2011年7月22日金曜日

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で  「普遍語」英語と「国語」日本語






日本語が亡びるとき 英語の世紀 二年前の小林秀雄賞。これが名著と言うやつか。英語に駆逐される世界主要文学のひとつ日本文学。
言文一致体は話し言葉と書き言葉を同じくしたものではない。夏目、二葉亭たち明治の翻訳者達が死ぬ思い出で作り上げた日本語で西洋語を読む為に刷新された文体。漢語を殺して作った言葉。今度は英語によって、その明治の言葉が死滅する。


文章を書くこと、書き残すためには、一番大事なのは読む人がいるかどうかだ。
知の図書館が、英語でできている以上、殆どの二重言語者たちは英語を読む。
英語(外国語)を読んだ物を日本語に直して日本語で書いた人々が明治期の翻訳者たちの文豪だった。
いまの知の探求する人たちは、英語で読んだことを、再度英語で書くことの魅力に抵抗できるのだろうか。
英語で書けば、読む人の数は全世界的に広がっている。
読んだあと、人間は書かざるえない。書かれたものはいくらか読まれる。また書かれる。
どんどんと大きく発展していく英語の知の図書館に、日本語の知の図書館は対抗できるのだろうか。


できないだろう。でも、できないなりに日本語を守るために、きちんとした日本語を教えていかなくてはならない。 
日本語は、明治期に古文と漢文を切り捨ててしまった。戦争後に常用漢字にしてしまい、旧仮名づかいを捨ててしまった。
読み言葉が違う以上、古典との接点がなくなった。それは日本語自体の豊穣さを失わせてしまう。


ふらんす 仏蘭西 フランス France  すべて同じ意味だが、 もっているイメージは違う。


ひらがなには、なよっとした女性的イメージがあり、 漢字には硬さ カタカナには強さ 
アルファベットには外的な雰囲気がある。 日本語は、音の数はとても少ないなか、言葉のかたちで
心情を表現してきた。 それが理解できる人間を作らなくてはならない。


それ自体が、いまの日本語話者に与えられた責任なのだ。 抗ってそれでも日本語が滅びるならば仕方ない。ただ手をこまねいてみている事はしてはいけない。


日本語で書く小説家の憂国の書だった。


一章アイオワの青い空のしたで<自分たちの言葉>で書く人々


この章は、まるで小説のよう。若干の憂鬱さが漂っていて、アメリカ中央部の白人社会と
小説家を目指すIWPプログラムに講師として参加したときの話が書かれている。


二章 パリでの話


パリでの経験 とくに過去の普遍語フランス語がどう没落していき、普遍語以外の言語を守ることが人間の知性を守ることになるという講演をした話。また、西洋文明に出会い、無理矢理にも近代化せざるえなかった日本人の悲しさ。日本語で書かれたものは英語圏では読まれず、英語で書かれたものは日本語圏では読まれる非対称きわまる関係。


三章 地球のあちこちで<外の言葉>で書いていた人々


国家論と国民文学論 話し言葉が書き言葉になるまでは、書き言葉は東アジアだったら漢文、ヨーロッパだったらラテン語。それが印刷技術から国語が誕生した模様を書く。
言葉の本質は読むことから「叡智のある人」に出会うことが出来た。叡智の求める人とは、精神的に高潔で勇気がある人格者ではなく、知らないことを知りたいと思う人の事を言う。そして、そのなかの幾人かが「叡智のある人」になる。叡智は知の図書館に言語として半永久的に保管される。
世界を支配する普遍語を現地語に翻訳する行為。これによって現地語が「国語」に成長していき、数学を初めとする純粋な普遍語をつかう自然科学に「文学」が対抗していった。
自然科学の拠り所は「真理」であり、文学の拠り所は「文章」そのもの。文学の弱さは、実際に読まれないと伝わらない。自然科学はテキストブックにまとめられるが、文学はテキストそのものを読まなくてはならない。


四章 日本語という「国語」の誕生 及び 五章 日本近代文学の奇跡


日本語誕生の歴史 とくに明治期、西洋への対抗の為に曲折しながらも生き抜いた事が日本近代文学を成立させた。


六章 インターネット時代と英語と「国語」


文学の終わり それは英語の世紀に入ったことにある。
「叡智を求める人」が英語で読むようになってきた。「国語」は倫理観や哲学、正義、思索をする抽象度の高い文章ではなくなり、口語として現地語へと転落していく。


七章 英語教育と日本語教育


日本語が「亡びる」運命を避けるためになにをすべきか。エリートが完璧な英語話者となること。海外の叡智をきちんと翻訳をすること。多くの日本人に対してはよりきちんと日本語を勉強すること。
「国語」としての日本語は亡びる可能性があることを認識し、その復興と保護に向きあうことが、「国語」保持のために必要になる。叡智を求める多くのひとが戻りたくなるような日本語を作り、伝えていくことが将来の世界人類のためになる。
それでも亡びる運命ならば、死にいくところを正視するしかない。

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