2013年5月25日土曜日

旨い仕事論読了


旨い仕事論読了
各人の仕事への取り組み方をインタビュー形式で記載
とくに飲食業に専念して書かれている。

和 道場六三郎の言葉

性に合わない事はしない、性に合うことをすれば心理的にも動きにも無駄がない
手を抜かず、ひとの二倍働く
相手ではなく自分を自身を変えていくことで物事は好転する
人間は追い詰められた時肝がすわる、なんとかなる という開き直りの精神
相手の気持ちを考えて行動すること

洋 北岡飛鳥の言葉

運命に逆らわない
心底好きなものは自然にそれをやらざるえなくいられるものだ。
プライベートが充実していると仕事が充実する
仕事が充実しているとプライベートが充実する

中 長坂松夫

信じた上司のいうことは100%信頼する
技術や知識よりも心構え
嫌なことを面と向かっていってくれる人=自分にとって大切な人
お前は料理はできないけれど、人を使える能力があるのはおまえしかいない。
そして21歳で料理長に抜擢
良いときにどう動くか、悪い時にどう動くか 相反する局面での働きで人間の大きさが決まる
自分のなかにある陰と陽の部分では陰を隠して陽をできるだけ表面にだせるかが重要になってくる


インタビュー形式なので、まずもって読みやすかった。各章に名言を散りばめているから、
その章の言いたい事をわかりながら読める。ただ、類似本はリクルートのプロ論などあるし、これを読んで知的な好奇心を得られるかというとまた別問題。
どうせなら、興味を持ったところには食べに行くか、つてを使って会う機会を作らなくては真意がよくわからないし、心に突き刺さって来ないと思える。

モテ本一気に4冊読み

モテナイ。
なので、モテ本を読みまくった。
書いてある内容をここにまとめておこう
うまく実行できなかっただけなのかもしれないのだから




女性100人に聞いた魅力ある男の条件 なにが彼女の心をうごかすのか?

男の魅力は自信に裏打ちされた精神的なゆとりから生まれる
女の子は恋をするとき、ヒロインになるからこちらも主人公としてそれに沿った行動をすること
特別、彼女のために行動するをひとつでも起こす
服装には、気を使い、背筋をきちんと伸ばして堂々と歩く

まずは聞き上手になり、相手を楽しませる気持ちを持たせる
本能的にもつ守って貰いたいという気持ちに応えてあげる
「端的にいえば父性愛」
嫌われるポイントはネガティブ思考
告白とは、好きだということと、彼女になってくれたら幸せにすることへの未来への誓い

本自体は人間の理想像が書かれていて、それに到達するための方法論は書いていない。
そこの方法論こそが、ニーチェが永劫回帰の究極のニヒリズムで、耐えうる思考実験を薦めているのに。。。だから理想を再確認するにはいい本だけれど、実践は難しい。



最初の一言をどうかけるか なぜモテる人 出会いの話術

ナンパの成功のためには、まず実践 恐怖心を乗り越えて告白する
失敗は糧として落ち込むべからず
モテる奴には金やルックスに頼らない強い決意がある。最後まで執着心を捨てるべからず
ナンパする前には陽の気分を自分の中に作り出す。感情コントロールが大事
そして、相手も陽の気分にさせる。
ストリートナンパの立ち位置から話題の作り方などさすが塾を開催しているだけあって実践的。
トークに関しては相手を安心させることを基本にする。
ナンパには執着心と忍耐力が必要だ。 しかし真剣になれば誰でも必ずなんとかなる。

この本は実践的であり、具体的である。なので読んでいて納得感がでてくる。
そして気持ち、実践の気持ちの持ち方の乗り越え方も体育会系ではあるが書いてある。
学がある文章ではないが、凄まじいパワーにあふれている本だった。



好きにさせる心理学
渋谷昌三氏というのは、250冊もこういう一般向けの心理学を援用したエッセイを書いている。
書いてあることは、平均的なこと。だから面白くはないがハズレはない
繰り返し目に触れることで次第に好意をもってしまう単純接触効果
でも、心理学書ならば、なぜ何度も会うと好意が発生するのかという説明が欲しかった。
初頭接触時点では、わかりやすい魅力が重視される。
相手と自分との一致性、類似性が大きな役割を果たす
類似性こそが恋愛のきっかけとなる絶対条件とよべる
なので、できるかぎり多くの類似点、共通点(性格、能力、容姿、趣味など)を持つ人同士は恋愛関係になりやすい。
同調ダンス 相手のしぐさを真似る(ミラーニューロン)が働くのだと思う。
不安なときほどだれかと一緒にいたくなる親和欲求をもっている。
やはりなんにせよ似たもの同士は仲良くなる。
恋愛には距離感が大事だが、物理的に距離が離れている時は視線の交差こそが親密度をあげていく。
人間には縄張り意識があり、45cm-75cm圏内に入ってくると親密なものでなければ不安になってくる。その不安感、ドキドキ感を脳に錯覚させ恋心と勘違いさせる方法もある。
相手の特定化 あなただからという感情は恋愛感情を生みだす。
好意の返報性 好きと言われたら好きになってしまう。
自我関与 相手とのコミュニケーションのなかでできるだけ深く自分の心を訴え、存在をアピールする。そうすることによって、自分で選んだという感情が強くなってくる
微笑み、肌のふれあい、視線 が大事になってくる。
恋愛感情は基本的に人間関係の一部であり、ほほえみは子供が親の注意をひくため、好意を伝えるためにあるのだ。
最後のほうは、影響力の武器でも紹介されたフット・イン・ザ・ドア・テクニックなどそういったものが書かれているので、この本を読み終えたので、途中で放り投げている影響力の武器を読み返そうと思う。

渋谷昌三の本は、単純明快。心理学の言葉をたくさん使って説明してくれる。
概念はよくわかった。その正当性はわからないが。
ただ250冊も書いている人だけあって、文章は読みやすい。一冊は読んでおいてもいい本かもしれない。







モテる男の会話術

こちらはコーチング理論を使った本
コーチング理論を広めたいため、一番みんなが興味のある恋愛を題材にした本
まずは女性は圧倒的に話を聞いて貰いたい。(人間誰しも)まず言葉が届いたということを確認したい。
コーチングには自分自身の内面を理解してもらうこと が含まれている。
自分の考えなのだけれども、なぜ生まれてきたのか?生まれてきてどこにいくのか。それはだれしも考えるけれど、忙しさにかまけてわすれてしまうものになってしまう。それを自分探しは意味が無いといって切り捨て、自分とは相手との関係性のなかでしか発生しないという発想に行き着くもよし、本当の自分があって、それにはぜったいに到達できない影としてそんざいする自分という考えでもよし、ひとのためになにかするんだという考えでもいいと思う。どれだけ自分自身と向き合えるかが大事なのだろう。

合コンは笑顔、自信をもって望む。これはすべてのモテ本で書かれていることで、笑顔はどれだけひとを安心させ、親密感を与えるかというのを経験則でみんな知っているのだろう。
合コンのときにきちんと自分の感情を相手に伝えてみてほしい。これは感情を揺らす効果もあるのだろう。自己開示としての親密感も湧かすことができる。
またもや、距離感の話がでてくる。人間にとってどれだけの距離感、類似点、共通点があるかが大事なのかがよくわかる。
何度も出てくる自分自身を誇示する、自慢だったり自分のことしか話さないということを女性は嫌がるということ。それはわかるのだが、動物は誇示する。人間だって恰好で無意識に誇示したりしている。こんど動物の誇示は良くて人間が誇示されると逆に嫌がる理由というのを知りたいと思う。
コーチングスキルに、相手を承認するというのがある。きちんと合コン相手のことをひとりの人格をもった存在として尊重しているか、そこが出発点なのかもしれない。
コーチングっていいな。受けてみたいと思った。

