2013年5月15日水曜日

人生で行き詰まった時は逆が正しい



自分の受け入れ方読了

気になった文の書き起こし

人は生き始めるスタートラインが違っている。同じトラックを走っているように見えて、実は何周も違って走っている。到達する地点は違っている。だから、到達した地点ではなく、自分が走った距離でじぶんの人生を評価することをこの本は勧めている

自分を受け入れる
人に受け入れられるよりも、自分で自分を受け入れられた方がはるかに大切で気分が良い。
逆に自分で自分を拒絶するとそれが悩みの種になる。

自分を卑下しないで、人を認める。
自分を受け入れるためには自分を知る。
自分を受け入れられない人は親しい仲間がいない。じぶんの運命を受け入れられない人は仲間が悪い。心の底では孤独であり、憎しみがある。

自己を認めない人には、幼い頃からありのままの自分に価値が無いと錯覚をした。そしてその段階で心の成長を止めてしまった。長年に渡りつもりに積もった不平不満、心の不満の根雪を解決しようと一気に飛び越した考え方をしてしまう。
悩んでいる人の共通点は自分を受け入れていないことである。
ありのままの自分に価値を見いだせれば運命は光になる。
自分を受け入れられないで悩んでいる人が本気で解決しないとならないのは、仕事の失敗ではない、自分への間違った評価である。

人に認めてもらいたいと自分を偽るから疲れる。
幼児的願望とは、わがまま、頑固、おんきせがましさ、ナルシズム、依存性、いつでも褒められたい、注目されたい、求められたい、とにかく自己中心的なので願望のことである。

大人になって幼児的願望が抑圧されていると、表面は大人の振る舞いをしなくてはならないから憂鬱になる、イライラする。幼児的願望が満たされていないまま大人になると、我慢我慢の連続になる。いつも心に不満を抱えている。人間関係もうまくいかない。
幼児的願望が満たされなかったのは、その人の運命だったかもしれない。それにも関わらず、どうにかそれを克服しなくてはならない。人生は不公平に出来ている。美人もいたり不美人もいる。それに加えて幼児的願望を満たされて過ごした人もいれば、過ごせなかった人もいる。
それを運命だとして受け入れなくてはならない。

愛されなかったものは人を信じることができない。愛されて始めて愛する能力も出来てくる。
憎しみの処理は、愛されなかったものの人生最大の課題である。
幼児的願望の処理は人生最大の課題である。

生きづらさを和らげる方法

俺の人生は辛いと認めること、これが運命だと決心する。
だいたい人生はうまくいかないように出来ているものだ。

自分の背負った運命と闘うことが生きることである。

じぶんの精神の幼児性を認め、それを受け入れてくれる友人を選ぶ
自分に正直になり、心の底にある不満に直面すること、恨みがある。

アイデンティティはどう確立させるのか。
理想の自分と現実の自分を間違えないこと
なりたい自分といま現実の自分を勘違いしてはいけない。
ドン底に落ちた時、本当の愛が見える

愛されないで育った人が人生は不公平だと受け入れられた時、始めて救われる。人と比較しない自分自身の目的ができる。そしてその目的に向かって生き始めることで毎日が楽しくなる。

何より自分の過去を受け入れる、それが決断であり、人生最大の業績である。
人生の業績は人によって違う。人それぞれ違った運命を持って生まれてきている。だから、業績も人によってそれぞれ違う。

自分の脳は幼い頃からの長期に渡るストレスで生きにくくなっている。自分はこの脳で生きて行こうと決心することが、正常な脳で生きることを断念することであり、正常な脳で生きることを相対化することである。
決断と諦念、断念を通して始めて自分の人生を生き始めることができる。

生きることに疲れたあなたは、人生はそういうものだと覚悟する時にきている。不幸を受け入れようとする気になるとなにをすればよいか見えてくる。
私の人生は辛いと認めること。

人生はなるようにしかならない
ジタバタしても仕方ない
人生、寿命があるのでいつかは死ぬ
そう覚悟できたら心に余裕ができる

運命に逆らえば逆らうほど運命は過酷になる。人間が運命に勝てるわけがない。自分の運命にあった生き方を探すことである。

自分を受け入れない人は人生の目的を間違える。運命は逆らえない。運命はじぶんの方から進んで受け入れるしか生きる方法はない。覚悟を決めるとは口でいうは容易いが、実際はものすごいことである。自分の人生が悲しくて悲しくて胸が張り裂けそうになる。何度自分はこの人生の辛さに耐えたのか、そう思うと悲しさで崩れ落ちそうな気持ちになる。
これほど人は不公平に生まれている。これほど人は不公平に育てられている

初めは涙と共に運命を受け入れることである。そして、一人しみじみなくことである。涙が枯れるまでなくことである。


ゴリラがウサギとして認められようと長年に渡って努力すれば最後は無気力になるだろう。自分を否定する努力を長年に渡って続ければ生きるのに疲れるのは当たり前である。

事業に失敗したからこそのあなたなのである。あの大学に落ちたからこそののあなたなのである。それに悔やんでいるとすれば、あなたはあなたの指紋を悔やんでいるようなものである。
指紋が人それぞれ違うように人生は人と違っているのだ。

