2013年12月29日日曜日

菊池寛の真田幸村

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菊池寛の真田幸村 という40pにも満たない短編読む。

さすがにこれだけの短さだと、あらすじ、ダイジェストのようになる。

物語というよりも、真田家の譜代から豊臣恩顧でもないのに、

最後まで付いて行った武者ぶりを評論している。

文体も思ったよりも堅い。

でも、この短さが、wikiを読んでいるような、それでいて、瑣末な部分は、
菊池寛の頭脳で省略されているから、一気に細かい合戦などを把握しやすい本だと思う。

青空文庫は本当にありがたい。

青空文庫で、大谷刑部吉継のはなし

http://www.aozora.gr.jp/cards/001562/card52448.html

青空文庫に版権切れした吉川英治が入って、逆に吉川英治を読むようになった。

大谷吉継最後の、石田三成が蜂起した関ヶ原の戦い、小早川秀秋の裏切りで、戦死。

大谷刑部吉継と、石田治部三成のほんとうに、短い話。

そんな太閤秀吉が死んでからあっという間に利を求めて、徳川内府に寝返ったなか、

命短しなか、最後は友情のために負ける戦に臨んだ人間

吉川英治の義を貫き通すことは、死より勝るという考え方が色濃くでている。

三国志、宮本武蔵などの長編だけではなく、短編も青空文庫では、拾えるのでいいです。

岡田君官兵衛には、期待しています。

岡田君官兵衛には、期待しています。


黒田如水のはなし

青空文庫で無料で読めるようになったのがうれしい。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001562/card53195.html

黒田如水というくらいだから、死ぬまで以降やると思ったら半生のみの短編、

元服間近の黒田長政と幼少期の後藤又兵衛の登場等、ある程度の初歩知識がないと意味が分からないところもたくさんある。

黒田官兵衛を読むなら、司馬遼太郎の播磨灘物語が長い分、黒田官兵衛の父、黒田宗円の代から描いており説明が細かい印象。

播磨、兵庫県など、関西人以外だとわからない土地の匂いがわからない。

司馬遼太郎の魅力は、その地域、地域の空気を描いてくれる点だと思う。それが独善的な見方だとしても。



吉川英治の「黒田如水」は1575年7月の長篠の合戦後から1980年7月までのたった6年間だけを書いた本。

それも30歳から36歳というすごく活動的な時代を描いた。 半兵衛が死んだのが36歳で、入れ替わるように羽柴家の幕僚と参加

すごくさわやかなモノノフであり、そして知者、策士でありながら、武士の魂をもっているように描かれた。

(それも書かれた時代が1943年の戦争ど真ん中で宮本武蔵で人気作家になった朝日新聞での連載)

読んだ兵士の方々がいたのかわからないが、自分もこのように武士の本分を成し遂げたいと思わせてくれる高揚感はすごくある。



話のメインは、毛利勢力圏だった播磨を織田勢力圏にひっくり返そうと策略、戦争、外交、諸々をつうじて上手くいっていたところに

荒木村重反乱、説得にいった際に、逆に捕らえられ、有岡城の1年間あまり幽閉されるところ。

そして、救出後、息子を殺害するように命じた主君 信長に 謁見するシーン

歴史小説とは、ある程度の大まかな流れは、史実に任せるが、細かい描写は、より劇的で面白い方にするというのがかいま見れていい

黒田官兵衛が有岡城から救出されて、子供の黒田長政を竹中半兵衛に連れられてくるシーンなどは、すでに半兵衛は陣没している

1579年6月陣没

黒田官兵衛救出1579年10月なので、時期が合わないが、どう描写したら劇的なのか、面白いのか、

信長に謁見するところ、そして処刑されたと思っていた息子との再会というクライマックスを盛り上げるために、

歴史小説は、絶対に参照資料になり得ないことと、歴史文献を上手い形で調理して(史実を曲げてでも)魅力ある人間模様を描く楽しさ。

歴史小説の醍醐味が詰まっている。

それにしても黒田官兵衛という人物。

播磨灘物語で、いちど読んでいるのだが、どうしても官兵衛は主要人物なのに、劇的な人生を歩んでいるのに、

記憶に残りにくい。 

名声だけはすごくあるのだが、晩年、如水という名前で、表舞台から引っ込んだからか、どうも印象が薄くなってしまう。

岡田君黒田官兵衛は、清涼感あり、武士としての実直さは、演じるのは得意そうだが、相反するように、策略を巡らせて、鳥取兵糧攻めなど描けるか。

軍監として臨んだ文禄慶長の役をしっかりと描いてほしいとも思う。

九州の大名は、ほとんど大河で取り上げられないので、どんな描写でもいいから、朝鮮征伐を描いてほしいです。

それが出来ると、こんどは九州島津4兄弟も大河の可能性も高まってくると思うのです。 

なれるSE4まで読み進める事ができました


自分はこのライトノベルはけっこうおすすめです。

まずは、舞台がファンタジーではなく現実の社会

そして、数多く有る高校生が舞台

仕事を舞台にしてるがライトノベルの定石(関わった女子は全員主人公に好意を寄せる)

仕事を舞台にした小説はやまほどあるが、ラノベの決まり事はきちんと守っている。

内容は

新卒がいきなり、苦労しながら、悪戦苦闘しつつ、

多くの仲間に助けられて、

一発逆転の勝負に勝つという流れ

ジャンプ的な楽しさ満載な娯楽に特化している。

物語の流れ自体に凄いと感動はしないが、まるで自分がこの難しく拗れた仕事を解決したヒーローになったような気持ちには確実になれる。

だから、安心して楽しめる。

業界の中のことはわからないが、

プロジェクト管理の手間や、各ベンダーの調整やら、

だいぶバイヤスかかっても、ほんの少しだけでも、垣間見れる所が良い。

ライトノベルなのに、ファンタジーでもなく、
沢山ありまくる高校を舞台にした作品でもなく、

現実世界との間に繋がりがある、半沢直樹みたいな作品群


2013年12月27日金曜日

悠木ジョシとオダギリスキョージュ



  悠木まどかは神かもしれない


タイトルは、ライトノベル
内容も小学生の淡い恋模様
確かに解説にあるように、これに出てくる子供達は、本当に嫌味っぽい。
最初は、ちょっと嫌な気分になる。
慣れてくると、この話し方が気にならなくなる。

みんなそこの進学学習塾という社会で、みんながその世界の在り方に適応して順位を競っているなかで、

その中の順位が高い悠木まどかという美少女は、自分が選びとったまた違った夢を持って進んでいく。

どうしても社会である以上、順位というものは発生するのはしかたないし、自分も会社以外の組織でも、その中で順位付けはされているけれど、

当たり前の事だけど、自分の所属している組織の順位は、別の所にいったら、別の順位付けに曝される。

それから逃れる事は出来ないけれど、

せめて、順位付けさせるなら、自分自身の選んだ世界において、自分のやりたいことで順位付けされようじゃないかと、

そんな事を訴えている本だと感じた

2013年11月19日火曜日

100円のコーラを1000円で売る方法 講演を聴いて本を読んでまとめてみた


100円のコーラを1000円で売る方法 読了。
永井さんの講演会を聞き、その場で購入しました。
講演では、基本的なマーケティングの理論の説明でしたが、自分たちの身近な例を用いて
顧客絶対主義と顧客中心主義について講演をしてくれました。
改めて顧客中心主義を考えよう
下記のような内容を話してくれました。

なぜ買うのか
どうしても欲しいと思ってかったもの

他の選択肢は?

お金を出した決めては?

機能の多さか
価格
利便性
お気に入り
価値観

下から理由が強くなる。

お客様の立場に立つのは簡単なはず、

しかし、しかしわかってもらえない

企業のメッセージのうち何パーセント理解しているか?

0.004%の理解25000社に一件

良いと思ってもお客さんに伝わらない


テレビのライバルはスマホ

日本のメーカーはテレビのライバルはテレビ

目の前にいるお客様のいう事を言いなりになったから

お客様は自分の問題は知らない

お客様の言いなりになると皆が同じものをある作る

そうなると価格勝負になってしまう

価格勝負に勝てるのはトップシェアの企業のみ

経験曲線
生産コスト

二位以下の会社は価格勝負でやるのは負ける

いつも一定価格 コンスタント

平日高め、週末お客様でー 週末爆発、普段売れない

価格勝負だと最安値を求めるお客様が集まる

買ったあと、半額になると怒る

値引き勝負だと定価で買う優良顧客が逃げる

価格勝負は麻薬です

顧客満足の式イコール感じた価値引くお客様の期待

お客様の本当の課題は何か?

顧客絶対主義 神様 間違えない
全ての要望に気付く
当たり前

顧客中心主義 大切な人 間違える
気付かない要望に応える
凄い!

私たちの価値はなにか?

現状維持は破滅

真空管
トランジスタ
ソニートランジスタラジオ
悪い事言わないから辞めとけ
今までラジオを使ってない人が使う

イノベーションのジレンマ

過剰性能 価格暴落
商品寿命はますます短くなっている

得意なものはなにか?