四冊をまとめて読んでみて感じたのは


ひとはポジティブであることが好き。
共通点、類似点が多い人が好き
笑顔、視線は親密さをアピールする道具
人は存在の承認をしてもらいたい。自分の話を聞いて貰いたい。

この4点が読んでいて人間関係を良好にして、モテるための秘訣なんだと感じた。



2013年5月24日金曜日

サークルクラッシャーの女の子の名作漫画


サユリ1号 全五巻

たった10年前の作品なのに、もう印刷することもなくキンドル版しかのこっていないというのが悲しい。

大橋ユキというすごい美少女で、いろんなサークルを渡り歩いてそこのメンバーのすべてとSEXをして男女関係、友情関係をぐちゃぐちゃにして、どんどんと色んなサークルを壊していく。そんな女の子がねらったのが、海洋冒険同好会だった。

どんどんと壊れていく関係のなかで、主人公の部長とその幼馴染の関係性にも変化がでてきて、それが最後の救いとなっていく。

村上かつらはどうしてこういう一般の人間、弱い人間のこころをうまく表現できるのだろう。

物語で、大学生活を経験できるというつもりで購入したんだったな。
人間関係に飢えている人には、漫画という形式をとっているので安心して読めると思う。

でもこの漫画とも卒業しなくちゃな。




2013年5月17日金曜日

古すぎる本 得する生活読了


得する生活読了
2003年の本なので、どのくらい法律が変わったか知らないから
今更読む必要はないと思ったが、マイルの使い方すら知らなかった自分には
第一章のクレジットカードに関する章は参考になった。
また、

貨幣とは一種の信用であって、
ただの紙切れにすぎない。
それをみんな実体のないものに対して価値を認める信仰心が貨幣経済を作っている。

という考えも基本に忠実でこの一文でこの本の全てを表しているくらいだ。

借金を踏み倒すことで失うものはほとんどない。唯一は信用だけだ。ただ、貨幣経済は信用にこそが最大の資産であり、富を産む源泉である。

40を過ぎて金も地位も家族もなければ社会的な信用を得るのは難しい。

クレジットカードの法則
クレジット会社が得なことはあなたにとって損である
クレジット会社が損なことはあなたにとって得である。

販売店は、クレジットカードの利息分を商品価格に上乗せしている。カード払いの客が得をした分、現金払いの客が埋めているのだ。


一章 クレジットカードは世の中のカラクリを教えてくれた

クレジットカードをなぜあれだけ販売店は作らせたがるのか、そのからくりが書いている。

クレジットカードを選ぶコツは、ポイントの還元率、これが1%越えてくると良い。年会費無料は魅力的だが、還元率の割合と年会費を総合して考える必要がある。

そういうことを書いてあるサイトを貼り付ける。

それにハウスカードを組み合わせたり、金券ショップを組み合わせると、年利数パーセントの利益は得ることができるのだ。ただ、それがめちゃめちゃ手間がかかる。

目から鱗だったのは、海外旅行付帯保険はほとんど役にたたないこと。
医療保険がほとんどないからだ。
だから海外旅行に行く時はきちんと正規の海外旅行保険に入ったほうがよさそうだ。

マイルは第二の通貨
どのマイレージプランにはいるかはライフスタイルによるが、ロイヤリティの獲得のために航空会社はマイレージを積極的にやっているので、きちんと各自でシュミレーションしなくてはならない。
マイルの次は、格安航空券の生まれた歴史だ。それに対応するかのようにうまれたのが、もともと格安航空会社だ。マイルを貯めたかったら、宴会の幹事をやろう。それをカードで支払えばマイルはどんどんとたまり、タダで海外旅行にいくことができる。

世の中にはきちんと知っておかないと、損をするし、こうやって得をするものが生まれてくるのだな。それを痛感した一章だった。


二章借金から経済の秘密が見えてくる


この当時は、2003年当時消費者金融が盛んだったが、同じことを銀行がやり、なおかつ金利を安くしても、消費者金融に勝てなかった。いまではすべてのノンバンクが銀行傘下に入った時代からみれば隔世の感がする。

基本的に借金をすると、踏み倒したらブラックリストとして残るのは知っていたが、ホワイトリストのほうも金融機関相互で共有していたのは知らなかった。そして、いくら借りているかという情報はいまは知らないがこの当時はだれでもアクセスできたのか。それだけ債権者というのは、立場が弱く、返さなかったからといって刑務所に放り込むことができるわけでもなく、債権者は泣き寝入りするしかないのだ。

この借金も信用であり、貨幣経済はすべて信用によってまわっている。
何年も前の延滞によって信用情報が傷つき、ローンが組めなかったりするのだ。
まず借金情報は銀行金融機関以外の調査会社でも借金の個人情報は簡単に調べることができる。借金についてはプライバシーはあったものではない。

金貸しは利息が安い金貸しが良い金貸しだ。
民間金融より公的機関、無担保より担保融資、消費者金融より銀行ローン

この章は、連帯保証人制度の活用法などか書かれている。ただ、なにせ古い本2003年なので、いまがどうなっているのかの知識は得ることはできないというのが残念だ。
債権回収は汚れ仕事

人間の醜い姿を繰り返しみることになる
人は借金を返さないように物凄い努力を重ねるものだ。で、会社からは回収して当たり前といあ風に見られる。確かにやってられない仕事。

信用情報を無効にする方法がある。
信用情報は、名前、住所、生年月日

このなかで住所、名前は簡単に変えられる。結果、信用に傷ついた情報を無効にすることができる。
国民マイマイナンバー制が導入が検討されているが、これが出来るようになると、個人情報の部分ではだいぶ厄介だが、いろいろな問題が解決するのだろう。だから導入したがってるともいえる。

世の中には金貸しより賢い人間はいくらでもいる。多少の知恵があれば金融機関を食い物にするのはそれほど難しいことではない。

金のない人間から金を取り立てる有効な方法は連帯保証人のハンコを押させることである。金や地位のある人間を連帯保証人にすることができたらどんな危ない融資だって回収に不安はない。

それに対抗するような方法として、自己破産の手続きがある。なんにせよ、法律につうじていれば、金の返せない弱者だったら借金がチャラになる魔法の方法はあるのだ。

不動産を所有するということは、固定資産税を支払いする、マンションなら管理費を絶対に払わなくてはならない、持ち家を推奨するのは、そこから金を吸い取ることができるからだ。

得する生活

人間が完璧ではない以上、市場は少しだけ歪んでいる。その歪みは利益を求める人々の行動によっていずれ修正される。他人よりいち早く市場の歪みを発見し、賢く利用することが得する生活の第一歩になる。

古い本であり、マニュアル本ではないと著者自身も述べている。それでも、このように市場と法律の少しの歪みを発見し、それを使って儲ける事が出来るのだという解説本としては最適だった。この本から橘玲が好きになった。

2013年5月16日木曜日

うつになることは生まれ直しを迫られていること


クスリに頼らなくても「うつ」は治る

いろんな欝に関する本を読みあさっているけれど、どの本でもいうのは、
考えかた、この病気というのは生き方を変えることを
自分自身から迫られているということだ。


今現在ほとんどのうつに対して薬物療法が試みられている
しかし何度社会復帰を試みても再発のため療養が長期化して
諦めの心境になっている人たちがいる。
薬物療法はあくまで対症療法であり、病根にはアプローチしないからだ。

そもそもうつがその人に生じたのはなぜだったかを探索し
自然治癒力を妨げているものがなんだったかを明らかにして行くのが、
精神療法と呼ばれる

そもそもうつとはどこか外から降りかかってきたものではなく、内面で生じた現象。
セロトニンのアンバランスという説明で済ますのではなく、
なぜ発症以前にはなかったアンバランスさが
その人に生じたのかを考えなくてはならない。


