宇都宮徹壱の
幻のサッカー王国 スタジアムから見た解体国家ユーゴスラビア を読了
まず、1998年の本。ここに出てくる人はオシムや、通訳だった千田善さんの名前が出てくる
オシムが日本代表になる前から、このユーゴ、バルカン半島にかかわりをもっていた人たちが
出てくる。それは少し感慨深いし、ちょっとした発見をした気分になる。
ウィキペディアでユーゴの歴史を調べてみた。
1915年ユーゴスラビア王国の青年がオーストリア皇太子を殺害。
露土戦争で、トルコから独立し、オーストリーハンガリー帝国の承認をもらいできた王国
その後関係が悪化。
汎スラブ主義者の暗殺だった。そこから第一次世界大戦勃発。
40年ぶりの大規模戦争でヨーロッパ人はわくわくしていたらしい。
が、近代兵器の投入で長引いたし、疲弊し、アメリカの台頭をもたらした
20世紀初頭は、経済学者クルーグマン先生の本で、世界はひとつに統一され、
南米アルゼンチンが今世紀もっとも先進国になるだろうと思われていたらしい。
戦争になり、ユーゴ王国はオーストリアハンガリー帝国に勝利。
独立を認められた。セルビア人主体で政府が運営された
一次大戦の戦後は、クロアチアの独立機運が高まる。それを自治州というかたちで抑える
1941年には、ナチスよりの政権が生まれる。が、崩壊。
その後中立を表明するが、中立を表明するということは、すべての国の敵となる可能性を秘めているわけで、ドイツに占領される。
クロアチアが独立。ナチス傀儡政権誕生
クロアチア人によるセルビア人虐殺がはじまる。それを1990年代後半セルビア人のクロアチア人虐殺につながるらしい。
その後、ティトー率いるパルチザンが共産党を率いて戦い、独立を確保。
スラブ民族が集まってのユーゴスラビア連邦設立。
東からも西からも独立を保った。
驚いたのは、戦後落ち着いたあと、クロアチア独立には弾圧をするティトー
だが、自治権を各共和国へ与えることになる。
1980年に死去する。
後継者を残さないままに。
で、1989年以降のソ連崩壊 東欧革命で民族主義が台頭。
独立が進む。スロベニア、クロアチアの独立。認めないミロシェビッチユーゴ大統領が戦時介入。内乱状態へhttp://mudainodqnment.blog35.fc2.com/blog-entry-1351.html
に貼られていたユーゴ紛争の事態が起こる。この文章の作者はこれは経験談を聞いて書いた創作だとあとで表明した。自分は経験していなかったが、友人の経験談をまとめたのだとコメントしていた。でも、、どこからどこまでがうそでまことかわからないものだ。
クロアチアもセルビアも殺し合い、でも隣人同士で殺し合う意味すらわからず。
反対していた人間も多かったが、止まらなくなっていった。
1990年ユーゴはワールドカップベスト8 オシムが指揮をしていた。
連邦がバラバラで、各共和国が自分の国のヒーローを使うように要求してきたので
全部ヒーローだけを参加させて初戦を落としたユーゴ。そこからマスコミをだまらせて、10番をストイコビッチに絞った戦いをスタートした。
1992年はユーロ参加10日前に出場権利削除
かわりに予選二位だったラウドルップのデンマークが優勝。
1994年はユーゴ出場停止。
このあたりでピクシーが名古屋に移籍。
華麗なプレーをしてくれた。レッズ好きでも、ピクシーは巧すぎたので、惚れてしまった
(監督としてはくそだったので2010名古屋は見事な敗戦を期待できてとても頼もしい)
日本のJでユニフォームの下にユーゴ空爆反対を掲げた映像はあたまに残っている。
で、各共和国は内乱をへてどうにか独立。
オシムはグラーツを率いて旋風を。
1998年ユーゴが復帰。クロアチア3位。ここにもし、あの伝説のユーゴ代表があれば
チリでの1987年ワールドユース(U-20ワールドカップ)優勝メンバーが勢ぞろいしていたら
もしくは優勝するのでは、という可能性のことを思い出させる。
レッズからはペトロビッチがユーゴ代表として参戦。
で、1997年30歳で仕事をやめてあてもなくフリーのフォトジャーナリストになった宇都宮さん。ネオナチに囲まれたり、ベオグラードで学生運動に参加したり、検問でつかまりそうになったり。ほとんど死の隣り合わせの場所にいくか、マニアックな場所(日本の4部リーグや東欧サッカー、マルタなどの欧州弱小国)をまわるひととして名を挙げた