お客様が解決して欲しい事はなにか




顧客絶対主義が、顧客の言うことには、間違えはないという思考の元、顧客の要望について完璧に実行していこうという考え方に対して
この顧客中心主義は、顧客の課題に対して自分たちの価値を提供しようという考えかた

この100円のコーラを1000円で売るという本は、タイトルどおりの内容ではないけれど、マーケティングの基礎も知らない自分にとっては、楽しみながら読めました。

初学者向けの本で、ビジネス小説というか、漫画チックで、ライトノベル感覚で読めるところは良いなと思いました。

永井さんも、この100円コーラで大ヒットを飛ばすまでは、自費出版でいろいろと本を書かれていた方なので、そういった意味でこのタイトルを付けた、マーケティングセンスをこの著書の大ヒット自体が証明しているように思います。

主人公の宮前という女性。めちゃめちゃ気が強くて、セールスでトップを10年間はり、売れる会計ソフトの商品を作りたいと意気込んで商品企画に異動してきたが、うまくいかず・・・
依田部長というマーケティングのメンターというべき人と対立しながらも、教えてもらい、最終的にライバル企業に勝利するという話。そのなかに一切がっさいコーラの商材を10倍の価値にマーケティングでできるなんていう嘘っぽい浮ついた部分はない。この依田部長というひとがマーケティングの万能な人なので、その人(永井さんの物語上の分身)から主人公(読者)が教えてもらい、反発しながらも、最終的な勝利に向かって進むという、努力、友情、勝利というジャンプ鉄則を忠実に沿ったつくり

学べることは、顧客中心主義と顧客絶対主義の違いは、もの凄く大きいこと。

事業定義について(会社の存在理由)
顧客絶対主義
製品指向:技術的に優れた製品を作り、その商品の価値に主軸を置く
顧客中心主義
市場指向:顧客のライフスタイルや自己実現、夢に主軸を置く

顧客満足の式 顧客が感じた価値ー事前期待値=顧客満足
顧客絶対主義
顧客が感じた価値100ー事前期待値100=顧客満足0
顧客中心主義
顧客が感じた価値200ー事前期待値100=顧客満足100
顧客の期待を超える提案をしなければ、顧客満足度は0かマイナスしかなりえない。

価格勝負について
マーケットリーダー(業界1位)しか許されない方法
マーケットチャレンジャー(業界2位以下)はそれ以外のバリューで勝負するほかない
なぜなら、マーケットリーダーは、コスト面で一番下げるコストリーダーシップがある為

バリュープロポジション
どこに自社の価値(バリュー)があるか、顧客が望んでいて、競合他社が提供できない、自社が提供できる「価値」のこと
ここ以外の部分に自社の価値があると、果てしない価格競争が待っている。

バリュープロポジションはコンセプトであり、そこから実際のマーケティング戦略がうまれ、実際の商品開発、セールスがなにをすればよいのかが決まり、明日皆はなにをすればいいのかが明確にしていく。そして、ビジネスの結果(売り上げ)とは、顧客に価値を提供できたことの証左となる。

流通チャネルをどこにするか。必ずしも自社の流通チャネルを使わなくても顧客と接するうちに、顧客の不便に思っていたり、信頼する人などがいて、そこから売り込みをすることも可能。なんにせよ、視野を狭めたりすることを禁止する。

カスタマーマイオピア http://blogs.itmedia.co.jp/mm21/2011/08/post-8406.html
顧客の要望を絶対として、近視眼的に製品を捉えてしまうこと。永井さん自体のブログで紹介されている。

キャズム理論
リスクを取るタイプとリスク慎重型に分かれる。セールスという経営資源を新商品の場合、どう投入するか、新商品の場合、イノベーター2.5%が買い、アーリーアダプター13.5%が後を追い、ここまで普及するとキャズムの崖を突破し、普及していくことになるアーリーマジョリティー(34%)レイトマジョリティー34%ラガード16%(購入しない)という数値になる。ほんとうかどうかはわからないが。

顧客のいうことをなんでもかなえるのではなく、顧客の課題に対して自社ならではの価値を徹底的に考え提供する。近視眼的に物事を考えるなというテーマが全体に張り巡らされた本でした。2巻、3巻以降読むかは主人公達の性格が好きだったらおすすめですが、苦手だったら裏に書いてある推薦書に取り組んだほうがいいのかもとも思いました。



2013年11月17日日曜日

風立ちぬ 鑑賞してきた まどマギパンフ購入

前売り券買っておいて、観る機会を逃していた風立ちぬ

宮崎アニメで最もわかりやすく、美しいアニメでした。

耳をすませば、海が聞こえる のようなジブリが作る青春物語が好きだったので、自分のなかではド直球でした。

どこをどう観ても宮﨑駿とオーバーラップして二郎を観るしかできないので、私小説の映画版?でしたか。

主人公とヒロインの顔はナウシカから一切変わってないのがぶれないで凄いです。

サナトリウム文学にゼロ戦主任設計者の青春とNHKのプロジェクトX、

昔のディズニーのミッキーたちの演技をドッキングさせたようなお話でした。

牛車で戦闘機試作機を引っ張るシーン、牛が実写に見えました。

車輪の回転がすごく綺麗でした。二郎の歩き方とムスカ大佐の歩き方がそっくりで、面白かったです。

最後の宮﨑駿のクレジット見た時は、ちょっとばかし涙ぐみました。

もう宮崎駿の作品は観ることはできないこの寂しさは堪らなかったです。

創造できる10年間がもう尽きてしまったんですね。

新海誠のプロデューサーがおっしゃっていた、天才に作らせられる作品は、死から逆算しても30作が限界

そのなかでどういう作品を作らせる環境を作っていくのか、

それが周りの人の役割だという言葉が思い出しました。


この風立ちぬ、わかりやすくそして本当に美しい作品でした。



それと違う続きの目を残してくれた 魔法少女まどか☆マギカ

完璧までに完結したテレビシリーズにどうやって内容を加えるかが楽しみであり不安でしたが

奇麗じゃない終わり方でしたが、作品全体、皆が楽しみにしていた通りのことをしてくれました。

きゅうべえ達は、今後どうやって宇宙の均衡を保っていくための力を手に入れていくのか、説明が欲しいです。



まどか☆マギカと、風立ちぬの映画パンフレット購入。まどマギ1000円、風立ちぬは600円

パンフ自体の出来は、まどマギが分量が多いが、薄いながらも内容の的確さは風立ちぬと思います。

まどマギのパンフはインタビューで多くて、思ったよりもネタバレはなかったです。

風立ちぬはページ数自体は少ないけれど、その分この映画への想いが厳選されて載っていました。

鈴木プロデューサーと庵野秀明のインタビューは心に響きました。

両方とも良い映画でした。


何年ぶりに映画のパンフレットを購入したんだろう位、方向性は違う二つの名作に出会うことができました。


2013年9月16日月曜日

あの花劇場版 (あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。)

あの花劇場版見終えた。

ネタバレこみます

うーむ。。。
とりあえず、
長井龍雪監督×岡田磨里脚本
テレビ版と同じ
とらドラコンビ。

気になった事、あなる役の戸松遥の声がキンキンし過ぎてテレビ版だと気にならなかったが、音量調整できない劇場だと、気に障る。ポッポ役の人も演技が劇場だときついか…

とりあえずグスンとはくる。
うるうるとする。
泣けるのは間違いない。
だって、テレビ版名作だもの。

今回の劇場版、舞台は一年後だけど、基本的には、テレビ版の総集編だもの。

これに前売り1500円はきついでしょ。

一年後の残された超平和バスターズの今後を観たかったら、見る価値はない。

あの花自体が初見の人だと、内容を理解するのは厳しくないか。。

一体どこをターゲットにしていたのかよくわからない作りになってしまった。

この映画自体にかけるような気合にはかける映画であった。

テレビ版は超名作。
絶対に泣く。
ちょうど東日本大震災あとの放送ということもあったし、
あの時の盛り上がりの熱量は
残念ながら、この映画には求められない。。

2013年8月6日火曜日

ももクロ夏の馬鹿騒ぎ2013年8.4大会日産スタジアム感想

興奮が冷めないかった昨日、適メモとして適当に書いておく。
まず第一に日産スタジアム使ってるが、アリーナ席がほぼ存在しない作り。芝生部分に人を全く入れなく、全席からステージが遠いという変な作りで全体の一体感を損ねてた。

前半は盛り上がりを心配して、客席を煽るように佐々木アマから指示が出てたんだろうなあ
後半の曲になるに連れて盛り上がりは最高潮まで達したから良いんだけど。

自分の席はバックスタンド2階最後方
http://natalie.mu/music/news/96481
ナタリ-からセットリスト引っ張ってきた。

ももクロ日産セットリスト
・選手紹介
・オープニング映像
・オープニング(マーチングバンド)
結構長かったが、高校生だったとは!でも無駄に長い。
SE:overture
一年ぶりにovertureを聴いて始まった感じが凄く出てた(外れまくったからまともに聴いたのは去年の夏の馬鹿騒ぎ以来だ!
・国家斉唱(布袋寅泰演奏)
ギターの君が代アレンジ
http://www.youtube.com/watch?v=UwodtldRCuQ
忌野清志郎が作った反体制ロックとしての君が代で、同じ舞台にいた布袋寅泰が、ももクロちゃんの舞台で君が代やってくれた。ギターアレンジのノーマルなかっこいい君が代。政治的メッセージ一切無しというのが面白かった。むしろももクロがはじめから日本を元気にしたいというコンセプト、ということで巨大日の丸や、オリンピックに模した感じを凄く出していた。
01:PUSH(布袋寅泰演奏)
隣の席の人が言ってた通り、基本的にスポンサーロッテを大事にするし、オリンピック、日本をテーマにした曲だから、プッシュスタートでしょとドンピシャで当ててた。
スポンサーを大事にするという考えがJリーグにはないとドゥンガに怒られていたのを思い出した。
02:サラバ、愛しき悲しみたちよ(布袋寅泰演奏)
なんかすごい嬉しかったな。布袋の演奏でももクロちゃんが唄えることに。
03:仮想ディストピア
この辺の曲はあまり好きではなかったからじぶんのテンション低め
04:DNA狂詩曲
れにちゃん押しなら、これこそが一番の名曲だと思う。こんなに応援する曲はあまりない。最高の応援歌。労働賛歌やモーレツとかZ女あたりに出されたももクロの曲群が一番好きだ。
MC1:自己紹介・猫ひろしフルマラソンスタート
猫ひろしの下りは要らなかったなあ。無駄に時間を使って、アンコール後の挨拶の時間などをカットする要因になった。でも途中からすげーなという尊敬の気持ちと、あと何キロと表示が出るので、ライブの長さを計る目安になってくれた。
05:Z女戦争
振りがいまだにわからない。でも定番化してきた。結構好き。
06:猛烈宇宙交響曲・第七楽章「無限の愛」
この辺も定番化。モノノフも練度が高くなってる曲
アイアイサーをやる部分が盛り上がる。この曲以降前山田健一ヒャダイン楽曲はももクロZに対しては全くなくなった。一番盛り上がるのがヒャダイン楽曲なのに。でもエビ中のお化けお化け
http://www.youtube.com/watch?v=5QO6NYTxgc8とか聞いていると、確かに合わなくなったのかもと思うが、、復活させて欲しいな。