この泉谷閑示の考えかたでは、身体、心、頭、と分けて見る。

動物は心と頭で生きている
文字通りの一心同体で心と身体がつながっている

だから決して心と身体は対立をしたりしない。

ただ、人間は頭を発達させてきた。過去の分析や未来予想をすることで、
文明を作ってきた。
が、弱点があり、いまここ現在を把握することが不得手である

頭を表す言葉はmust shouldすべきだ、してはならない、に違いない
 主に論理的思考を司る

心とは、感情、欲求、感覚、直感を生み出し、いまここ、現在を見ることができる。
Like want to 、〜したい、したくない、好き、嫌い、
頭のように論理性がなく、結論から出てくる。


頭が強くなりすぎると、心をコントロールしようとして
頭対心と身体をいう図式を生み出してくる。
うつとは、こころと頭の対立によって生じてきている。

頭がコントロールして心を支配しようとしたとき
発生するストライキしてうつになる。


回復には、頭主体から心と身体の復権が必要になる。

あまりに頭の精神力が強い人が鬱になりやすい。
精神力が弱ければうつには逆になりにくいとも言える。

頭のコントロールに対応しようとしても聞き入れない場合、
心は身体にSOSサインをだす。
それが心身症と呼ばれるものである。

身体の不調をただ困ったことと受け取るのではなく、これは何を言っているのか?
という問いをもつこと、それを手がかりに自分の心に耳を傾けて見ること、
少しずつ頭と心の間の蓋が開き、調和の取れた状態になって行く。

自己イメージがあるべき自己イメージ一色になってしまい、
実際のある自分が見えなくなってしまっている。

〜すべき〜してはならないという頭の命令に常に従ってきた人にとっては、
じぶんの心の〜したい、〜したくないという声が聞き取れない。
まずはそれを聞き取れるようになると、遊ぶことができる。
遊べることは改善の一里塚とも言える。

鬱になりやすい病前性格

作業遂行上の秩序を重んじる、道徳、人間関係、責任など
社会的な秩序を重んじる傾向がある。

また道徳心の強さから、心から湧き上がってくる怒りや恨みも良心的であるべきだと
いう頭から却下されて、行き場のなくなった感情が鬱状態を招く

新しいタイプの遊びにいけても会社にはいけない性格の場合

対人関係への過敏さ、過度に他人にどう思われるかを気にする神経症、
不当に自己評価が低く自分を無条件には愛せない自己愛の問題を抱えている。
傷つきやすい繊細さ、他者からの評価を拠り所にする傾向が強く、
ときにそれが感性豊かな仕事を産んだり、人並外れた頑張りをすることもあるが、
しかしちょっとした失敗で挫折感を味わい、
人間関係による動揺が大きい敏感な性格傾向とも言える。

性格はその人の突出した資質であり、良い形で出れば長所、悪い形だと短所になる。
精神療法では、資質は変えられないが、良い方向にでるように
治療アプローチのガイドやサポートをしていく。

うつの経過中はイライラしやすい状態になる。怒りは心に由来するものであり、
頭と心の蓋が外れるとき、どうしても最初に出てくるものになる。
ネガティブな感情から先にでてくる。怒りというのも自然にでてくるもので
それを押さえつけることは問題があるのではないか。
怒りをだからといって周囲に撒き散らすことは社会性の問題が発生する。
自分でやる方法としては、日記を書くこと、
そこに心の吐き出しノートをつけること。
書くことは論理的作業なので、心で感じている怒りを言葉に落とし込むのは結構難儀なこと。
しかし根気良くやって行くことで、頭と心の協働作業が生まれる。

不眠について
眠るを死ぬことと捉えれば、今日一日をよく生きていなければ良く死ねない。
死ぬに死ねない状態になる。つまりは不眠になる。

なぜうつになると死にたいと思うのか?

死にたいという患者の心は積極的に死を望んでいるよりも、
終わりなく続く苦しみからとにかく解放されたいと思っている。
死にたいと思っているくらい辛いということに対しての
SOSサインでもある。患者自体も死にたいと言うこと自体に罪悪感を持っている。
それでもひょっとするとこれを話すことによってなんらかの救いが
得られるかもしれないと期待してしまう。

自己否定型うつ病の場合、発症以前から心に自己否定を宿しているので、
死にたいという気持ちは強弱はありつつも長期間もっている。
その場合は薬物療法よりも生育史を丁寧にたどって自己否定を明らかにしつつも
そうなる以前にあったはずの自然な自己愛を蘇生させる作業が必要になる。
もともと強い感受性と内省力をもっているので、しかるべきサポートを得られたら
病的な方向に発揮されてしまっている生来の資質を
美点として開花させることもできる。

努力に価値をおく視点

成功したひとは努力をしていると考える。しかしそれは努力ではなく、
本人はただただ熱中していたのを努力と見誤ってしまっているのではないだろうか、
人間は生まれ持った資質に叶うことであればそれを面白いと感じ、
資質に乏しいことには苦痛を感じる。努力信仰は、資質の乏しい方向に
無理に進むことを奨励してしまいかねない。
人間本来が備えている快不快のセンサーはその人の生き方についても
その人の資質にあった方向に導いてくれる。

うつは心の風邪?

うつというのは、心の風邪というが、長期間かかるため、
むしろ疲労骨折に近いとも言える。
鬱は完治というのはなく、病気の勢いが弱まった寛解という言葉を使う。
再発の可能性はいつでも残っている。

病というのは、何らかのメッセージを自分自身に
伝えるべく内側から湧き上がってくる。
病はその中核的な症状によって、自分自身をより望ましい状態に導こうとしていると
という考え方を取り入れてみる。

うつは元に戻るという考えると再発の可能性もある。
生き方や考え方が代わる生まれ直しという深い次元での治癒が必要になってくる。

うつの本当の病根は何なのか、そこを見極める作業は本人に任されてしまっていた。
それを精神療法を用いてきちんと治癒を目指す。

薬に頼っていると後ろめたさが出てくる。そのときは薬に頼っているのでなく、
クスリを活用していると捉え直す。
きちんとクスリを使用する事で状況が改善され、
あるところから必要がなくなってくる。
医師と違った中途半端な使用方法をしていると帰って長引かせてしまう。

うつでは大抵の場合、物事に対して拒否反応を示す部分というのは
だいぶ広がってしまっている。
そのマイナスイメージを絞り込んでいく作業が必要になる。
そうすると鬱を生み出した核となっているオリジナルのテーマが抽出されてくる。
そのテーマによってどういう社会復帰をするかを決めて行く。

適応障害について

適応障害の解決のためには、まず環境からストレス因子の除去が優先される。
だが、世間のイメージはどうしても本人がその環境に適応できるようになることが
治癒だと勘違いしてしまっている。

現実との関係を尺度にして人を判定する事は適応イコール正常と考える事になる。
その現実自体が、満員電車にゆられ、長時間労働をして、
理不尽な命令に耐えることだったとしたら?それは適応しているが、
人間性としてみて適応していると言えるのだろうか?


