2010年6月3日木曜日

ビジネスマンの精神科 読了

http://blog.goo.ne.jp/jyoshige/e/c5d13956357e4c9c79eed6bd072fdc89

このブログを読んで、
ビジネスマンの精神科を読んだ。
まず驚きは2009年の10月発売なのに、もうアマゾンでは在庫無しとなっていること。
検索しても出てこなかったわけだ。これだけの本をあまりに無碍に扱うなあ。
絶版に限り、電子本で出しまくって欲しい。紙の書籍には敵わないが、それでも良い。
あとは、図書館がどれだけの本をきちんと貯蔵することができるかの勝負でもある。

この本は、ビジネスマンとして、メンタルヘルスを守るための道しるべを示してくれている。
そして、俗流心理学を排除し、精神医学の限界値を示してくれる
人生の苦しさというものに対しては精神医学は太刀打ちできないのだ。
わかるのは、外から見た疾患としての症状。それをどう手助けするか、
その原因となるストレスの元には直接のアプローチはできない。


有名な病気。。。気分変調症=抑うつ神経症 これとうつ病は別物扱いされてきた。前者は甘えだと言われ後者は病気だと言われていた。

その定義がかわり、 
うつ病は ゆううつさ 抑制(意欲の低下) 睡眠障害と食欲不振があるときに認定される 
症状のことをうつ状態とされるようになった。あいまいさをさけ、表に出てくる症状を重視するようになった。

うつ状態には、うつ病、気分変調症、適応障害 などと分けられるようになった。

抑うつ神経症は元々の性格が原因と外部のストレスに対する反応ということになったが、
思ったよりも薬の効果が効いたので、軽症のうつ病という判断をすることになった。
出てくる症状だけを見て、判断していくという合理主義の方向に精神医学は走り出したと認識している。

そして、精神科はいまどういう役割を果たしているかを問われている。症状だけを判断すると
問題は投薬治療になる。対処療法だ。問題が生きる悩みということになると、それは精神科の
範疇を越えてしまう。でも、周りにひとがいない人はどうすれば?
そのとき、生きがいや家族や恋人に見つけられるひとは良いが、それが見つけられないひとも
たくさんいる。生きがいを見つけるのが難しい混乱状態(アノミー)に社会が陥っていると述べる。

希望が失われてしまった社会  joe'sblog でも書かれているように、30年間仕事の消化試合をしてくれといわれてやる気をもてるひとはいるのだろうか。
色んなものは諦めてきた人生で、仕事を成し遂げたいという気持ちを諦めるという事ができるのだろうか。

病気に逃げているという批判に対しては、それはそうだが、生きることへの悩みを真摯に傾けて聞いてくれる場所や人間はどこにいるのだろうか。
そこが無ければこのうつ状態は継続するだろうと自分は考えている。


その後、フロイト批判に入る。フロイトの言ったトラウマが引き起こすという言説は臨床的には見受けられず、むしろ直近の問題でうつ状態が引き起こされることが主だと述べる。
むしろ、根掘り葉掘り聞く心理療法は傷をめくり返すようなものだと断罪する。
ここで、マルクスとフロイトを並べる。どちらも熱烈な信奉者を抱え、そして、現在否定されている考え方であるということ。

精神の病気(特に統合失調症)はキャリア形成において、望んでいたものを得ることが困難になってしまったことを明らかにする。それは病気なのだから仕方ない。が、残酷な宣告でもある。

この本は至極真っ当な精神医学のことを書いていて、とても参考になった。
そして、社会における雇用の硬直性が原因のひとつだと言っている。

確かに働いて辛い。あの忙しさ、労働の単純さ、人件費を削り、利益だしを行なう。
そして、体力の限界まで走り回る。糸がどこかで切れる。
ふと、そんなことを考えさせられる本だった。

0 件のコメント:

コメントを投稿

ブログ アーカイブ