ちょうど進撃の巨人観終わったあとで、調査兵団の練度の話が出てて、ゆかり王国の王国民の練度と忠誠心には負けるな。この前初めてSSAのライブに行ってきて、王国民のhttp://www.youtube.com/watch?v=hZN2JH6e9UY&list=PL46726E99D3ED00DB 
ももクロも俺らの様な新規が入って練度と熱量は落ちているんだろうな。昔からのファンを大事にすることと、新規を取り入れ、融合させることの難しさを感じる。どうか、昔のファンを切り捨てる方向では進まないで欲しい
07:月と銀紙飛行船
この辺はバラードで、客席と離れていたため、あまりに心に残らない
・マーチングバンド
高校生というとももクロと同年代で、あそこまでやるのは凄いけど、でも余分だった。
08:上を向いて歩こう
FNS歌謡祭でコラボで転けたなか、安パイな歌を持ってきた。これを聴いている時、岡本太郎の本に、人気絶頂の坂本九に対して、売れるって寂しいなといったら、坂本九が号泣した話を思い出した。誰も坂本九を人間として扱わず、熱にうなされた様に人気者の枠にはめ込んで、孤独を感じていたという。ももクロちゃんが若干そんな感じFNS歌謡祭や27時間テレビに出るとかでそう感じてないか不安になった
09:ゲッダーン!
上を向いて歩こうは人力トロッコでスタジアムを回ってた途中にゲッダーンに切り替わった。どういうコンセプトがあったのか不明。ただ、まだ客席とステージの遠さ凡そ70mの異様な緑の空間は埋められてない様に思った
10:ココ☆ナツ
ここでステージから飛び出して水鉄砲もって芝生を走り、アリーナ席最前まで皆行く。ココナツは盛り上がる。最後、芝生のセンターサークルを使ってのココナツサークルはうるっときた。
11:ワニとシャンプー
立て続けにアッパーな曲。はじめて買った扇子が役に立って嬉しかった。いつもサイリウムで代用してたから。
MC:はるるん紹介
ちょうどワニシャンがフジに生放送で放映されるはずが、サザエさんと被り録画放送だったらしい。この辺は凄く綺麗にTVとの連携をしていて面白かった。はるるんが増えていることにまったく気が付かず!でも面白い絡み方だった

http://www.youtube.com/watch?v=3yhnSyJxshw 
12:5 THE POWER
やばい、全く記憶がない
MC:中継 ニコ生「セーラームーン」
スターダストの人たちは仲良しなんだな、ミュージカルの歌を歌うことと、ニコニコ動画でセーラームーンの新作を放映すると発表。何故にニコニコ!?プリキュアあるからか?友人がいうには、聖闘士セイヤかなにかが好調で、枠が無いとのこと。東映アニメーションなのに。ここでOPEDを唄うと発表、歌自体は発表されず
13:ムーンライト伝説
アレンジ変えただけだったので、完全新作を聴ける!と肩すかし食らった。ムーンライト伝説は名曲なんだな、
14:愛のメモリー / 南国ピーナッツ
西武ドームでももクリ13をやると発表その後最低気温-4.1平均気温6.3かそこらの情報がスクリーンに流されて結構辛いももクリになりそう。ただ今まで変えてなかった12/24というのを変更して12/23にやるというので、売れ行き次第で追加公演やるんじゃないのかなと感じた。取り敢えず今回はじめてといっていい今まで会場をでかくでかくしてきたももクロがはじめて会場規模はデカイが縮小させてきた感じをもった。希望は埼玉スーパーアリーナでスタジアムモード三万人でやってくれると思ってたのに。
MC:
15:Neo STARGATE
前奏が二分位あるので、あまり聴かないけどももクロのコンサートだとよく使われる。曲調が暗いからきらい。この辺が自分的に物凄く中だるみ、やべえ飽きてきたのかもと感じてしまった
16:宙飛ぶ!お座敷列車
この辺もニッポン万歳の代わりに会場をぐるぐる回るための歌
告知VTR・武井壮VTR
武井荘自体初めて見た。身体能力凄いな
17:ももいろ太鼓どどんが節(新曲)
酷かった。バンナムとのスポンサー契約で作られたゲーム用音楽
全くどんな音楽なのかわからず終わった
18:上球物語 -Carpe diem-
この辺はセカンドアルバムから多くなるのか、寂しいなと思いながら聴いていた
19:BIONIC CHERRY(百田VS武井壮の短距離走)
バイオニックチェリー、ぶった切って、百田100m対武井荘120mという短距離企画
これは武井荘がマジで走ったから面白かったが、かなこ歌手なのに、走らせたら体力なくなって声が出なくなるんじゃ!と心配。で心配通り、生歌で口パクを下手でもしないという売りを二年位前から作っていたのに、被せは、ずっとしていたんだ!ってわかってしまってショック
ハーフタイムサッカーショー
福田がでた!ゲットゴール福田!をやってた人がいたので、嬉しくて10年ぶり位にこのチャントを歌った。
寸劇始まって、ももクロちゃんが三浦淳宏と藤田俊哉のFKの壁になるというドキドキ展開あった。サッカー寸劇は結構好きだったが、普通にフルコートのサッカーにももクロちゃんが混じって五分位プレーしていたので、彼女らはどんな体力化け物というか訓練積んできたのかと感じていた。でも頼むから歌手に走らせて体力消耗させないでと祈る様に観てた
そしてほとんど暗闇になり、サイリウムが凄く綺麗になっている
20:ピンキージョーンズ(サッカー)
ヨスガ、チャパチャパ、本当はチーム猫缶のエンディングが好きだったけど、なぜかダブルエンディングでピンキージョーンズが入ってたんだよな。というか、ヨスガは凄まじいアニメだったな。あそこ迄やるせない気持ちになるのは、ひぐらしのなくころにの皆殺し編あたりのこの無限ループから抜け出せない絶望の感じが近い
ピンキーのアカリ照らす所があかりんを思い出してうるっとくる。隣の人に合わせて声を張り上げた感じ。でも無印時代の曲をやってくれて凄い嬉しかった
21:Chai Maxx
取り敢えず会場が一番盛り上がる。ただ、フリコピできてないから自分自身中途半端な感情。でも最高
楽しかった!!
これをやらないライブにはほとんど遭遇していない
22:キミノアト
しっとり聴かせるバラード。やはり上手くないけど、かなこの情感は凄く伝わってくる。

ガナリ声で歌うから、伸びやかさが少ないのが、今後の発展に期待。彼女たちはどんな困難も乗り越えるというコンセプトのアイドルグループなのだから。
MC:中継(清野茂樹)
猫ひろしが三十キロも走っていて、尊敬の念を感じはじめた
23:バンビーナ / 布袋寅泰
布袋が帰ってきた。バンビーナ
http://www.youtube.com/watch?v=lwOWS02RoEw、どんな歌だったか全然覚えてなかったけど、うわあ、かっけーー、コラボしてくれてるよ!前のめりになり過ぎて、サイリウムで前の人の頭に二回ほど当ててしまった!盛り上がり具合はもしかしたらここが最高潮だったかも
24:行くぜっ!怪盗少女
そのノリで怪盗がきた!ももクリ2012みたいに下手にいじってないノーマルな怪盗!盛り上がりすぎる
25:労働讃歌 (サムライ・ロック・オーケストラ)
ライブで化けて行ってどんどんと一番大事な所で使われるようになってきた。アイドルはファンのノリがあってこそなんだなと、そして作り上げてきた先人に感謝
26:走れ!
会場が暗転しての走れ、隣の人はやばいやばいセトリと言ってたが、同感。結局この歌の主人公は声をかけれないで告白出来ないで終わっちゃうんだよね。TIF2010http://www.youtube.com/watch?v=9Rt5cSeFHNY
この動画観てももクロにハマった身としては最高に嬉しかった!と同時に最高な曲が走れ、怪盗少女というファーストシングルというのがやはり悲しいのもある。でも思いいれがみんな強いんだろうな。この辺あたりからは一体感が当然のように生まれてた!

27:ももクロのニッポン万歳!
最初のニッポンを元気にするというテーマに沿ったセトリだったのか。五人乗りトロッコで一周。ももかの東北の下りと、しおりんのジュースお代わりいいよーは最高に楽しい。前山田健一は、基本的にアイドル向け音楽作る時どこにファンがコールいれるか計算して作ってくれるから、凄くファンに優しい。東日本大震災の応援歌として作られた曲でもある。
MC:
ここでひとまずももクロちゃんたち退散
SE:overtureⅢ(仮名 猛烈REMIX風)
本日二回目のoverture、音が大音量でよく聞き取れず、オーバーチュアだと気がつかず。
EN1:灰とダイヤモンド
この辺はアンコールの鉄板、五人が集まった事を、友情ではなく家族のように思ってると歌ってくれる歌
かなこがサブステージの一番高い所に持ち上げられる演出は良かった!
EN2:コノウタ
たしかこのへんで五芒星をピッチ上に大きいテープで描いてくれた!これには泣きそうになった。何度もこの子達はピッチを駆け巡るんだ、そして家族のような五人としてファンの前に存在してくれるファンタジーを演じてくれる。
これもアンコールの鉄板
MC:中継(清野茂樹)・猫ひろしフルマラソンゴール
猫ひろし、引っ張ったわりには、帰ってくる時間がかかり過ぎて、進行上、あっという間に舞台からはけさせられていた。
EN3:ニッポン笑顔百景
最後の前山田作曲の歌。現場で聴いたの去年の夏以来もしれない。笑おう笑おうって、前山田は前向きな歌を本当作ってくれる。
EN4:黒い週末
これがあるとはおもわなかった!!一番ロックな曲。
MC:出演者紹介
途中で黒い週末の最中に、出演者紹介、
そして生バンドのにんげんやらいろんな人が手を繋いで挨拶
花火がどんどんとあがる!
煙で舞台が見えないのがまたなんというかよい!

ラストはかなこの挨拶
これはあまり記憶に残ってないな、でもみんな本当に泣かなくなったな、強くなってるんだな

エンディング映像

これは練習風景の映像
LV限定中継:出演者全員

現地いけたから観れなかった

総論として、前半布袋がでてきたところ、そして後半は盛り上がった。サッカーファンだからサッカーオールスターズ楽しめたけれど、そうじゃなかったらどうだったんだろう。
あの芝生をどんと全く客席をおかない作りだとどうしても盛り上がりには最初かけたのは否めない。
でも、次があるさ、取り敢えず自分的には席の関係もあるけれど、春の一大事よりは楽しめたから良かった!