心理学で葛藤や抑圧とあるが、
頭由来の論理と心由来の感情が対立している、これが葛藤

抑圧は頭が心との間の蓋を閉めてしまい、頭の中は何の問題ないが、
心の奥底に問題を抱えたままにしている。

葛藤は人間的な意味では健康とも言える。
抑圧が進みすぎると、心の声の蓋を閉じてしまうがある程度限度を越えると
それは心と体がストライキを起こしてうつという身体状況を生み出してしまう。

鬱状態に陥ると、あまり意識しなくて済んだ
生きる意味を問わざる得なくなってくる。

人間の基本的価値観はどんな価値観が支配的な時代に人格形成期を迎えたか
によって少なからず方向付けられてしまう。
一度できた基本的価値観は時代が移り変わっても深いところではなかなか
簡単に変化しにくいものである。


しっかりうつをやるという発想

うつになると昼夜逆転になる。
治療を始めた当初は規則正しい生活をと言っていたが、
起こってくる症状に何らかの意味があるのではないかと思うようになってきた。
病気や症状にはなにか大切な働きをしてくれるのではないかと
しばし立ち止まって視点を変えてみる事が欠かせない。

何をやっても長続きしない。とくに自己愛がうまくいっていない人に多い。
かりそめのいい子でありたいという思いである時期は長続きしていた。
そのかりそめのモチベーションが自分を支配してしまい、
真のモチベーションがつかめなくなってしまう。

ニーチェのツァラトゥストラのラクダと獅子と小児のように、
ラクダとしての義務が果たせなくなった
疲弊した状態になり、義務の遂行が次第にうまくいかなくなり、
物事が長続きしない時期になる。
やがて、意欲減退、集中困難、鬱状態になる。この行き詰まりの極地において
ラクダは獅子に変化する。ただ獅子は強奪する猛獣なので、
怒り、苛立ち、攻撃性を帯びている。それまで自分を支配していた
龍を連想させるような対象に対しては敏感に怒りの矛先を向ける。
この状態を通り過ぎると小児、物事をあるがままに捉える事ができる
成熟した人間になる事ができる。危険だった獅子の獰猛さも
己の主体性が取り戻された事で自然に消えて行く。

復職の時期については、医師側の見たてと患者の思いが食い違いやすい。
治療の中でも難しいポイント。
復職したいというのは本当に心の声なのかを考える。
それが復職すべきという頭が心を偽装した声かもしれない。
その場合は、復職したいといっても身体がついてきてくれない。
心から復職したいと言える状態になるというのはどんなものか?

頭からではなく、心と体の真の休息がとれるようになると休む日々、
好きに遊ぶ時期が物足りなくなる、退屈になる。
社会と関わってその中で自分を生かしたいという欲求が強くなってくる。
真の心から発してくる決定は精気に満ちた状態とも言える。
逆をいえば、復帰と休職を繰り返したり、長い期間状態が改善出来ないケースの
ほとんどの場合真の休息に至る前に復帰をしたか、
社会化した頭が心に対して真の休息を許していない状態に
あるのではないだろうかとかんがえられる。

しっかりうつをやってみるという逆転の発想

病と闘うと考えてきたひとはこころと頭が対立したまま療養したつもりで、
むしろ皮肉にもうつを促進的な内部環境を作ってきていた。
まず、病に従ってみる、鬱に従うとは何もしたくない、
抑うつ気分や意欲減退に身を任せてみる
現代人の鬱は大まかにいえば頭によるオーバーコントロールにたいする
心と体の反逆というもの
次に動ける状態になってから、なにをしたいのかわからなくなってきた、
何もしたくないという気持ちになってくる。
そこで、頭は心と体に何が本当はしたいの?と問いかけるが何も答えてくれない。
何故なら長い間声をあげてこなかった心と体はいわば退化しており、
再び動き出すには幼児の目覚めに相当するプロセスを経る必要がある。
なんにでもイヤイヤという幼児性を経て、
徐々に一貫性をもった〜したくないが生まれてきて、
やがて〜したいという高度な自己主張が表明されてくる。

〜したくないの対象が絞り込まれてくると、その人の譲れないものが
ネガのように反転した形で見えてくる。
決して妥協できない中心的なこだわりが幹のようにあり、
多少の妥協は厭わない周辺的なこだわりが見えてくる。

絞り込まれたしたくないことは、その人の中心的なこだわりに反するもの。
したくないの声を手がかりに小さな声のしたいに耳を傾ける。

夏目漱石がいう他人本位こそが、
何もしたくないという空虚さ、不安感を生んでいて、
外から無批判で受け入れた知識や価値観を用いて生きるのではなく、
丁寧に咀嚼した我が血肉とよべるものを養成し、それに基づいて生きることにした
自己本位に目覚めることになった。
自己本位として漱石が言いたかった主体性の回復の大切さは時代が変わっても
大事なものである。

いまの私たちは未来に備えることばかりをしていて、
いまを生きることをしてきていない。
心と体はいまを重視するので、あまりに将来に偏った時、
内なる自然は警鐘を鳴らし始める。
内なる自然を信じて、生きていく。
身体にいい食べ物というのは頭で考えることもなく、
身体が食べたいという欲求で教えてくれる。
その日その時の体調によって必要なものを間違いなく教えてくれる。
大切なことは、その時の自分の身体がなにを欲しているのかというのを
歪みなく聞き取れるように心がけること。
身体の声が聞けるということは頭と心の蓋が開いている状態に相当する。

うつのみならず不健康な状態とは頭が独裁的に肥大化して、
心と体を無視した時に引き起こされる。

人間には何もしないという空白の時間があってこそ、内省や創造といった
内的作業が可能になり、ぼんやりと思いを張り巡らせて見たり、
自分自身と対話を行ったりする。人間はなにもしないということに耐えられるほどの
忍耐力は持ち合わせていない。療養が長引くのは自己コントロールという
頭の要素が解除できず、充電しながら放電している状況に陥っていると言える。

うつがなおるとは

病気以前の状態にもどるのではなく、
生まれ直しという深い次元での変化が真の治癒と言える。

自力とは自分の力を頼りにしていることで、
他力とは仏の力によって導かれている開かれた状態のこと
自力とは頭の意志や知力を頼りにし、
他力とは心と体に委ねると言った状態

鈴木大拙が自力を尽くしたところで他力が働いてくると述べた

鬱時点では患者はまだ自力を捨てず自己コントロールの主導権を握ったまま、
意地を張り続ける。この時期が治療の最も根気のいる時期になる。
いかに自力の根を切り取れるかが今後の経過を左右する。
動けない、なにもしたいと思えない、起きられない、この時点は頭が動くべきだ、
なにかしたいと思うべきだ、起きるべきであるとおもっている。
それが、動かない、何もしたくない、起きたくないと変化してきたら、
療養が良質なものになってきている。何故なら心から発せられている言葉だからだ。

それがこんな風に何もしないで過ごすのは快適だ、ずっと休んでいたいなあと
思えるようになってきて休みを満喫できるようになったら、
自力を捨て他力に身を委ねているといえる。

このプロセスを経るということは大自然の摂理で動いている心と体に対して
頭が畏敬の念を抱くようになり、大いなる流れに身を委ねる
生き方に目覚めることになる。
適応イコール正常と信じていた思い込みが脱落し、
適応イコール麻痺であることが見えてくる。
自力から他力に抜け出すことによって生来刷り込まれていた
思い込みの数々が再検討され、
物事の真の姿を新たに捉え直す動きがでてくる。

うつは、現代における重要な覚醒の契機のひとつであるとみることができる。

2013年5月15日水曜日

人生で行き詰まった時は逆が正しい



自分の受け入れ方読了

気になった文の書き起こし

人は生き始めるスタートラインが違っている。同じトラックを走っているように見えて、実は何周も違って走っている。到達する地点は違っている。だから、到達した地点ではなく、自分が走った距離でじぶんの人生を評価することをこの本は勧めている

自分を受け入れる
人に受け入れられるよりも、自分で自分を受け入れられた方がはるかに大切で気分が良い。
逆に自分で自分を拒絶するとそれが悩みの種になる。

自分を卑下しないで、人を認める。
自分を受け入れるためには自分を知る。
自分を受け入れられない人は親しい仲間がいない。じぶんの運命を受け入れられない人は仲間が悪い。心の底では孤独であり、憎しみがある。

