2013年2月4日月曜日

サッカー界のエリート育成論



言語技術が日本サッカーを変える 読了


サッカーを通じたエリート育成論

親、教師、コーチが求めている答をいうのではなく「自分の考え」を自分なりに考えてきちんと「論理的」に「言語化」して話せるようになること

それがJFAの田嶋副会長の目指している育成

いままで、この田嶋さんがなぜJFA副会長という地位にいるのか?2011年にはFIFAの理事選挙で負けるという失態を犯しているのに

そのまま偉い地位のままにいるのか不思議だったが、こんな理屈だって日本サッカー界の育成にメスをいれてきた人間だったとは。



サッカーを通じた自らが考えて自らが判断する「自己決定力」 これを備えていなければ、世界一流のサッカー選手として戦えない。

自分の考えをきちんと相手に伝えるためには、表現力・言語化の力がないと相手にうまく伝えることができないだろう。

そして、論理がきちんとしていないと相手に意味が伝わらないし、自分も意味がわからなくなってきちんとした判断もできない。

サッカーがうまくなるには、身体能力・技術も大事だけれど 「知的な力」というものがどれだけ必要かを繰り返し繰り返し説いていく。


その頂点にたつJFA直属のサッカー界のエリート=それは技術・体力だけではなく立ち振舞い・姿勢・行動すべてが選ばれた人間の責任として一流のものでなくてはならない。

そのために2001年に福島のJビレッジ(現在は原発事故で閉鎖)に寄宿舎を開校しエリート教育を推進した。

技術はどこでも教えられるが、特色は座学を重視・言語技術を教えることとしたのが面白い!

たしかに馬鹿だと一流のスポーツ選手にはなれないが、このエリート主義者は特化して論理的思考・他人に伝わる言語表現を教えこむ。

同程度のレベルのサッカー選手を選考するときは、賢いほうを採用する。職業体験・トレーニング・学問・寄宿舎生活で知的にもサッカー的にもエリートとして鍛えあげる。

そもそもサッカー界は野球界とちがって、大学に行くくらいしかプレーを続ける所がなかったので、教育・エリートとは親和性も高かったのだろう。


「言語技術」でサッカー界を変えるという考えは徹底していて、エリート育成年代だけではなく、指導者もライセンス取得のときに「ディベート講習」「プレゼンテーション」を受けなくてはならない。

U-6 U-8 U-10 U-12 の「言語技術」を鍛えるトレーニング方法まで設定している。 なにがなんでも「言語技術」こそがサッカー界を成功に導くのだという思いがほとばしっている。



サッカーで語られる「言語技術」とは難しいことではなく、なぜこの時シュートを打ったのか、パスをしたのか、クリアしたのか そのプレイプレイ事すべてに論理的な裏付けがあって、

きちんと他人にプレーの意図を説明できる。 その意図が正しいのか間違っているのかは問わないということだ。

逆に指導する側は「お前のプレーはここがこういう理由で正しかった」「間違っていた」「この指導はこういう意図がある」それを明確に説明してあげる事が求められる。



ここまでJFAの副会長が「論理」「言語技術」「自己判断力」それを津々浦々に広めることが日本サッカーを強くする方法だという強い信念をもっていたら

たしかにトップエリート層においては、女子柔道みたいな体罰問題からサッカー界では発生しないだろうと感心した。

サッカー界ももっともっと強くなっていくのだろうと期待も持てる。


もっと言えば日本の新しいイメージリーダー像を作れる可能性があるかもしれないなとも思った。

野球ボールを感覚で打ち返していた「長島茂雄」を超える日本スポーツ界の象徴をサッカー界が生みだすかもしれん。

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