物販にいたミニチュアベアーズが最年少が小49歳というのにびびった。上は中1 12歳だった


2013年6月22日土曜日

あなたの苦手な彼女について 読書メモ

あなたの苦手な彼女について

橋本治の女論
恋愛に限った事ではなく、女全般について
女とは、女という中身の上に女という衣装を着ているという二重構造を持っている
男からみての女だけではなく、女からみての女も含まれる。女というカテゴリーのなかで苦手といいようがない女たちが個々にある。それについてのお話
何時もながらややこしい。

男性にとって、女とは恋愛対象になる女と、恋愛対象にならない女に分けられる
恋愛対象にならない女性に対して、男はどうでもいい、好きにすれば良い。ここが男性の女性差別の根っこになる。

1970年になり、日本は豊かになった。
そしたら、基本的にどうでもいいやという回路が働き、女性の社会進出が始まった。

そして、ウーマンリブ運動などから、派生して
従順ではダメだ!戦わなくてはならないとなり、片方は肩肘張って会社社会で闘い、社会参加してないと言われた専業主婦は、もの言う消費者となり、そこから、敵対的な立場をとって文句を言っていればそれだけで自分は社会に参加しているという歪みの発想が生まれた。
そして、男女含めてクレームをつけることそれが社会に参加している事として容認されているとなってしまう歪みが残ったままになってしまった。

そして、すべては豊かな社会が支えていたのだが、バブルが弾け、社会自体が揺らぎ始めてきた。
一方で専業主婦も家事自体の簡略化や、機械化、和裁、洋裁が、洋服の発展によって衣食住の衣の部分から完全に切り離されてしまった。仕事がなくなった。余分なエネルギーが生まれ、そこで教育ママの誕生へと繋がる。

働くということは、人間の生存のあり方、それを豊かさは無くしてしまって、どうでもいいことばかりやるようになった。
そして権利を主張するようになった。それに付随する義務は、豊かさのなか拡散されてしまって行った。

自分がない男と、自分しかない女

女から自分がないと言われて、男は傷つくのか否か?
傷つくかもしれないし、傷つかないかもしれない。ただ、関係ないとはねつけることが出来る。自分がないことのメリットは、孤独がなく、代わりに全体がある。全体のワンパーツとしても考えられる。
でも、自分がないという事自体ありえない。自分の家や自分の会社人間として価値があるからあるだけで、自分というのは必ず存在する。
孤独とは、どこかに所属しているはずなのにその所属がみえないことをいう。
人は何処かに所属している。言葉が通用する共有されている世界の中に所属している。
女から自分がないと言われない方法はただ一つ、その女の仲間になれば良い。そうすれば我々と思いを同じくしている以上自分があるということになる。
我々はこう思うから自分がある。あなたはこう思わないから自分がない。


結婚が成立しない理由について
豊かさが揺らいできたから
結婚したくてもできないもんだいがあり、
出会いがないプラス生活が安定しないが原因でもある。この人はと思える直感が働く出会いがない。つまりは、出会いではなくその先にある結婚への具体的なイメージの共有がない。

個的なあり方に慣れているということは、自己中心的であろうと自己利益的であろうと、なんであれエゴを第一にしているのだから、他人と折り合いをつけることがうまくできない、、だからこんな自分には彼女はできないのこんな自分とは貧しさではなく個的な生き方に慣れきった自分ということになる。

位置付けを欠いた思考はいくらでも自在になるが、一向に外には出てこず、どんどん自在になるだけで自己完結してしまい、思考が自由ならば自分の位置付けを欠いていることそのものが問題にならなくなる。
そういう存在があなたの苦手な彼女について、になる。

2013年6月21日金曜日

「やさしさ」と「冷たさ」の心理 読書メモ

やさしさと冷たさの心理



自分の肉体的、知的な弱点を相手に対して恥ずかしいと感じない関係が安らかな関係である。

つまりは、自分の弱点を自分で認め、それを自分に対して隠してはいけない。

その弱点をみても相手が引かない関係こそが心理的成長には大切になってくる。

他人に甘える人は、基本的に自己中心的でわがまなである。そしてその感情自体をきちんと認める必要がある。

甘えがあるというのは、他人への欲求が強いことである。この加藤諦三氏の本では、基本的に親の愛に満たされてきた肯定的に生きた人と、親からの欲求を果たすために自分自身を殺して生きてきた二種類いると考える。
そして、自分自身を殺してきた人は、大人になっても甘えの欲求が満たされていないから、他人の注目を求めたり、虚栄心でみたそうとしたりするという話が基本線にある。
そして、甘えの欲求が満たされなかった人は自分の情緒が2,3歳児くらい未熟な部分を残しているということを認めなさいという。その認めることができてから次の行動に移ることができる。

そして、人生において最も大事なのは、自己評価、他人に実際に愛されているかどうかは別として他人から愛されるに値する人間だと本人が感じているかが大事になってくる。
そしてそれは、自分の子供時代に周りにいた大人たちの目をどれだけきにしたか、愛情を受けたかによって決まってくる。ただ、その子供時代の感情をおとなになったいまでも振り回されず、自らに自らを肯定し、常に勇気づける必要がある。
自己評価が低い人は傷つきやすい、他人といるとなんだか落ち着かなし、用事が終わるとそこにいてはいけない気分になるのは、単に自分が小さい頃、自信を持つに必要なメッセージを与えられなかっただけだと頭で理解することである。そして自分は落ち着かないが決して相手は自分が感じているようにはかんじていいないとまずはっきり自分に言い聞かせることである。
そこで人付き合いのコツとして、自分は望ましい人間ではないと感じている人は、自分に自信を持っている人と接することである。自信がない人が自信を持とうとするときよく失敗するのは、心の底での自分は必要とされていいない感じ方をそのままにして自信を持とうとするからである。
自分に自信がないタイプのひとは、本当に不思議と自分のようなタイプを軽蔑するような人と接してしまうのだ。心のそこで自分を軽蔑していると実際の自分のようなタイプの人間を軽蔑する人に惹かれていってしまう。それは大変不幸なことである。


自分にたいして失望すると起こることは、自己断罪でる。自罰は無価値観や屈辱感からくる苦しみを消す最も有効な手段だからだ。自分をけなすことで、自分の持っている自己失望感を満たすというやり方をとってしまう。自分に自信がなければないほど他人や自分を尊重するひとと付き合わなくてはならないのに、自分に自信がないほどあなたを軽蔑する人と付き合ってしまう。

どうすればいいか?自然な感情に身を任せられる、防衛的にならなくてもよい人が恋人であり、友人であるとも言える。絶えず生まれてくる自分のなかから自然に湧いてくる感情に身を任せること、その自然な感情の流れに身を任せられるから親しい人といるのは楽なのである。自己実現的関係において大切なのは、私は貴方がこんなに好きだではなく、私は貴方をこんなに大切にしたいという思いにある。そして、内面世界を鍛えて来なかった人は親密さへの恐怖心がある。あまり近しくない人とはうまくいくが、親密になりすぎるとその人に不快感がでてくる。他人と親密になれるということはそのひとが自分を持っているからだ。

嫌われるひとというのは、心のなかに自信がないのに、自信があるふりをする虚勢を張って生きている人だろう。甘えの欲求がみたされていない。虚勢を張っているひとに必要なのは、あなたはそんなに虚勢を張らなくてもいいですよと言ってくれる存在である。
心の底で自分で自分の実際を拒否したひとは不思議というか当然というか、実際の自分を拒否するひとに惹かれていく。甘えていたり劣等感が強い人というのはマズローのコトバで言えば、欠乏に動機つけられているひとである。
自己が欠乏した人間というのは、他人に対して自分の感じるように感じてはいけないし、自分の価値観を持ってはならず、その人に期待するように感じ、期待するように行動し、期待したいようなことをいわなくてはならない。
自己実現したひとというのは、水が流れるからといって、岩が固いといって文句をいわない。このように自然を受け入れるが、同じように他人も受け入れるのが自己実現した人間である。

自分のおもな満足は他人の自分に対する反応によって得られるのではなく、自分の内面的な成長によって得られる。
繰り返しになるが、甘えている人や劣等感が強い人は本当に自己実現をしている人と付き合うことが大切である。

まず、どうすれば自己実現をできるか。自責の念、自己不完全感に悩む人はまず小さい頃から自分に与えられたメッセージを言語化することである。仮に子供が親から責められる。しかし親から責められていると感じることも禁じられている。子供は、強制的に自発的に反省の念をもつように仕向けられる。そういったことをひとつひとつ紐解いていくことが必要になる。
何の理由もないのになぜか今のこのままではいけないと自分を責め立てるのは禁じられた感情があるからだ。その感情はなんなのか。自分は被害者の立場に立たされながら自分は被害者であると感じることを禁じられ、逆に加害者であるとかんじるように強制された。なぜそのような立場を認めたのか。親から自分の存在を認めて欲しかったからである。まずじぶんが被害者であったことを認めること、そして、自分を責めたり、自分を罰したり、自分を卑下したりすることで他人に立派な人と認めてもらおうとするゆおなことを止めること。そして他人の不快な感情に責任をもつ必要がないことを自分に言い聞かせることである。そしてほめられたら喜ぶ。そして自分で自分に禁止していることはないかを振り返る。何の理由などいらない。行きたいから行く。それで十分である。自分が楽しむことは決して人を傷つけない、人間は楽しむことをしていい。ただ、小さい頃楽しむな、仕事をしろというメッセージをあまりに受けたので人によっては楽しむことに罪の意識を感じる。
他人の褒め言葉を素直に受け取ることを自分に許すこと、行きたい所に行くことを自分に許すこと、お金があれば自分の買いたいものも買うことを自分に許すこと、お酒を飲んで楽しむことを自分に許すこと、時に怠けることを自分に許すこと、それらに口実を作らないい事 お前はお前であって構わないと許可すること とにかく自分が満足すること、自分が幸せになることを許すことが大事になってくる。生きることを思い切り楽しむのは良いことだ。幸せ一杯になることは良いことだ。うれしい時には思い切り嬉しさを表現することは良いことだ。そして自分を惨めに見せることで他人の好意を期待することを止めようと、自分に約束することである。
自分の内なる幼児性に気づくことは大切である。自己実現とはそのように自分の内面の真実にひとつひとつ直面していくことでもある。なんだかわからないけれど不愉快だというとき、いったい自分はなにを自分自身に隠しているのだろうかと、一体自分はなにから目を逸しているのだろうかと考えることである。