自己を認めない人には、幼い頃からありのままの自分に価値が無いと錯覚をした。そしてその段階で心の成長を止めてしまった。長年に渡りつもりに積もった不平不満、心の不満の根雪を解決しようと一気に飛び越した考え方をしてしまう。
悩んでいる人の共通点は自分を受け入れていないことである。
ありのままの自分に価値を見いだせれば運命は光になる。
自分を受け入れられないで悩んでいる人が本気で解決しないとならないのは、仕事の失敗ではない、自分への間違った評価である。

人に認めてもらいたいと自分を偽るから疲れる。
幼児的願望とは、わがまま、頑固、おんきせがましさ、ナルシズム、依存性、いつでも褒められたい、注目されたい、求められたい、とにかく自己中心的なので願望のことである。

大人になって幼児的願望が抑圧されていると、表面は大人の振る舞いをしなくてはならないから憂鬱になる、イライラする。幼児的願望が満たされていないまま大人になると、我慢我慢の連続になる。いつも心に不満を抱えている。人間関係もうまくいかない。
幼児的願望が満たされなかったのは、その人の運命だったかもしれない。それにも関わらず、どうにかそれを克服しなくてはならない。人生は不公平に出来ている。美人もいたり不美人もいる。それに加えて幼児的願望を満たされて過ごした人もいれば、過ごせなかった人もいる。
それを運命だとして受け入れなくてはならない。

愛されなかったものは人を信じることができない。愛されて始めて愛する能力も出来てくる。
憎しみの処理は、愛されなかったものの人生最大の課題である。
幼児的願望の処理は人生最大の課題である。

生きづらさを和らげる方法

俺の人生は辛いと認めること、これが運命だと決心する。
だいたい人生はうまくいかないように出来ているものだ。

自分の背負った運命と闘うことが生きることである。

じぶんの精神の幼児性を認め、それを受け入れてくれる友人を選ぶ
自分に正直になり、心の底にある不満に直面すること、恨みがある。

アイデンティティはどう確立させるのか。
理想の自分と現実の自分を間違えないこと
なりたい自分といま現実の自分を勘違いしてはいけない。
ドン底に落ちた時、本当の愛が見える

愛されないで育った人が人生は不公平だと受け入れられた時、始めて救われる。人と比較しない自分自身の目的ができる。そしてその目的に向かって生き始めることで毎日が楽しくなる。

何より自分の過去を受け入れる、それが決断であり、人生最大の業績である。
人生の業績は人によって違う。人それぞれ違った運命を持って生まれてきている。だから、業績も人によってそれぞれ違う。

自分の脳は幼い頃からの長期に渡るストレスで生きにくくなっている。自分はこの脳で生きて行こうと決心することが、正常な脳で生きることを断念することであり、正常な脳で生きることを相対化することである。
決断と諦念、断念を通して始めて自分の人生を生き始めることができる。

生きることに疲れたあなたは、人生はそういうものだと覚悟する時にきている。不幸を受け入れようとする気になるとなにをすればよいか見えてくる。
私の人生は辛いと認めること。

人生はなるようにしかならない
ジタバタしても仕方ない
人生、寿命があるのでいつかは死ぬ
そう覚悟できたら心に余裕ができる

運命に逆らえば逆らうほど運命は過酷になる。人間が運命に勝てるわけがない。自分の運命にあった生き方を探すことである。

自分を受け入れない人は人生の目的を間違える。運命は逆らえない。運命はじぶんの方から進んで受け入れるしか生きる方法はない。覚悟を決めるとは口でいうは容易いが、実際はものすごいことである。自分の人生が悲しくて悲しくて胸が張り裂けそうになる。何度自分はこの人生の辛さに耐えたのか、そう思うと悲しさで崩れ落ちそうな気持ちになる。
これほど人は不公平に生まれている。これほど人は不公平に育てられている

初めは涙と共に運命を受け入れることである。そして、一人しみじみなくことである。涙が枯れるまでなくことである。


ゴリラがウサギとして認められようと長年に渡って努力すれば最後は無気力になるだろう。自分を否定する努力を長年に渡って続ければ生きるのに疲れるのは当たり前である。

事業に失敗したからこそのあなたなのである。あの大学に落ちたからこそののあなたなのである。それに悔やんでいるとすれば、あなたはあなたの指紋を悔やんでいるようなものである。
指紋が人それぞれ違うように人生は人と違っているのだ。

自分の人生の履歴はまさに自分なのである。成功の裏にも失敗の裏にも自分がいる。
あなたの失敗はあなた固有の失敗であり、成功はあなた固有の成功なのである。

何より大切なのは自分が自分として生きることである。

不幸な人は自分はこうあるべきだというところから出発する。だから生きづらくなる。

あなたの人生でかっこ悪いと思っていることがあるだろう。誰にでもかっこ悪いと思っていることはある。だが、じつはそのかっこ悪いということころがあるから、あなたはあなた自身なのだ。
なんという自己を肯定する力を要求するのか。
いまなりたい理想の自分は本当にあなたにとって望ましい自分なのか?むしろいまの現実の自分の方が望ましいことはないだろうか。理想の自分という解釈をもう一度考え直す事を勧める

あなたがいままでそのように生きてきたということが、そのままあなたの固有の人生なのである。あなたの過去を肯定するとはそういう事である。
だから、あなたは自分がいままでしてきた事の中に自分を発見できる。

自分が自分として生きているか、自分ではない自分を演じて生きているのかそれが問題である。
なぜ自分ではない自分を演じてしまうのか?
間違った価値の序列が自分の心の中にある。
実際の自分を卑下しているから自分と違った自分を演じてしまうのである。

人は段階を追って成長して行く。したがって幼児期から愛されなかった人は単に社会に擬似適応する事はできても心理的には成長しておらず、情緒的には成熟できない。
幼児期に愛されなかったひとにとってはたとえ大人になって大人の役割を周囲から期待されるのは辛い。
周囲から期待されたことはあなたの運命なのである。それを辛くてもそれを引き受けるということが運命を引き受けるということである。

人が自立し始めたときは本人は意識していなくても心の中ではものすごい闘いをしている。表面的にはなんの困難もないようにみえるがただ生きているだけでものすごいストレスがあって当たり前なのだ。
依存性から自立性へと移行するときは心のなかは戦場である。
自立性を獲得し始めた初期の段階では単に生きているだけでも必死の闘いである

いままでは人の期待に応えるためのストレスであった。人の期待に沿うようにすることに必死だった。無理をしていた。それは大変なストレスである。いままでは人の好意を得てその好意で自分を守ろうとしていた。そのためのストレスである。しかし自立性を獲得し始めたときには、自分の意見を述べるストレスである。自立性を獲得するとは人の好意を得るために闘うのではなく、自分の意見を通すために闘うのである。したがって結果がどうであれひとを恨まない。
自立性の心理状態になるとする事はすべて自分のためである。だから何事も自分がしたいからしたのだとなる。
自立性を獲得すると恩着せがましくなくなる。人を以前と比べて恨まなくなる。結果として人間関係はうまく行くようになる。

人はそう簡単に自立できるものではない。あなたのなかの依存への欲求はものすごい。
あなたはうつになるように、ノイローゼになるように生きてきたのである。それがあなたの運命なのである。だからまずうつだろうがノイローゼだろうが受け入れる

幸せとは問題のないことではない。問題を扱う心の能力によって同じことを幸せと思うひともいるし、不幸せと思うひともいる。
ものの捉え方で幸せか不幸せになるかが決まるのだ。