それまでは後藤健生が各国の国民性などの分析と国民性に合わせたサッカーについて書いていたが、現地に足を運ぶジャーナリストはやはり面白い。
プラス、2010年ワールドカップは日本国中犯罪の恐怖心プラス期待できない代表をみたくないといっていたなかで、まあ、そこそこ安全だから大丈夫だよ、来ても大丈夫だよと言い放っていたことは、こんな理由があったのか。
危険地帯でも数人集まっていれば。そして夜行かなければ大丈夫。本当に危険なところは鼻を聞かせて近付かない
行くべき時に行く場所へ行ったことで人生がかわったと本で述べている。
それが宇都宮さんにとってのユーゴ歴訪の旅だったのか。
昨今は、グローバリズムの画一化で、どの町もつまらないと述べている。
ツエーゲン金沢の取材をしたり(これは昨日、石川県知事を訪問した本田が石川のサッカー発展のためにはツエーゲンの強化が必要ですと訴えた)とにもかくにもマニアックな場所にいくひとだ。Jクラブはいまは18プラス19だから37チームある。準昇格を狙っているチームも10は超えるレベルにあるから、のちのちの整備で40から50チームJリーグが誕生する(公共財であることをアピールすることで自治体から金を引き出し税リーグといわれることもある)
ただし、地域活性化の核となるひとつのモデルをしめしたJリーグでもある。
2003年、オシムが千葉に来てから、サッカーが変わった。そして、2010年のスカパーで解説というか小言をのべる爺さんになっている。爺さんといえば、
浦和レッズのフィンケ監督 彼らのグループが入ったブンデスリーガ再生計画が巧く行き、若手の伸びが顕著になった。最悪期は2000年のユーロ予選リーグ敗退あたりか
そこからの復活ドイツを印象付けた。
フィンケのいうようにボールオリエンテッドなサッカーが優勝候補に残った。
レッズの試合も面白い。ボールは回るが、クロスバーにはじかれてゴール決まらず。。
若手復活の機運がある。そして、イニエスタのような山田直輝が本調子になれば、
ボールはうまくまわるだろう。ただ、得点力のあるエスクデロ、もしくは原口、どちらかで良いから才能を開花させてほしい。
レッズの試合みたいよお。
オシムは旧ユーゴのスロベニア、セルビア、 クロアチアに関しては、ワールドカップの予選敗退の痛手をきちんといま見直しているべきだと述べている。
バルカンの国すべてに対して、愛着のあるコメントをのこしている。
ボスニア生まれというセルビア正教、ムスリム、カソリック、民族が人種がほとんど関係なく生きていた町で生まれ育ち、東欧諸国を率いてきた。ここにサッカーへの愛を感じる
ユーゴ分裂は民族国家の誕生でさまざまな損得はあったのかもしれないが、この地域に暮らす全てのサッカーファン、プレイヤーにとってダメージにしかならなかった。車椅子でピッチを眺める元選手。その写真には、苛立ちと絶望を感じた。
そして、いまは若手が伸びてくる時期になっている。戦争から20年たった。民族の傷は癒えていないだろうし、どこで再発するかわからない。
でも、サッカーは全世界で開催されていて、ワールドカップは全世界がみている。
アフリカは選手を発掘しきった。つぎはヨーロッパビッグクラブは東欧を狙っている。スターダムに上り詰める機会があるのだ。
そして、著者の宇都宮さんが30歳のときとった、旅は本当にすばらしい人生を変えるものだったのだとわかった。とてもあこがれる存在になった。そして数々のなかなかみられない写真を載せてくれていることに感謝したい。
ピクシーがいてオシムがいてユーゴが気になっても、中まではわからなかった。
彼らの生きた道が凄く過酷なものにしてしまった戦争だったことを内側からレポートしてくれた。
それがありがたい。
不寛容こそが戦争を生んでしまった。かれの結論はこうだった。
サッカー選手にはその不寛容をピッチ上では持ち合わせていないで欲しい。それが自分の希望だ。
そして、ひとには行くべきところがある。自分の行くべきところとはどこだろうか?それを考えさせられた