2010年6月16日水曜日

98年の本を2010年に読んだ。

サポーター新世紀 ナショナリズムと帰属意識 宇都宮徹壱さんの1998年の各国から集まるサポーターの姿を写真に収めた作品
98年の事を思い出した。2002年のホスト国として、どれだけ振る舞えるか、この異質なワールドカップをどう迎えることができるか、それがこの作品のテーマとして流れていた。
結局は、2002年は、本当に大きな暴動も起こったわけでもなく、のんびりした空気のなか
日本のグループリーグ突破でノルマを果たしたし、とりたてて問題なく進んだ大会だったと思う。

2010年ワールドカップ。ナショナリズムについて、ちょっとばかり変わってきたように思う。
このフランス大会の本を読んでいて、
いま思えばナイーブだったなあと。
2002の、誤審を起こしたテムジュンは許し難い存在だが、、、
2010年の韓国代表は、心の底から応援してる。
アジアの枠を確保のために、どのチームでもいいから、ひとつはベスト16にあげなくてはならないという気運がある。
期待していたオーストラリアが、ドイツに虐殺、
死のグループG、北朝鮮、
敗退するであろう日本代表 (カメルーンに勝ってしまったが)

韓国に頑張って欲しいと、うまれてはじめてそんな気持をもった大会だ。
多分ね、Jリーグにアジア人枠ができて韓国人を戦力にし始めた。
北朝鮮のエース、チョンテセだって、生まれは日本、国籍は韓国、代表は北朝鮮というわけのわからない経歴。
身内(クラブ)のなかに選手がいたら、確かに批判する気にならないな。
ナショナリズムの枠が、ワールドカップになると、大陸の応援するまでに広い連帯をもてる。
ACLで、アジア各国と戦うことも増えたのもあるな。
ACLは、アジア意識というものをサッカーファンに植え込んでくれたイベントだった。
でも、FC東京は嫌いだ。 なぜだろうか。

でも、野球ファンに対峙すれば、サッカーファンとしての連帯意識を持つ。

スポーツの予算を減らそうとしたら、野球ファンともスポーツという枠で連帯する。

そんなふうにフランス大会のサッカーファンは、どんどんと成熟していった。

それこそが魅力だ。ワールドカップは守備的だし、同じ様な眠たい試合が続くが
それでも、いろんな国が集まって開催される地球のお祭りなんだなというのは、
この98フランスでも、2010南アフリカでも変わらないというのは、ある。
そして、やっぱりクラブチームよりも、個性的なチームが多い。移籍で補充するという
技が使えないから、レヴェルの問題ではなく、カラーがにじみ出ている。そこがやはり面白い。

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