人間は自分で自分を苦しめている。
恨みを持って死ぬか優しい気持ちで死ぬかはあなたが選択することである。

おそらく悩んで不幸になっているひとは避けてはいけない問題の解決を避けてしまった人たちではないかと私は思う。
うまくいっている人生とは問題のない人生ではなく、次々に問題を解決していっている人生である。
生きがいとは問題解決の積み重ねのなかで味わうものである。一つの問題を解決することで人生に意味がでてくる。

擬似成長しているときには消耗が激しいから些細なことで落ち込む。擬似成長しているひとには生命力がない。
しかし本当は落ち込むのではなく誇りを持っていい。誰も好き好んで擬似成長したのではない。誰でも本当に情緒的に成熟したかった。しかしそれができる環境ではなかった。成長していないのに外だけは成熟したふりをしなければ生きてこれなかった。内面は幼児なのに成熟した大人の役割を演じるのは地獄である。このギャップのなかで生きるのはものすごいエネルギーがいる。幼児の頃から集団への献身を求められた人が大人になってどうしてエネルギッシュでいられようか。
死なないで生きていること自体が奇跡なのである。
生きることに疲れた人は、自分はすごいのだと気がついて欲しい。

そして、あなたの心の底に積み重なったゴミを焼き払いなさい。もう助けてくれと人に叫ばないで自分でゴミを焼き払いなさい。
人生はやり直しが効くのにどうしようもないと思っている人たちが多い。
この本は生きるのに疲れた人が自分を受け入れてエネルギッシュになるための本である。

2013年5月7日火曜日

塩野七生の時事コラム集2006年から2009年


日本人へ 国家と歴史編

時事問題をローマの歴史と絡めて説明する塩野七生流の文章

特に最初の後継人事について最高のものは、イエスキリストから初代教皇ペテロへ
ユリウス・カエサルからローマ初代皇帝アウグストゥス

両方共、相手の持っていないものをもつ正反対のものを選んだのだ。
ペテロは頭の切れないペテロをトップに据えて、回りの警戒心をとかせることに成功した。
アウグストゥスは病弱だが、無理のしない冷徹な政治家に渡し、ローマ帝国の礎を作った。

同じ事を小泉総理から安倍総理にできただろうか という時期の本だから
うまくできたのかどうか、一年で放り出したのだから失敗だったのだろう。
でも、その失敗が2013年の今となっては力強いリーダーとしての安倍総理の復活劇に繋がっている。

後継人事の難しさを感じる。素質はあったのだろう。それでもその重圧に耐えられなく辞めざるえなかった
第一次安倍内閣。その経験が二次内閣に繋がるのだから、歴史というものは面白い。

内容的には、ローマ人の物語を書き終えての後日譚 書き加えたいところだったり説明をしたいところを書いている。
あの15年にわたって毎年一冊物語を発行するのは苦労したかといえば、(とくに滅亡時)そんなことはなく
よくもわるくも歴史の愉快な男たちと過ごせた日々だったと書き記している。

歴史というのは流れさえ感知することができるようになれば、半ばわかったようになるようなものなのだ。
ローマはこういう歴史をたどった。紀元一世紀は力はあっても洗練度がなく、二世紀は力とともに洗練度も最高潮になる。
三世紀は力は衰えただ洗練度は最高を維持していく。

靖国神社問題についても語っている。自分が靖国に参拝したときに感じた個人的な意見だが、ここは死者の霊魂を鎮魂する
場所であることは間違いない。それに大してA級戦犯だろうが、なんだろうが戦争で亡くなった人を弔うのは必要だと思う。
ただ、隣にある遊就館は、大東亜戦争の日本の戦争の記録を残していることが問題だと思う。
それは、鎮魂の場所である靖国神社には似合わないものではないだろうか。ここは死者と生者の出会う場所なのだから。

本では第一次安倍内閣を買っていない。誠実のあまりに単純すぎる。民主主義の政治家は感性にうったえて得た票を
理性に基づいて権力行使しなくてはならない。「美しい国」という目標の抽象度の高さが人々には伝わらなかった。

その後、歴史の示す通り、一年に一回政治家が代わり、そのたびに日本の国力を落としてきて、
再度安倍総理にバトンが回ってきた。こんどは「美しい国」という抽象度が高いことは言わず、インフレ率2%経済成長3%と
いうような明確な目標を立てる強い総理大臣、期待の持てる総理大臣として返ってきてくれた;

ローマ皇帝たちを日本の大臣にしてしまうという遊びも面白かった。いまだローマ人の物語15巻読みきってはないけれど
それでもこういう人がいたのかという想像ができて楽しい。

こういう外国から日本を見てくれる日本人というのは、変にドライか愛国者のどちらかになるかのどちらかというが、
このひとは愛国者の部類ながら、外から見る情けない日本を書いてくれる(イタリアももっと情けないが)
だから読んでいて、溜飲が下がるがしながらコラムを読み進めていくことが出来る。
読んでいると、日本はほとんど注目されていないのだな。関心がまったくない。日本がアフリカに対して感じるくらい関心がない。
いくら地域的に真逆でも、日本はヨーロッパへの関心はまだ持っているのに、反対側はもっていないのか。

小沢一郎に大連立を福田総理と自民党との大連立を薦めているのは、先見の明があったと思う。
この時期に連立しなければ民主党は政権を運営できなかった。
負けた側からの手は受け取れないが、勝った側から差し出された手は受け取ることができるからだ。

2006年から2009年あたりのイタリアと日本の実情をローマ人の世界を見てきて返ってきたおばさんの目から読むのは楽しい読書経験だった。

日本人へ リーダー篇
http://yasu0312.blogspot.jp/2013/04/blog-post_2.html
の続編に当たる。

2013年5月6日月曜日

カウンセリングの手法一覧が書かれた本


立ち直るための心理療法 読了

「心の問題の原因は過去のトラウマにある」とする考えかたを立ち直るためには有害無害

身体の変調をきたして病気になるのと同じように、身体の一部分の脳が変調きたしてなるので
精神が弱い、育て方に問題が
合ったなどという立場は取らず、ただ器官の変調としてみなす。

そして精神科の薬は、原則的にすべて対処療法である

まずは、ありうる病状を列挙する。

うつ病

物事への活き活きとした関心が失われ、非常に悲観的になる
⇒脳内物質のセロトニンの減少なのだが、
ただ、脳内物質のバランスが崩れる原因はなにかまではわかっていない。

統合失調症

通常の意味の読み取りシステムの秩序が解体した事態
薬物療法によってむかしほど酷くはなくなり再び日常生活に帰ることが出来る
ただ、以前のような難しい仕事をするのは困難で一段レベルを下げる必要がある
発病率は全人口の1%

心身症

身体に異常ははっきりとでる。
身体の病気が心理的要因で必要以上に悪くなっている場合に使われる
医療や家族に依存しがちな傾向がある。

神経症

強迫神経症

不安に対して万全をきすことによって対処しようとする方法
それを何度も異常なほどに繰り返す
この病状のひとは考えるということに対して異常に熱心であり、感情に流されたりしない。

病気というよりも、特定の戦略(理性)に頼りすぎて柔軟さを欠けていることから発生している

恐怖症

元来、死というものは不安がある。それを特定の(犬)などに振りかえることで大きな不安から
自分自身を守っている。

森田療法

些細な現象を問題として気にする
症状に過剰に注目するようになる
症状を取り去ろうとして症状と格闘する
症状を自分にレッテルを貼ってしまう
症状と格闘することが自分の人生の目的になってしまう。

退却神経症

ひきこもりのこと、問題を棚上げする

依存症

アルコール依存症や関係依存などそれなしではやっていけない状態になっている。



心の病気の発病の原因はなにか?