ひとと親密になれる能力のあるひととは、甘えの感情が満たされ、そのあとほっといてくれという孤独の欲求が満たされ、それがたっせいされてから人と親密になれることができる。
内面のあるいと、家にいると身を固くしてしまうひと、それはまだ自分の親との関係が精算されていないひとである。いろんな点で親とのあいだに未解決の問題を抱えている人である。親離れできるとは、心理的に自立できる、自分で自分を頼りにできるということである。ひとりぼっちになっても心細くないということ
まず生きるためには、社会的挫折というものを見がちだが、心理的に挫折したのはどこだったかということをきちんと見極めなくてはならない。それができて情緒的に成熟することが出来る。

自分をかくしているひとは、他人の好意に甘えられない。そのひとの自己無価値感からか、自分の身勝手な利己主義を隠している。そういう場合、常に心の底にある自分を自分にも他人にも隠して生きている。心の底では自分は他人の好意を受けるに値するような人間ではないと感じている。そうすると他人の好意に接すると不安になる。また、そういうひとは自分がしっかりとその集団に所属しているという感じを受けることができない。自分の周囲の人々、或いは貢献するからこそ、その仲間に受け入れられていると思っているのである。自分がいては迷惑だ、すまないというのは自分を拒否しないでくれと同義語になる。そういうひとは自分が自分のままで受け入れられ愛される共同体を小さい頃持てなかったのである。共同体は企業のような機能集団とは違う。共同体はいるだけであんじて売れ入れられることをいう。相手の目的に叶わなくても自分はあいてに受け入れられるのだということを知った時、人間は救われる。それこそが愛と言う名にふさわしい愛なのである。自分のやりたいことと、相手が自分にやることを期待していることが違った時、自分のやりたいことをしてしまうのが相手の好意に甘えることである。いま、目の前にいるこの人は自分の周囲にいた我執のひとのように、自分が尽くさなければ激しく拒絶するひとではない。自分が尽くさなくては私を相手にしてくれないという人ではない。私はこのひとの期待を叶えようとして緊張しなくてもいいんだとかんがえられるようになれるか。
そして以外に多くの人が他人は愛されても自分は愛されないと感じている。そんな被害妄想的な意識が案外多くの心のなかにある。

最後に、自分を頼りに生きようと本気で心がければ、貴方を愛してくれる人と出会えるかもしれない。しかし、自分を頼らず捨てられる不安でいきるならあなたはいつも犠牲者のままだ。ある人々との別れというのはたとえどんな人であっても寂しいものである。しかし、その空白はこれから出会う人々によって充足していかなかればならない。
自分が言っていることの嘘に自分が気づけばほとんどのことはうまくいく。



2013年6月12日水曜日

ぐっどうぃる博士の恋愛相談室 読書メモ

ぐっどうぃる博士の恋愛相談室
男が本当に考えていることを知る方法 読了

はじめは恋愛の話から始まって、最後は因果律、縁、祈りの話になって終わる。
なかなか興味深い本だった。



生命科学の考えかたを援用し恋愛相談室に載る本

考えかたの基本線は、人間は自分で考えているようでいて、プログラムに沿って動いていると捉えている点。恋愛(人生)で苦しむ大きな原因は無知であり、それはスキルとして身に付けることができる。

落ちない男を落とす方法

見た目を磨く 綺麗ということはセルフブランディングができているということ
彼に気があるとバレるな  男の本能は狩猟
価値観世界観を褒める 
劣等感と過去の傷をさぐり、慎重に扱う
中身を磨く 男心を知り、男を許せるか、男性をそのまま受け入れる能力があるか
駆け引き

相手の中に恋愛回路を作れ。そして自分のなかにある恋愛回路を小さくせよ
恋愛回路はろくなことをしないので、距離をとり、自分を客観視することができるようになれば相手に惚れすぎずほどよい恋愛ができる。愛と執着を取り違えることもなくなる。

逆に相手のなかに恋愛回路を作れば、男性の心を動かすことが可能になる。
相手があなたを好きでいること
手にはいりそうで、手に入らない距離感をつくる 手に入れたものには興味を失う
彼にとって貴重な存在でいること

典型的な恋愛の流れ
1女性の見た目を好きになる(それには性格の良さも含まれる)
2その女性を抱きたいと思うようになる(ただの性欲)
3女性が手にはいりそうではいらないことで恋愛感情が生まれる
4男性からきちんとした意思表示をしたうえで付き合う(相手の覚悟を迫る)
5身体の関係をもち、上手に恋愛を続けると愛情や執着が深まる
(彼に尽くし過ぎない、駄目だしをしない、手に入れたと思わせない)
6女性から一方的に離れたりすることで、突然つよい執着心が芽生えることがある

しょせん人が人を好きになるなど執着でしかないというのが、ぐっどうぃる博士の根底にある考えかたの一つだ。

男の建前と本音
言葉はひとを動かすために使われる。ただ、行動では嘘をつくことはできない。

駆け引きの仕方

まず相手を知り自分を知ることが大事になる。

駆け引きをするために、相手の情報を収集する。
見た目は固有の因果を生む。
価値観や世界観を知るために会話をする、最終的にはその人の哲学までたどり着くと最高だ
其の際は、自分の感情は読まれないようにすること、感情を読まれることは不利に働く

それと同時に自分自身を知ることをしなくてはならない。 
性的な魅力、人間的な魅力は大事なファクターになる。
ほとんどすべての人は本人のコンプレックスは見抜き、それを本人の前では語らない
相手はあなたをある役割をとおして見る。
批評の言葉は、評価している人の価値観を映す鏡である。
自分を知ることは究極的には不可能であるが、近似値まで近づくことはできる。

相手の情報を集め、それをシュミレーションをしてみる。自分の心のなかで動かしてみる。
そして、行動してみてシュミレーションどうりだったかを確かめる。PDCAサイクルを回す。
人は基本的に感情で動いている。だから感情を思い浮かべることが重要になる。

シュミレーションができるようになったあと、シナリオを描く。相手を物語のなかに引きこむ。
シナリオは長期間で見ることができるひとが強い。
そして行動を一貫させる。言葉は嘘をつけても行動では嘘をつくことはできない。

嫌な相手から告白された場合。相手を傷つけることはしょうがない。早めに引導を渡すこと


ひとは感情で動いているが、その感情をコントロールできるようになる必要がある。
ひとは道理や理屈では動いていない。基本的に感情で動き、そのお化粧として理屈をつけているだけだ。人間関係では誰が正しい、間違っているというよりも、相手がどう感じているか、相手にどう感じさせているかが重要になってくる。

基本的に男性は,女性に尽くして喜ばれるときに快感を味わう。
そしてそれに対して喜び、ほめられた時、本能的に自分の能力が認められたと感じる。

不幸な恋愛をするタイプ
1人は何かに依存しなくてはいきていけないが、それが恋愛の人
2精神的に弱い 誘惑にすぐにまけてしまう
3人間のこころをわかっていない
4過敏に反応したり、感情的に行動してしまう
5ネガティブな考えに支配されている
自分以外のせいにしてうまくいかないと考えるタイプと、自分で自分にダメ出しをするタイプにわかれる。自分で自分を駄目だしするタイプは、人から駄目だしをされるのを恐れるあまり、はじめから自分に駄目だしをしてしまう。そして、自分の言葉を信じるようになり、心が破壊されてしまう。
対処法は、楽天的な友人と交流をもつこと
人間は基本的に自分のことにしか興味が無いという性質を知ること
6自分を知らない
7他人のこころが理解できない
8弱い男と関係を持っている 「自分が被害者だと思っている人間が一番怖い」

女性が男性を選ぶ方法

サバイバルスキルをもつ男性、自分にとって心地より時間を提供してくれる男性を選ぶ

見た目 、生まれつきのものと、服装や筋肉などのように後天的に身につけたものがある
優しい男性 多くの場合、男性の優しさは欲の裏返しでしかない。
能力のある男性 ただ、それをどこに振り分けるかは男性次第
夢を語る男性 具体性のある夢か 言い訳のための夢か
誠実な男性 束縛するタイプ 非常にモラルの高いタイプ 過去に恋愛で傷つけ傷ついたタイプ


どんな男性がいいか。
恋愛で痛みを味わい、そこから学んだ男性を選ぶと良い。


運命とは何か

自分たちの運命を決めているのは、お金、生育環境、性格、見た目、兄弟構成、知性、運動能力などそれぞれが固有にもつ要素からその人の行動や思考パターンが生まれてくる
そして、その行動、行動によって生まれる性格、性格によって作られる人格 によって因果律が決まってくる。だからその因果律を変えたければ、まずじぶんのもつ因果律の中身を知ることである。自分のもつ因果律を変えることによってしか、人は変わることができない。

意思決定は基本的に感情が行なっている。そして根本には欲望がある。欲望が感情を沸き立たせ、感情の満たすための選択が行われる、その仕組みはかわらない。なので、人生の知恵としては自分がどうしてこういう選択をしているのか、それを徹底的にふかく知り、なぜ自分の行動がこうなっているのかを知る知恵を身につけることである。あなたが幸せを得たいなら、貴方にとって幸せとはなんなのか?を知ることが重要になってくる。自分を知り、自分の世界観を知り、自分の選択のStyleを知り、それがどういう経緯で生まれたかを知る。それができると自分に合った幸せというものを見つけることができる。

縁について

諦め
すべてを得られるわけではない。
出会った人とは必ず別れる。だからまず、自分を大切にする。
すべては一次的で次々に変わっていく
手に入れたもので満足するものはない

もうひとつの方法

祈り 毎日祈ること、神という絶対的な存在を作り出し祈ること




ゴールデンタイム 3 仮面舞踏会 感想

ゴールデンタイム 3 仮面舞踏会 読了




なんというか、2巻の告白が実り、なんと万里と香子が付き合うことに!!!
まさかというかこういう展開になるのは、もっと先延ばしするのかと思っていた。
一番クスっとしたのが、香子の両親が万里と付き合うのに反対している理由が、
香子に付きまとわれたら万里君の人生がくるってしまうという自分の娘を超絶綺麗だが、精神的にはだいぶ不器用極まりない他人に迷惑かけちゃう存在だと考えている所が笑えた。ラノベなのに、竹宮ゆゆこの本には両親が出てきて、そこが読んでいて落ち着くが、とらドラの時ほどは親の影響は出てこない。

それにしてもイケメンな設定なのに、柳澤が性格的にそんなに成熟していない平凡で人間臭い点が愛着湧くなあ。
もう3巻までくると、基本的にはファンしか読まないようになるし、性格もきちんと把握することができてくるので、みんなが生き生きと動き始める。
岡千波はアニメ声のちっこい可愛らしい生き物にも関わらず、けっこう自己顕示欲が強いし。