自分の人生の履歴はまさに自分なのである。成功の裏にも失敗の裏にも自分がいる。
あなたの失敗はあなた固有の失敗であり、成功はあなた固有の成功なのである。

何より大切なのは自分が自分として生きることである。

不幸な人は自分はこうあるべきだというところから出発する。だから生きづらくなる。

あなたの人生でかっこ悪いと思っていることがあるだろう。誰にでもかっこ悪いと思っていることはある。だが、じつはそのかっこ悪いということころがあるから、あなたはあなた自身なのだ。
なんという自己を肯定する力を要求するのか。
いまなりたい理想の自分は本当にあなたにとって望ましい自分なのか?むしろいまの現実の自分の方が望ましいことはないだろうか。理想の自分という解釈をもう一度考え直す事を勧める

あなたがいままでそのように生きてきたということが、そのままあなたの固有の人生なのである。あなたの過去を肯定するとはそういう事である。
だから、あなたは自分がいままでしてきた事の中に自分を発見できる。

自分が自分として生きているか、自分ではない自分を演じて生きているのかそれが問題である。
なぜ自分ではない自分を演じてしまうのか?
間違った価値の序列が自分の心の中にある。
実際の自分を卑下しているから自分と違った自分を演じてしまうのである。

人は段階を追って成長して行く。したがって幼児期から愛されなかった人は単に社会に擬似適応する事はできても心理的には成長しておらず、情緒的には成熟できない。
幼児期に愛されなかったひとにとってはたとえ大人になって大人の役割を周囲から期待されるのは辛い。
周囲から期待されたことはあなたの運命なのである。それを辛くてもそれを引き受けるということが運命を引き受けるということである。

人が自立し始めたときは本人は意識していなくても心の中ではものすごい闘いをしている。表面的にはなんの困難もないようにみえるがただ生きているだけでものすごいストレスがあって当たり前なのだ。
依存性から自立性へと移行するときは心のなかは戦場である。
自立性を獲得し始めた初期の段階では単に生きているだけでも必死の闘いである

いままでは人の期待に応えるためのストレスであった。人の期待に沿うようにすることに必死だった。無理をしていた。それは大変なストレスである。いままでは人の好意を得てその好意で自分を守ろうとしていた。そのためのストレスである。しかし自立性を獲得し始めたときには、自分の意見を述べるストレスである。自立性を獲得するとは人の好意を得るために闘うのではなく、自分の意見を通すために闘うのである。したがって結果がどうであれひとを恨まない。
自立性の心理状態になるとする事はすべて自分のためである。だから何事も自分がしたいからしたのだとなる。
自立性を獲得すると恩着せがましくなくなる。人を以前と比べて恨まなくなる。結果として人間関係はうまく行くようになる。

人はそう簡単に自立できるものではない。あなたのなかの依存への欲求はものすごい。
あなたはうつになるように、ノイローゼになるように生きてきたのである。それがあなたの運命なのである。だからまずうつだろうがノイローゼだろうが受け入れる

幸せとは問題のないことではない。問題を扱う心の能力によって同じことを幸せと思うひともいるし、不幸せと思うひともいる。
ものの捉え方で幸せか不幸せになるかが決まるのだ。

人間は自分で自分を苦しめている。
恨みを持って死ぬか優しい気持ちで死ぬかはあなたが選択することである。

おそらく悩んで不幸になっているひとは避けてはいけない問題の解決を避けてしまった人たちではないかと私は思う。
うまくいっている人生とは問題のない人生ではなく、次々に問題を解決していっている人生である。
生きがいとは問題解決の積み重ねのなかで味わうものである。一つの問題を解決することで人生に意味がでてくる。

擬似成長しているときには消耗が激しいから些細なことで落ち込む。擬似成長しているひとには生命力がない。
しかし本当は落ち込むのではなく誇りを持っていい。誰も好き好んで擬似成長したのではない。誰でも本当に情緒的に成熟したかった。しかしそれができる環境ではなかった。成長していないのに外だけは成熟したふりをしなければ生きてこれなかった。内面は幼児なのに成熟した大人の役割を演じるのは地獄である。このギャップのなかで生きるのはものすごいエネルギーがいる。幼児の頃から集団への献身を求められた人が大人になってどうしてエネルギッシュでいられようか。
死なないで生きていること自体が奇跡なのである。
生きることに疲れた人は、自分はすごいのだと気がついて欲しい。

そして、あなたの心の底に積み重なったゴミを焼き払いなさい。もう助けてくれと人に叫ばないで自分でゴミを焼き払いなさい。
人生はやり直しが効くのにどうしようもないと思っている人たちが多い。
この本は生きるのに疲れた人が自分を受け入れてエネルギッシュになるための本である。

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