピースボート乗って観察してきたルポ+若者の貧窮、格差問題をとりあげた本



ピースボート世界一周99万円
飲み屋で貼ってあるやつ。


あれは、三枚貼ると、千円の割引になる。
それと、毎週何枚貼ったか、ボランティアで全国順位発表される。競争の楽しさがある。


ピースボートに乗る若い人は社会に弾かれはじめたことが多い。
乗る人の所得は安い。学生と、専門職年配を除き年収200万円代
社会的にあまり強くない人々が乗る。
規模の大きい会社の社員は殆どいない。

現在は、社会的上昇するチャンスは限られている。封建制のときよりは自由だが、18歳か22歳での選択がほぼ人生を決める。
例外はいくらでもあるが、不況の為、社会的地位の上昇する機会が少なくなってる。

願い続ければ夢は叶う。
夢は諦めない。諦めるのはお前だ。
この自己啓発、ポジティブシンキングはとても辛い。過酷で残酷な道だ。


そのポジティブシンキングに失敗したあと、別の道を模索している。
ピースボートにはそんな若者がたくさん乗ってくる。
ピースボートの役割は、所属する団体、貢献することのできる組織を提供することだ。
低所得者層の人間は、寄るべき組織がないことが多い。またその組織に貢献することも、経営上位層からこうやって貢献せよ、とコントロールされながら貢献を要求される。
それによって人間的にきつくなり飛び出してしまい、寄るべき組織を失う。
孤立した人に対して、ピースボートは平等で自由な空気と自発的なボランティアで、ピースボートにコミットメントすることを要求する。
実際は、ピースボートという会社が周到に用意してくれている仮初めのボランティアでもあっても、乗っかることが心地いい。


そのコミットメントがあることで、人々は集まることができる。そしてそこに共同体、仲間ができる。
そのうちに目的や希望を諦めて(共同体自体の維持が目的となり)、地に足がついたように生きるようになる。
友人が沢山でき、社会関係資本が蓄積される。希望を捨てて、成熟することができる。


分裂しがちな低所得者層に、連帯の場所を提供する。
仲間自体、それがやすらぎや楽しみになって日々の不満を忘れさせてくれる。


ピースボートは、内部でめちゃめちゃ濃い人間性ができる。

それがその人の社会関係資本になる。友達ができる。
友達と仲良く遊んで、ルームシェアして、たまに集まってホームパーティやって過ごせればいいや、くらいになる。

近代は、村を解体して、会社結社を作った。会社から弾かれた、外に出て行った人々は、現代では経済的に弱者になりやすい。
そんな彼らに友達どおしで助け合って、ほどほどに暮らして行けばいいよ。という村を提供する。
ピースボートは村を提供してくれた。
この村コミュニティは社会を改善していこうとする目的は持たない。関係を維持していき、そこそこに楽しむことを目的とする。
社会を変えるのは社会的精神的エリートに任せよう。

自分たちは日々の暮らしをそこそこに楽しみながら生きていく方法を取っていく。
低所得者層と上位層で分離していくなか、上位層に上がれなかった人間がいる。

それでもどうやって納得した人生を生きていくかを考えせてくれる本。






福島正伸さんのような夢を諦めない。
ポップ心理学のような引き寄せの魔法、
信じたら無意識が勝手に叶えてくれる
そんな原始的な宗教観や求道者の様な厳しい道を諦めて、暮らせるようになる。

ピースボートは、夢を諦める船だ。

諦める(成熟)てキツイ作業だ。

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