リンダこと林田奈々と記憶を失う前の万里のあいだにあった愛情と友情のいっしょくたのものを幽霊になった過去の自分という存在が気にかけて、そこがこの巻のキーポイントになっていく。

過去の親友と恋人のあいだのような人が記憶喪失になり、そして一年後別の出会った時、女性のほうはその過去を思い出さないように初対面かのように振る舞っていたこと、その嘘が万里が静岡の実家で写真を見つけることでバレてしまって、

万里自体、自分自身の過去が失われてしまったことに対しての悲しさをもっており、いまの自分は仮初めであり、周りの人は昔の自分が返ってきてくれることを望んでいるんだと思ってしまっていることなど、ただでさえ自我が怪しくなる時期に拠り所である過去を失った青年というのはどう生きていけばいいのだろう。そのために逃げるように親元を離れたのに、母親は以前と変わらないように接してくれるのだ。
いまの自分を愛してくれる香子と、過去に愛していた(ただ親友どまりだった)リンダのあいだでどんどんと揺れ動いていくという話につながっていく。

夜になり、下宿先での飲み会、そこでの会話、そしてベランダで話たりする、何気ないことがものすごく美しく懐かしくなってくるのだろうな。対話をすることを竹宮ゆゆこはものすごく重視している。だからこそ、とらドラ!が名作になったのだろうし、いまはまだとらドラ!の期待感で読み進めているだけだが、どこかで大ブレークしてくれると期待しながら読んでいこう。





円安VS円高 読書メモ


円安VS円高

どちらの道を選択すべきか 読了

初めて藤巻氏の本を読んだ。宿輪先生の宿輪ゼミには十回くらいでているから宿輪先生の話は既知のことでもある。
日本は量的緩和政策をずっと続けていたが、それは銀行団やゆうちょ銀行に流れて、結局は外にお金が流れず、円安にならなかった。そして今は国債の日銀の市場買い付けを求めている。これによって基本的に国の財政規律はどうなるのだろう。。。
結局は、どうしても社会主義国家のように国が政策をコントロールしうる半官半民の企業がある以上、真の資本主義国家にはなりえず、為替の自動調節機能が働かないという主張。

たしかに藤巻氏のいうように通貨政策で、円安誘導に持っていったならば、輸出企業の景気はよくなるだろう。だが、残りの国内サービス業は?国内市場がどんどんと縮小していっているのだし、国力に応じた円の水準になるべきというのは理解できるが、現在の貿易赤字http://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_eco_bop-balance状態で、円安が進むというのはより大きな赤字を生まないだろうか。

そして藤巻氏の基本的にすでに日本には赤字が900兆円あり、インフレや景気上昇で長期金利が上がるので国債を償還することができない状態になっており、すでに破綻している、すでに遅すぎたというのは納得できる。http://econdays.net/?p=8509 ここに同じような記事が載っている。

ただ、通貨庁を作ろうという案は面白いのだが、官僚の知り合いなんて一人もいないからそれが有効なのかどうなのかはよくわからない。ただ、通貨のことを専門に考える集団があるのは悪くないなと思う。

ただ、日本は国力が落ちており、貿易赤字国に転落しており、アメリカがシェールガス革命がうまくいけば資源大国になり、ドルが強くなることになるので、早晩円安傾向は続いていくと言っているし、累積赤字が膨大で円安傾向にして、日本を安く売ることで経済を活性化させようとするのは悪くはないアイデアだし、そうならざるえないんだろう。

この方の言っていることは、経済の状況に合わせて為替がうまく変動するようにしていくよう政府が介入も含めて政策を実施しましょうということなんだと素人ながら感じた。

宿輪先生のほうは基本的には為替相場よりも、企業の競争力の源泉は生産性にあるという考えかた、円高を容認しているのではなく、円安になろうが、気概をもって競争に打ち克つ革新を進めていかなくてはならないという考えかた。
安倍政権の三本の矢の三本目の成長戦略や構造改革を行うことでしか、一旦円安で一息つけてもその後ズルズルと低位均衡に陥ってしまい、衰退を招くだけだと言っている。
そのなかでTPPへの参加は、シェールガスを輸入できるメリットも含め、自由資本主義社会へと日本国を変革することの起爆剤になるのではないかと踏んでいる。なにより経済政策のなかで重視すべきは、雇用の安定・拡大だという。海外からの投資をどれだけ募り、そこで雇用を生むことで需要を喚起することができると考える。

そのためには、透明性の確保、規制撤廃、法人税含め地方分権化による各地方での競争、
各人に与えられた時間をつかって絶え間ぬ自己鍛錬と成長。そういった生産性をあげ、イノベーションを起こす環境作ることで経済を復活させようと考えている。

藤巻、宿輪両先生とも日本は社会主義国家であり、真の自由資本主義社会に変革しなければ、今回のアベノミクスも失敗に終わるという点では一致している。
そして、その改善方法は、藤巻氏は円安にして企業業績、雇用の拡大安定をもたらし、余力をもって資本主義へ改革に望むべし。
宿輪先生は、この苦境こそが、資本主義へ改革をする大きなモチベーション、危機意識に繋がり、生産性を向上させる機会になると踏む。
道筋が違うだけで、どちらにせよ経済政策とは、雇用・雇用・雇用なのだよな。







生命保険に関する本二冊 読了

生命保険の罠 読了




保険に自分が入らなくちゃいけないなと思って、でもなにに入っていいのかわからず、勉強の為上記二冊を読んだ。

結論として、結婚していない以上、まだ本当の意味での保険はいらないのだなということがわかった。共済で十分賄っていけるくらいだ。




まずもって生命保険についての割りの合わなさというのを感じさせてくれる。
保険も一種の金融資産ではあるので、絶対的に有利な取引というのは現在では存在しない。そのなかでも生命保険に関しては、わかりにくさや「もしもの時」を大げさに言ったり、お祝い金(ただ先払いで支払っている金が戻ってくる)などで、誇大広告が多い世界などだと感じてしまう。
まずもって、難しすぎる。たくさんの保険パッケージがありわかりにくい。比較検討ができないようにわざと設計しているのではと勘ぐりたくなるくらいだ。

自分の私淑している先生が言った言葉に、その金融資産のことがわからなかったら買うなというふうにアドバイスをされた。そのこともあって、わかりにくいという保険はすべて自分の中から排除することができるようになった。

外資系ライフプランナーのコンサルティング方式の売り込みのマニュアル方法や、日系の大きな生命保険会社の極論を振りかざして相手を不安がらして加入を推進する方法などもさらっとだが、書いている。
養老保険は、基本的に貯蓄分と保険分の二本分のお金を支払うことであり、掛け捨ては保険分だけ支払う。ただそれだけの単純なことだったんだというのも、この本を読んでわかったこと。

保険の入り方というのは、貯金が間に合わないときに入るもの

保険の存在価値は家計の収支がマイナスになるような「多額の出費」貯金が尽きるような大幅な収入減に対応することに尽きる

保険の価値はその一点に絞って考えろということらしい。それならば理解ができる。

だから起きる可能性は低いけれど、影響は大きいという事柄については保険は極めて有効な手段なのだが、バランスというものがある。

保険のプロが入っているのは、バブル期にでた養老保険(保険ではなく金融資産として)
万が一に備える場合は貯蓄性など気にせずできるだけて低料金のものを利用する

保険の組み方
まず優先順位をつける
そしてあれもこれもと欲張らない

まずもってこの本で保険業界のことを勉強した。

其の次に読んだのが

生命保険のカラクリ





岩瀬大輔氏というライフネット生命を立ち上げた一人の本

まず、バフェット氏がインシュアランスが本業だったということもこの本で知った。
そして、生命保険を最も必要とするのは、子育て中の若い世代だということもわかった。
そして、万が一のときに生命保険に加入しているか否かで残された家族の人生に大きな影響を起こすこともわかった。でも、それは家族がいるというときのみだ。
人生で家に継いで二番目に大きい買い物、保険という言葉が印象的だった。
家を買うときは何度も検討して悩みぬくのに、保険に関しては、生半可な知識や義理人情で入ってしまっているのではないだろうかというのは胸に刺さる。
コチラの本は、生命保険業界の内情を書いている。利益率が8.9%と世界の会社に比べて突出して高い点、生保レディーを養うための人海戦術を維持するために高価格の商品をできるだけ売っていこうという会社業界側の意志、またバブル期に高利回り商品を出しすぎたために、運用損がでていて、それを今の保険料を上げることで賄っていることなどが書かれている。

やはりこちらでも、生命保険の理解し難さが書かれている。そして保障と貯蓄は分けて考えなくてはならないと言っている。保障は万が一発生確率は低くても発生すると大損害。貯蓄は起こる可能性が高い子供の養育費や老後の資金などが挙げられる。保障は、加入時点から満額の保障を得ることができるので、十分な備えを持っていない人が時間を買うために入るものとも言える。
そのため、ある程度時間を区切って必要な範囲に限定して加入することを勧めている。

掛け捨ては損というimageがあるが、基本的には保障を購入しているので、得も損も存在しない。貯蓄性の高いものはただその分多めに支払いをしているだけのことなのだ。


何に備えるか

1、いざというとき残された家族の為の所得補償
2,病気、ケガによる入院手術の保障
3,将来に備えるため

1は生命保険でしか賄えない
ただ、2に関しては、日本は公的な健康保険制度が充実しているので(高額療養費制度)(今時点)補助的な考えで問題ない。3に関しては、貯蓄は投資ですべきもので保険会社ですべきものでもない。

基本的に保険は保障の対価なので、純粋にお得な保険というのは、この低金利時代には存在しない。

そして最もよい保険は自身の貯蓄である。これはなんにでも使えるし、制約が一切ない。
それを用意できないために保険というのが存在しているのだ。

この本では保険業界が、バブル期に簡保や農協共済などと競争し、利回りを上げすぎて払いきれなくなり、契約者の不利になるような保険見直しをさせたり、死差益という推定死亡率を下回った時に発生する利益をそのバブル期の後遺症である負債に転嫁したりしていることなどが書かれている。
そして、最後のほうは、自社であるライフネット生命のメリットで絞められている。
保険は悪いものではないし、かと言って過剰に入るものでもないということがこの二冊の本から得た知見だった。