心になにかトラウマのようなことがおこりそれが原因で病気になったという因果論
元々は19世紀のコレラや伝染病の病原菌
を見つけ出し原因を失くすことで改善していったモデルであるが、それだけだと心の病気は
改善していかない。

むしろ

生活習慣病をモデルにしたほうがいい。


其の原因が何なのか一つの原因に特定できないし、特定した所で特別治療に役に立つ
わけでもない。こちらの考えのほうが、心の病気を考える上では有効だと思われる。

生活習慣病の場合、原因がひとつではない以上、運動したり、お酒を控えたり、食生活を
改善したりしたりしていく。医者のちからだけで治るのではなく、本人自身が生活習慣を
改善するために色々とやって見ることも必要となる。
また、完全治癒を目指さず、病との共存くらいを目的としたほうがよい結果がでる。

発病の論理はあるが、それがそのまま治療の論理に繋がっているわけではない。
原因を究明して除去すれば、またはトラウマによって引き起こされるという考えかたは
間違っている。

それによって、人々が過去に受けた傷によって心の病を発症するのだという誤解を生み、
アダルトチルドレンのような宿命論的な考えかたを生み出してしまった。

PTSDでは有名な夜と霧があるが、アントノフスキーの健康生成論という考えがある。
むしろ逆にそのなかで健康を保った人間もいた。
それらのひとを研究し、ひとはストレスを受けてもそれを回避する方法さえあれば
逆にそのストレスをバネにストレスへの抵抗力を高めることができる。
人間にはストレスへ抵抗して自らの健康を維持していくような積極的な力が存在する
ことがわかった。

にんげんにはストレスを受ければそれを受けて病気になるという単純なものではなく
跳ね返すような力強さを持っているということを忘れてはいけない。

むしろ、病気になった原因の傷を数えていくよりも、
どうやったら健康を保つための武器を作っていくかを考えていく。

あくまで主役は立ち直って生きていくあなたであり、医者であろうがカウンセラーであろうが
それは貴方が生きていくうえで得る様々なサポートのひとつにすぎないのだ。

まず、精神病(うつや統合失調症)は突然なるので、医師の介入による治療が必要になる
ただ、神経症の場合、本人がどれだけ問題にしているかによってかわってくる。
問題視していたら治療をうければ良い。

精神病は精神科で薬治療 心身症は心療内科が専門領域にあたる
神経症はカウンセラーか医者かで分かれる 
依存症もカウンセラーか医者かで分かれる、またセルフヘルプグループ


精神科の腕の良し悪しの落差は他の診療科目とくらべて激しい。

腕の良い精神科医を探すにはどうしたらいいのか?
まずはユーザー情報 実際に治療を受けた人からの情報を聞く
つぎに大きな病院の精神科で外来の看護師さんたちが一番医者を身近でみているので
どのくらいの力量なのかが見極められる。

カウンセラーの世界の腕の落差はさらにひどく天と地ほどのちがいがある。

悪いカウンセリングには副作用もある。仮にパニック障害で悩んでいた所を、
トラウマをひっぱりだして、幼児期に受けたトラウマまで解決しなくてはならなくし、
余計に問題を増やしてしまったりする。
カウンセラーの見分け方としては、カウンセリングを始めて10分か15分話して
自分がどんな問題を抱えているのかが、ひとりで考えている時よりも明確になった
と実感が得られるかどうかにあたる。どこか的外れだったりすると、カウンセラーの
必須の傾聴する能力が足りていないということになる。

カウンセラーは言葉の専門家であり、ただ話をしていくことによって、其の人がもっていた
問題をうまくとぎほぐすことができることが可能になる。他者との対話によって解決の
糸口がみつかるように導いてくれるのが真のカウンセラーと呼べる。


心理療法(カウンセリング)とはどんなことをやるのか?

まずは言葉によるアプローチをとる。
フロイトの無意識と超自我(理想や道徳心で心をコントロールする機能)
超自我の検閲によって抑えられ発生した抑圧した願望を本人に気が付かせることによって
治療していく。方法としては、超自我が弱まる思いついたことをしゃべる自由連想法がある。

カール・ロジャースとクライアント中心療法

日本における主流
無条件に相手を受け入れる、そして、共感、自己一致
ロジャース派の人間観には人間の中には自然に成長していく肯定的な力がある
自己一致とは、自分の思っている感情と、心が実際に感じている感情が一致していることを言う
共感の態度をとることによって、自己不一致を起こしていた治療者が自己概念に合わないもの
に対して厳しく排除しなくてもよくなり、最後は自分自身に対して色んな隠し事をしていた人が
率直になり感情の流れに率直に身を任せられるような自然体の人間になるようにしていく。

ポストモダンセラピー

解決志向セラピー

トラウマ探しをせず、そのトラウマとの因果関係を証明することはできないのだから、
原因をあれこれ考えるのは無駄と考え、とにかくうまく行った例を試してみる。
当事者自身が過去に試してみてある程度までうまく行った方法を試してみる。

ナラティブセラピー

最終的には原因にあれこれ言及しても意味はないと考え、そのひとの言葉を客観的な
事実であるという保証はなく「物語」と考える。その人の今後の人生全体にも悪影響を
与えそうな問題の染み込んだ物語を別の物語に書き換えることを治療手段とする。
人生物語の書き換えをやっているうちに特定のストーリーのなかで見えなかったものを
色々ときがついてくるようになる。発想の転換をすることによってあたらしい可能性を見出す

自律訓練法

人間が体験しうる意識の状態には心身にプラスの影響を及ぼす意識状態がある。
トランス性意識状態 など と呼ばれている 催眠術師や坐禅を組むときに陥る状態のこと
このような状態の時、人間は心身は最も少ない心拍や少ない呼吸で酸素を始めとする
必要物質を身体のなかに行き渡らせている。とくに心身症の治療には有効
心身が波立っているような興奮した状態から穏やかな水面のような状態へと短時間で
静まっていくことを繰り返すことで心身は撹乱されてもすぐに平常に戻りやすくなる。
確実に効果はあるが、習得までに時間がかかる


トランスパーソナル心理学

私という意識をより拡大させ高次な精神的健康を保ち、古代の宗教が求めてきた
悟りや万物と一体化したような法悦体験こそが理想とする考えかた
チベット密教の瞑想や坐禅の呼吸法を取り入れている。
健康の人がやるのにはいいが、治療者がやるのは難しいと考えられている。

イメージ療法

リラクゼーションに相手を誘導してから、あなたが一番安心できる場所にいるところを
想像してください等と視覚イメージを浮かぶように誘導していく。著者が多様している
方法、肯定的なイメージ体験に誘導していくほかに、自律訓練法と同じような
非常にリラックスした意義深いイメージ体験が得られる

ボディーワーク

センサリーアウェアネス

身体からアプローチする、東洋の心身一如の発想
横になった姿勢からコレ以上ゆっくり立ち上がれないというほどゆっくり立ち上がり
また目をつむってゆっくりと横になるまでを目をつぶって身体感覚に注意をこらしながら
スローモーションのようにやるのです。その間指導者はいまどんな気持ちですか?
足の感じは先ほどまでとは変わりましたか?などと控えめな指示を行い、
一刻一刻に注意を向けさせる。
たった二時間のセッションで体験したことのない一瞬一瞬が過ぎていくのがもったいない
感覚になっている。

フェルデンクライス身体訓練法
オーセンティックムーブメント
野口整体

芸術療法 

アートセラピー

人間の行動のなかには表現行為と呼ばれる一ジャンル、表現活動を通じての治療方法がある

絵を描いたり、歌をうたう、お芝居をする、踊る、詩を書くという 芸術的創造行為
クリエイティビティーを重視する

音楽療法

受動的に聴く側と能動的に弾くことで治療効果を得る

ドラマ、ダンス、エクスプレッシブセラピー

ドラマを演じてセラピーする、ダンスを踊る、いろんなものを組み合わせるセラピー

こころの病気の治りかた


精神病の場合、こころの問題だけではなく、身体の生理的な部分の異常でもあるので
ある程度適切な休息をとって、自分の自然治癒力がでてくるのを待つ。
ただ、時間がかかるので、ゆっくりと焦らずじっくり構える必要がある。
ただ、精神科の薬に対する偏見というものがある。これに影響されてしまう。
それで、飲むのを止めてせっかく良くなったところを元に戻ってしまった例が何件もある。
薬を過剰に警戒するのはやめよう。