基本的には、金融資産だということで得も損もないこと
わからないものには、ぜったいに入らないこと
貯金こそが最高の保険だということだ。

それを学ぶことができた。














中学生からの哲学超入門 読書メモ

中学生からの哲学入門読了



竹田青嗣という哲学者がどうして哲学の道を志したのか
20歳くらいのときに一度自我が壊れるのだが、そのとき心の病にかかり、それから自己修復することを経験した。
もうひとつは、自分の理想が挫折して「世界」が壊れてしまい、運良く自己再生することが出来た。
この自我と世界の崩壊と再生の経験が哲学を志した理由というのだ。

このひとの挫折というのが、民族問題で翻弄されたこと、それによってマルキストになり一般の就職ができなくなったこと。

この経験で得たことが、人間が若いころどういう考えを正しいと考えとして持つのかははじめのたまたまの入り口に大きく左右される。はじめの「信念」をそのまま信じるな。一度検証し直さなくてはならない。

その時、アイデンティティと将来の展望を失った時に救ってくれたのが文学だった。
それとフロイトの夢分析だった。ただ、フロイトは無意識を発見したが、すべてを性的な抑圧で捉えてしまって、竹田青嗣の自己を説明することができなくなった。むしろ夢とは解釈は自分がどういう風にこの夢を見て、感じたのか、夢を見たことで自分がどう感じたかという自己確信がないとどうしようもないと気がつく。

そのなかで、自分の感情には、絶対にそうで思えること、なんとも確信のもてないこと、其の中間点というみっつの領域があると考えた。

確実なことを重視すれば、真理主義や科学、確信がないことを重視すれば相対主義、懐疑論になる。

ただ、確実か確実でないかという線引は、自分自身が持っているという結論に達する。

彼は心の問題は絶対的な答えは取り出せない。謎のまま、ただ、むしろ自分自身「ああ、こうだったのか」と納得できる自己了解の問題だと考えた。

まず人間がなにかを認識するという時、「事実を知るということ」と、「納得する了解する」という問題は本質的に違うということ。 「事実を知る」というのは誰が見てもこう見えるということだが、「納得了解する」は自分の中でこういう風に了解する以外ないという形でしか解決することができない。

人間社会の問題には真理を持ち込んではならない。人それぞれの真理を持っている。その多様な真理をどう他人と条件をつけて交換していき、共有していくか調整していくかが大事になってくる。

人間にははじめ家族、社会、友人などから自然に受け継ぐ世界観があり、その後本など、大学などを通じて世界に対する新しい見方を提示する、そして、その新しい見方がうまくいかない挫折がある。それはよく異性に対しての失恋という形をとることも多い。また、その新しい世界観への極度の献身を自己犠牲を要求され耐えられなく挫折してしまう形かもしれない。
その後、自分の世界というものが破壊されつくされた後、自己修復力によって世界が復元されてくる。生きている限り、食べ物を欲するように世界は必ず復元してくる。そういった欲望を人間には備
わっている。

そのとき、そのひとにとって何が大事かというと、どんな欲望を持っているのか。
その欲望は世界が再構築されないと見えてこないが、再構築するカギは欲望であるという
相関関係をもっているという。


次は宗教と哲学の違い

哲学とは、自分自身について自分で深く考える方法

宗教は死んだらどうなるだろうという自我の不安から生まれた
結果として物語として、世界の意味をあたえられる。
そこには哲学とは違って、真理が与えられている。

哲学とは、概念をつかってどういった原理でうごくのかを普遍的な考えかたを探し出していく。

そこに大きな違いがある。宗教が真理を求めるゲームだとしたら、哲学とは概念を用いて、原理を置き、過去の哲学者の考えかたに対抗した新しい原理を用いて説明するゲームである。

そして哲学で最重要なことは、世の中にははっきりとした答えを見いだせる問と、問うても決着がでない問があるということ、この原理が腑に落ちれば、ひとはどれだけ聡明になれるか


なぜルールがあるのか

哲学というのは、ルールがあり、それぞれのキーワードとなる原理を持ち寄り、少しずつ鍛えていくものであるという。そのなかで本質を見つけるというのは絶対的な認識を見つけるのではなく、みんなの中に共通の了解を作り出してゆくことになる。
もともと言葉のゲームだった哲学は、なにかを言い当てる道具ではなく、個々人の経験を共有していくための道具だった。

民主主義の社会では人々は平等で自由だと認められている。さあ、それは誰が認めたのか?特別なひとが認めたのではなく、相互にお互い認め合っていること、多くの個人が関わるのでルールが発生する。ルールなので、人間はべつに平等で自由であると誰かから認められているわけではない。それで、自分の親や学校はルールを制定し、自由の相互承認をできるようになってからはじめて、そのひとにも自由を与えられるようになる。
そして社会のルールの設定の仕方はどれならば大多数の人がまず納得するよりほかないというモデルを探すことになる。多くの人間の自由と価値観の違いを前提としてこれならば誰もが認めざるえないものとして可能な社会モデル、社会の理念こそがルールになりうる。

またルールには社会的なルールのほかに自己の内部にルールを持っている。それをヘーゲルは身体的欲求、自己欲望だと言った。また親からの教育、生育環境によって自分独自のルール、見方をつくってしまう。それは性格とも言えるものかもしれないが、まず自己の見方を見つめることではっきりと理解することはできる。自己ルールとは言い換えればよい、わるい、美醜のルールになる。その自己ルールを他人と交換しあい、批評し合うことで調整しあっていくことができる。ひとは友人と自分のルール(原理)を批評しあうことでしか、自分のルールを見ることができない。

そして人間の欲望は自己価値欲望といえる。それには他者の承認が必要になる。承認をもとめるゲームになっていく。そこで、近代哲学は、肥大化する欲望をどう抑えるか、他者の欲望を認め、そのうえで争いが起こらないようにしていく社会のシステムをどう構想していくのかが問題になっている。人間にとって他人の存在は生きることの根本要素 自分に承認を与えてくれる唯一の存在だが反対に承認を奪いうる唯一の存在でもある。
社会とは欲望の普遍的競争であり、人間を突き動かしているのも欲望によるものであるという。そのなかで必要となってくるのは、自己ルールのなかの原理を取り出して見ること、そしてそれを他者との関係性のなかできちんと維持構築できるようにしていくこと、そのときに原理を考える哲学的な考えかたが物凄く有効になってくる。

幸福とは何か

自分についての物語=歴史こそが自己理解の中心部分になってくる。
生きるということは自分の過去=歴史があり、そこに意味を見出す物語を作り出すことに寄って生きることができる。
主体的生き抜くには、自分の意志をもつことの重要になる。
ヘーゲルがいう自由とは
自由な意志によって結合された家庭 自分の意志による職業選択 国家の一員になること
だったのだが、現代社会ではすでに自由は達成されてしまったことでもある。
そのなかで資本主義のお金への欲望が持ち上がってきた。
ただし、この欲望は競争が激しく、ほんの2割程度のひとしか満たすことのできないものでもある。そのため、この欲望を一度再検討しなおす時期を持たねば幸福になることどころか不幸になってしまう。
ここで大事なのは、再度自分の意志を持つことではないかという。
第一に自分の言葉をしっかり蓄えること、第二にフェアな友人関係を大事にして、其の中で生き方にたいして批評しあうこと

人間は欲望を抱くのが自然なので、それに振り回しがちになってしまう。それを再検討しなければ、自分自身が欲望の奴隷となり、マスター(主人)とは成り得ない。
再度、自分自身の必要な欲望を吟味し、それを執着していないかを点検しつづけなくてはならない。それをしてこそ、自分の生への意志を持つことができるようになる。

自分の欲望がほんとうに自分を活かすものなのか、他人との関係をスポイルするようなものではないのだったら「ファンタジー」だったと考えてしまっても良い。社会は競争にまみれていて、その度合は年々増していく。自分の持っている才能と照らし合わせ、再度の自分自身の欲望への再検討をしていくことができるかどうか、第三の道として自分固有の欲望を見出すことができるかどうかが幸福に生きるかどうかに繋がる。

自分の意志を持つということは、自分の幸福の条件を才能や運に任せるのではなく、自分でよく掴み直すこと、言い換えれば自分で自由の条件を考え、作りなおすことにほかならない。





あまりに長くなりすぎて、まとまっていない文章だ。こういう読書メモは本当は30分くらいで本質を抜き出して書けるようになりたい。













社会を変えるを仕事にする 読了

社会起業家という生き方




社会を変えるを仕事にする 読了

駒崎弘樹氏http://www.florence.or.jp/ NPOフローレンスの代表
病児保育という問題にひとつの解決策を投じた人として有名。

彼の人生がどうやって学生ベンチャーから社会起業家という道に進むようになったのかの自伝
自伝を書くには早い気がするが、それでも彼は後に続く人を作りたいから自分の過去をきちんと本にのこしたのだろうか。。。

たしかに社会に役に立ちたいという思いは普通すぎるのだが、それがタニマチや寄付や補助金などに寄らないで、NPOであっても経営でありビジネスであるということをきちんとした形で実践された最初期の方だったと思う。一度公演を聞いた時、何度も経営感覚という言葉を口にしていたのを覚えている。

ほんの20年前は、まだあちこちで地域社会が生きていたのだが、経済が駄目になるにつれて、商店街もなくなり、地域社会が瓦解し始めた。それを政府が援助したのがスウェーデン方式だったが、日本の場合、そんな財政的余裕もなく、税率を高くすることもなかったので、放ったらかしになっていた分野だった。そこをこのNPO社会起業家という人種は埋めていこうと決意した。

そして、それの立ち上げのときの助成金の取り方、それをだまし取られそうになった時の話。ロビイングの重要性、商店街のひとと話すときにはそれなりの場にあった言葉使いやコミュニケーション方法があることなど、実体験を書いていく。なんか情けないくらいに空回りしていくのだが、その姿がなんとも面白く、自分で追体験しているような気分にさせてくれる。

いろんな人の支援があったのも、この社会性という意義そのもの理念そのものに共感してくれたひとが多かったし、それによって実際多くの母親が救われたという事実も合ったからなのだと思う。

ほぼほぼ同い年ながら、立派に社会を変えていることに感銘を受けた本

アイデアの作り方 読書メモ

めちゃくちゃメジャーな本



ジェームス・W・ヤング

アイデアの作り方

まず、アイデアは習得する技術であること。そして修練によってみがきあげるもの。
そして、アイデアに夢中になるタイプのひととアイデアに保守的な人の二種類に分割することができること

有名な言葉である

アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ 以外のなにものでもない。

そして第二の原理は既存の要素を新しい一つの組み合わせに導く才能は、事物の関連性を見つけ出す才能に依存することが大きいこと

アイデアを作り出す技術は5つのステップを踏む

情報収集 これは その仕事のために必要な特殊な情報。もうひとつは一般的な情報資料を集めることをいう。どんなものにも好奇心をもち集めていくと、組み合わせをする時の情報量が増え、新しいアイデアが生み出しやすくなる。

第二段階では、これらを咀嚼することが必要になる。個々の資料を眺めながら、それらの関係性を常に考え続け、違った角度で眺め、その意味を探し求める。其の際は、事実というものをまともに直視したり字義どおりに解釈しないほうが一層早く意味の啓示を得られる。

そのとき生み出された仮のアイデアは常にメモに書き記していくこと。それがのちのちの本物のアイデアにつながっていく

第三段階は、問題を放置する。無意識に勝手に働くことを待つ。そのときできるだけ自分の想像力を掻き立てられるものに心を移すこと

第四段階は、髭をそっていたり、街を歩いていたりするとき、寝床にいるときなど、アイデアが天啓のように降ってくる。それをきちんと記録する。


第五段階は、これらのアイデアを現実に適用できるように具体化させ、展開させるようにする。



河合隼雄 日本人とアイデンティティ 読書メモ




河合隼雄
日本人とアイデンティティ 読了



青年期に敗戦を迎え、世界に負い目を感じた
その後、西洋崇拝、日本嫌いになったが、
いくら努力しても自分は日本人であることを
認めざるえない。だからといって日本人は
素晴らしいという愛国者になるのではなく、
日本人は日本人なりの特徴を自覚しつつ
それを基にして国際性を持たねばならない。

欧米人が個としての自我をもつに対し
日本人は常に自他との相互関連のなかに存在する

欧米人が男性像ならば日本人は女性像で表す

日本人としてアイデンティティを確立するには、
西洋の文化を取り入れざるえないなか、
どうやってそれを文化のなかに消化しきれるか
にかかってくる。そのためにも、
もっと一神教の考えに取り組む必要性がある。

人間は様々なことを成し遂げることが出来る。
それでも人は死ぬ。そのとき、仮に持っていけると
というものがあるならばそれは「たましい」なのかと
仮定する。=それは普段意識できない無意識の集合体のことを指す

フロイトが幼児期に注目したのに対して
ユングは人生の中年期、老年期に注目した。
ひとは成人以後も一生発達していくと捉え直した。

日本には、西洋の考えかた、そして東洋の考えかた
その両方が持ち込まれており、生きていくためには
どちらか一方に与するのではなく、どうにかして
それらを統合するという創造を行わねばならない。

例えば場の論理として、全体のことをかんがえて自己主張を
抑えてでも場の平衡状態を保つ必要がある
反対に、個の論理では各人の自己主張を明確に言語化することで
平衡状態を作り出すことを目指す。

どちらが正しいというのではなく、二律背反したものをどうにか
統合していくことが、創造するということになる。

自己実現とは、単純な表面的な幸不幸ではなく、意識を越えた
無意識のうちに避けて通れないとおもわれる行動や相手を選んでいる。
それは、人間のもつ無意識の大きな流れであり、意識だけでは
対処することはできない。その大きな流れの中に自己がいるということ
を認識する必要がある。結果として、表面的には不幸になることも
あるが、精神的自己実現的には是となることもある。
が、対峙するとき必ず常世の幸せというものを願う必要がある。
その願いがあるからこそ、自己実現という捉えがたいものに
ひとつの形をあたえることが可能になる。

コンプレックスとは、自我の維持に危険を及ぼすものを意識しないが
明確に存在するものを心の奥底に眠らせ、それによって自我は統一性
を保つことができるが、無意識のなかに危険性は放置されたままになる。

コンプレックスは感情とつながり、意識とは相反する喜怒哀楽を表現して
しまう。ただ、コンプレックスになるということは、自身の人生にとって
大事なもの、危険を感じるほどのものだったため、これと向き合い、
自我との統合をすることでより発展的PROCESSに乗ることができる。

コンプレックスは基本的には、自我では捉え切ることができない。
そのときに自我が低下する夢の世界に飛び込む必要がでてくる。
夢がコンプレックスに対してなにを言っているのかが知りたく
なにがコンプレックスであるかはさほど重要ではない。
コンプレックスが個人の人生にどんな影響を与えているのか
そちらのほうが重要視する必要がある。

ただし、コンプレックスは簡単に捉えられるようなものではなく、
むしろ自己のなかにもう一人の自分を抱えていて、彼と対話するように
するように接する方が建設的になる。



想像力とは、あらゆる創造活動の源泉になっている。
そこにはどれが正解ということはなく、むしろどんな問題を探し出してくる
かそのことのほうに重点をおくべき。
その際、創造のためには、抑制者、または制約が必要となってくる。
それに対するぶつかるエネルギーによって対立によって物が創造される。

人間にとって己を越えた存在というものを知り、それとどう向き合うかは
大きな課題だった。己を越えた存在とのぶつかりは大変危険でそのなかで
死とも密接に繋がることもある。そのために、人間は儀式という方法を
開発した。
その儀式を聖と呼んだ。そして日常を俗とした。
その日常を脅かす存在として、自由である遊びというものができた。
聖も遊びもどちらも日常とは対立しているが、遊びは日常が強くなると
すぐに砕け散ってしまう存在でもある。
聖⇒日常⇒遊びという階層が存在する。

自分がこの世で生きていくためには我々自身を組み込んだ体系をもたねばならない。
自然科学は強力に世界を発展させてきたが、客観性ゆえに自己の入る余地がない。
それをイデオロギーという他人の体系ではなく、自己の中に世界と自分を組み込んだ
物語を作っていかなくてはならない。



その際、物語とはお伽話という形で語られる。それは表面的に見える世界のもうひとつ
別の世界を映し出すものである。
そこに語られる物語は、危険であり死と生の再生の物語が多数占めている。
人は何度も精神的に死に、そして生まれ変わり成長を続けていくからだ。
物語には、なにかを放棄する瞬間だったり、対決する瞬間が書かれている。
それは自分の人生のなかでも行わなくてはならないことを物語として先人たちが
書き示してくれたものだとも言える。
そこには、日常とは別の価値観が入っている。例えば老人とはなにもできない非生産的
な存在として捉えていることがあるかもしれないが、物語の世界では
なにもできないからこそ価値があるというふうに捉え直されている。


いまの人たちは、やるべきこと、やらねばならないことが多すぎて、やりたいことを
ないがしろにしている。やりたいことこそが心身ともに全人格が関わってくるので
それによって心が回復してくる。好きな事は人を活き活きとさせる。

河合隼雄はユングという人物の日本への紹介者ではあったが、
彼自身の心優しい文体で、魂の問題に迫っていき、間違っているのかもしれないが
自分の中ではたくさんの知見を得、また救われることが出来た人だった。


生きとし生けるものは全て必ず亡びるが、出来うる範囲で精一杯生きた生命に後悔はない。

死ぬときに後悔すること25読了

健康医療編

健康を大切にしなかったこと

たばこを止めなかったこと

生前の意思を示さなかったこと

治療の意味を見失ってしまったこと

心理編

自分のやりたいことをやらなかったこと

夢をかなえられなかったこと

悪事に手を染めたこと

感情に振り回された一生を過ごしたこと

他人に優しくしなかったこと

自分がいちばんと信じて疑わなかったこと

社会生活編

遺産をどうするか決めなかったこと

自分の葬儀を考えなかったこと

故郷に帰らなかったこと

美味しいものをたべておかなかったこと

仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと

行きたい場所に旅行しなかったこと

人間編

会いたい人に会っておかなかったこと

記憶に残る恋愛をしなかったこと

結婚しなかったこと

子供を育てなかったこと

子供を結婚させなかったこと

宗教哲学編

自分の生きた証を残さなかったこと

生と死の問題を乗り越えられなかったこと

神仏の教えを知らなかったこと

最終編

愛するひとにありがとうと伝えられなかったこと


ちょっと前にベストセラーになった死ぬときに後悔すること25 読了




ほぼほぼ目次を見れば言っている内容は理解できる。

健康を害するとなにもできなくなる。ガンは早期発見がベスト
そのためには、年に一度きちんとした人間ドックにかかること
怪しいサプリメントは効果が信用出来ない。
寝たきり、喋れなくなる前に生前の意思を表明してくれる

心理的には、 人生はあっという間だった
そのために自分の気持ちに嘘をつかない。
命の時間は決して長くはない。
人の心を惹きつけてやまないのは、やりたい放題の人生を送ったほうが
自分の自由に生きた人のほうが尊敬はされないが、愛される

夢を叶え切れなかったことに対しても後悔する。歳をとるたびに可能性が
へっていく。そのなかで夢を持ち続けられなかったことに後悔する。
中途半端だというのが、一番後悔する。

感情に振り回されず、平静の心を保ち、立腹することはしてはいけない。
他人に優しくすることと、生の終わりを敗北ではなく、完結と捉えるならば
死は恐るべきものではなくなる。

社会的には、葬儀の方法、遺産の分配も考えておく必要がある。
そして、死の間際には、過去を振り返ることが多くなるので
故郷に戻れるうちに戻っておくことも必要となる。
仕事一筋ではなく、趣味をもっておくと、己の糧になってくる。 
旅行も行きたい場所に行っておかないと後悔することになる。
悩みがあるなら旅にいけ!

人間としては、会いたい人がいたらすぐに会いに行け
会いたい会いたいと思っているうちにすぐに数年が過ぎ去ってしまう
本当に記憶に残るような恋愛をしてください。
結婚することで、ひとつの形を残すことができ、後々の後悔をしないですむようになる。
独身者の場合、子供を育てなかったことに対してすごく後悔をするようになる。
自由と孤独はいつも隣り合わせで、どちらかを立てればどちらかが立たない状態になっている。
子供が結婚していないことに対しても後悔の念をもつひとが多いことには驚いた。

出来る限り人生の総括は早めにしておいたほうがいい。
自分の生きた証でなにを残したいのかをきちんと考えておくべきだ。
そして自分の生の意味、死の意味をきちんと考えておくほうが後悔しなくてすむ。

そして、愛する人にありがとうといえなかった後悔
愛しているという言葉は魔法の言葉 


生きとし生けるものは全て必ず亡びるが、出来うる範囲で精一杯生きた生命に後悔はない。



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