こころの病気がどう改善していくかの流れを書く

こころの症状があれば、自分はもう社会人としてやっていけないのではないかと落ち込むという
症状のことが生きるか死ぬかの大問題になっている。
それがしばらくするとその強さが次第に弱くなっていく。頭のなかには症状のことよりも
現実的な問題が占める割合が増えていく。
そしていつしか症状のことを思い出さず、ただふとそういえば〇〇という症状に
ずいぶんと悩まされていたなが最近は少なくなったなと思い、
最後は、ある日はっと気がついてみるとそういえばもう何ヶ月も症状のことを考えていない
すっかり忘れてしまった。こうなったときに再発の危険性は随分と遠のいている。

回復の過程で共通する心構えは、薬を飲まないようにしよう、カウンセリングにいかないで
良いようにしようとするマイナスの何かが「ない」のではなく
「海外旅行にいくようにしよう、やりたいことをやろう」というように
プラスの何かが実現した状態を目標にしたほうがよい

症状を消すという目標もよくない。症状は注目をすればするほど強くなり固定化する原則がある

神経症に関しては なにかのきっかけで治ることがある


最後に
人生とは楽しい事ばかりではないけれども、じたばたしているちにいつの間にか
何とかなっているものだよと娘に教えるつもりだ。


カウンセリングの手法について、ここまで詳細に詳しく読んだことがなかったので
勉強になった。様々な宗派ややり方がある。精神病と神経症の区別をしっかりする。
そしてそのなかでカウンセリングで自分なりの答えを見つけていく。
その方法は、山のようにあるので、自分に合った方法を選べばいいと思う。
なかにはとても面白そうなものがたくさんある。























富田隆のモテ本




モテる男の40のマニュアル読了

いまは最近見かけない富田隆氏の本。
コンビニで売っているような単純な本のなかでも学びの要素はたくさんあった。
イケメンだからモテるんじゃない!モテるのは自分を成長させようと努力する男
容姿(生まれつき)がいいよりも、年収や社会的地位が高い(こちらは努力できる)
ほうがモテるのだ。

面白い人 優しい人の勘違いがある。

女性の求めている「面白い人」とは自分の知らなかったことを教えてくれたり
気が付かなかった魅力を引き出したり新しい見方を発見させてくれる人

優しい人というのも、女性が困っている時助けてくれる男のことをいうのだ

女性の理想の男性像
たくましさがある 頭が良い 包容力がある 正義感がある 自己犠牲の精神がある

モテるためには欠点にこだわらないでおこう。欠点があるから持てないのではなく
欠点にこだわるからもてないのだ。

例としては、ソニーのウォークマン。出てきた当時は録音機能がないというのは
致命的な欠陥だった。それが軽く小さくなりどこでも音楽を聴けるというように
欠点を長所に変えてしまったのだ!

人間にもちょっと見方を変えるだけで短所が長所になるのだ。
自信のない人ほど自分の長所よりも欠点に目がいってしまう。

そもそも自信とは、自分を信じるということなので、欠点だろうが、長所だろうが、
関係なく、自らを無条件に信じるということしか、自信をつけることはできない。
なになにができるから、というような感じで条件付けをしてしまったら
もうその時点で自信といえないのではないだろうか。


以後具体例で、マメであること。誠実さ、頼もしさをかんじさせろ。女性に言い訳を与える
きちんと目を見て会話する。ありがとうという。女性から学ぶ。なんでもいいから近づくきっかけ
をつくる。容姿で差別しない。聞き上手であれ。楽しい気分にさせる。わかりやすいコトバをつかう
ポジティブに振る舞う。相手のことを考える。他人をほめる。新しいものにチャレンジする
外見の変化に気をつける。叱るより褒めろ。相手の事をよく知る。愛の告白がひとつのGOAL
恋人になれるかどうかくらいのPROCESSを楽しむ。すぐに決断できる。強さを持っている
話題つくりの為いろんな人と話す。男同士の友情を大事にする。


このなかで一番こころにひっかかったのは、清潔なひとを好む、男性に対しても清潔さを求める。
まず、見た目は清潔なことはなにより、じぶんの部屋も清潔にしておかなくては普段の行動に
でてきてしまう。


読んでいて、速読できる本だったが、、それでも清潔さという部分では自分はものすごく
劣っているので、部屋を綺麗に保たないとならないなと思わせてくれた。
電車とか移動先できちんと集中して本を読めないときに最適な本だった。

無一文から1億円貯めた人の本


一億円が貯まる人の24の成功ルール 読了

28歳借金500万円から37歳で資産1億5千万円作った男の
マネー版マネジメント

田口さんの本は何冊読んだんだろう?

本を読むだけじゃ金にはなりませんね。
きちんと実践をしなくちゃ駄目だ。それができていないから自分はまだ金に操られている。

いつもどおり、お金を貯める意味は、
お金で幸福を買うことはできないが、不幸は避けることができるから

そのためにどうやって儲けるか、節約してきたかが書かれている。

財布にコインを10枚いれたら使うのは九枚までにする
必要な経費と自分自身の欲求を混合してはいけない。


全くの畑違いである家業の保険屋を継ぐという事から、、ファイナンシャルインディペンデンスというら経済的独立と良い価値観を知る

自分にとって、このヒトのルビコン川はここの家業を継ぐところだったのだと思う。
嫌で仕方ない仕事でも、お金のためにやると決心を決めた所が男らしい。


資産形成には、みっつしかない、
収入をふやす
支出を減らす
運用利回りをあげる


それまでの贅沢な暮らしを一変して止めてしまって
いま必要ないものはすべて、捨てるか売ってしまった
マンションを引き払い2万5千円のボロボロの借家に引っ越した
そして、外食をやめすべて自炊で賄う事にした。

成功には代償が必要だ。
この世の中に代償を伴わない成果などない。
楽をして成功しようなんて甘い考えを捨てろ、、
成功を掴むために必ず痛みを伴う時期がらある

まず、彼はお金の支出を出来る限り減らすようにした。
そのあと

お金を稼ぐ事に専念した。
今後しばらくは仕事でのやりがいや、社会的意義は一切考えない
ある程度お金が溜まってから自分が心から楽しめ豊かになれるものを仕事することに決めた
トレードオフの考え
なにかを得るためには何かを犠牲にしなくてはならない

人生で満足させなくてはならないのは自分だけ。
自分が正しいと思う事をしてその気持ちに正直になれば良い



今の夢はかつての自分のようなお金の落ちこぼれたちに金融のノウハウを教えて回る事なのだ。

きちんと講演のお願いすれば、どんな相手にだって接してくれる。
いまは塾講師の時のように、お金の講師として全国を飛び回っていて、
何冊も本を出している。この人間性の幅広さが何冊も本をだすことに成功しているんじゃ
ないだろうかと自分は思っている。
できることならなにかのタイミングで田口さんに相談してみたい!



28歳貯金ゼロから考えるお金のこと


http://yasu0312.blogspot.jp/2010/06/28.html


年収200万円からのお金と人生人生を真剣に考える


11歳のバフェット




お金のストレスフリーをつくるための悪い習慣を治すための本


http://yasu0312.blogspot.jp/2013/04/blog-post_9.html

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