父 有島武郎 |
子 森雅之 |
酔っ払いながら書いている。あまりに くらくらっと読了感が来てしまったので。
白樺派は読んだ事無かったです。
武者小路実篤の友情をたまたま読んでそこからハマりました。
普通に生きていれば学校で武者小路というカッコイイ名前と同人誌白樺という名称を覚えてお終いだと思います。
白樺派は読んだ事無かったです。
武者小路実篤の友情をたまたま読んでそこからハマりました。
普通に生きていれば学校で武者小路というカッコイイ名前と同人誌白樺という名称を覚えてお終いだと思います。
白樺派をちょっと買ってみた。
この文学少女シリーズに出てくる遠子先輩についていったおかげで、
未知の本に出会えました。
そして、古典て昔の大ベストセラーなので、とっつきにくささえ無ければ
超絶に面白い作品が眠っている金脈です。
ざっくりした感想として、
あれだ、頭がクラーク博士のいる札幌の農学校なんだな。
プロテスタンティズムの新渡戸稲造と、社会主義、人道主義の人たちだったんだな。
時代は
花開いた大正ロマン。
袴にブーツ、学校と軍人と、許嫁やら、華族との恋。
書生が生きている。恋愛時代。
家長父制は生きていて、許嫁やら、人を介して求婚。
楽しいですよ。この時代の作品は。
そして、文章にでてくる日本中の作家たちは、
今後の日本を支えなくてはならないというものすごい使命感に溢れていた時代です。
有島武郎は、そのなかで、華族階級に属していながら、民衆の生活を書いています。
自己否定から入ってくるひとですね。
「生まれ出づる悩み」 では
画の才能が溢れながらも、家庭の事情で漁師になった人間を描く。
彼は、ここではない場所に行きたかったんだ。
でも、自分を信じきることは出来なかったし、家族を見殺しにすることができなかった。
その精神的に健全な部分と、夢を諦めざる得なく、尚且つ夢が本当に自分の道になるのかを
悩み10年間悩んだひとを主人公にした小説でした。
視覚的な表現がたまらなく多く、情景はすごい。
誰ひとりとして単純には救われない。救うのはもっと高次の精神での救済。
毎日生命との淵にいる人、やりたいことをどうやってもやれなかった人をここれでもかこれでもか と書きます。
そして、主人公で作家である「私」の妄想が始まる。
妄想はえらく視覚的。ここは自分も漁船に乗っていたのか?転覆事故のさいの冷静さと起こる出来事がえらくリアリティがある。
ひとは生まれながらにして不平等に生まれてきた。
それでも 物語のモデル 木田金次郎は有島武郎の死後 画家になる。
有島武郎が妻の死後に小説家になったように、木田も有島武郎に生み出された
「小さき人へ」 は、完璧の直情 檄文とも言っていいほどの、子供たちへの未来の手紙。
母を亡くした三人の息子にお前たちは不幸だ。
生まれながらにして、平等ではなかった。
子供へのはんぱないほどの愛情に溢れている。
ここまでの愛情をきちんとストレートに書いて明確にしてくれるというのは子供心にどうなんだろう。
母が死んでいなくなった。それは不幸だ。生まれながらにしてハンデを背負った
お前たちを不幸だとなってほしくない。お前たちを守るために私は戦い続ける。
父親としての意思表示の文章
自身が10数年たち大人になり
かりに子供がいたら、この文章はどう思うするのだろう。
「小さき者へ」、三人子供のひとりは名優森雅之(黒澤の羅生門など)
この小説がかかれたのは大正2年くらい
そしてその10年後から20年後に 有島武郎からの血筋がこうやって育っていった
有島武郎はどう考えても、精神を病んでるひとの文章です。
あまりに激情家でありながら、描写をする際は丁寧。差し迫ってくる文章は半端ない
この人の作品は北海道の冬の寒さを知っている。
自分は下北半島の漁村に少しいたからこの漁村の寂しさは本当に知っている
凄いと思ったのは北の方言も違和感なく書いてある。
冬の情景がアリアリと思い浮かぶ。
北国の海は泳ぐところじゃない。魚の餌であるプランクトンが多い為
魚を追って 北国にきた人間たち
この二作はギリギリのところまで、死の縁を歩く。
そのギリギリのところで戻ってくる。
作品では、みんな生きて帰ってきた。
さあ、でも物語と違って現実世界は甘くなかった。
実際の有島武郎は、45歳の時に自殺をしたんだ。
精神の問題を一切誠実にこなそうとし、
そういう大問題に立ち向かいすぎた戦士だったのかも。
物書きはあまりに精神、人間の深い部分に突っ込むから、命がけの仕事だということを感じさせられる。
とても繊細な方が書いた激情の文章です。
オススメしたい。
未知の本に出会えました。
そして、古典て昔の大ベストセラーなので、とっつきにくささえ無ければ
超絶に面白い作品が眠っている金脈です。
ざっくりした感想として、
あれだ、頭がクラーク博士のいる札幌の農学校なんだな。
プロテスタンティズムの新渡戸稲造と、社会主義、人道主義の人たちだったんだな。
時代は
花開いた大正ロマン。
袴にブーツ、学校と軍人と、許嫁やら、華族との恋。
書生が生きている。恋愛時代。
家長父制は生きていて、許嫁やら、人を介して求婚。
楽しいですよ。この時代の作品は。
そして、文章にでてくる日本中の作家たちは、
今後の日本を支えなくてはならないというものすごい使命感に溢れていた時代です。
有島武郎は、そのなかで、華族階級に属していながら、民衆の生活を書いています。
自己否定から入ってくるひとですね。
「生まれ出づる悩み」 では
画の才能が溢れながらも、家庭の事情で漁師になった人間を描く。
彼は、ここではない場所に行きたかったんだ。
でも、自分を信じきることは出来なかったし、家族を見殺しにすることができなかった。
その精神的に健全な部分と、夢を諦めざる得なく、尚且つ夢が本当に自分の道になるのかを
悩み10年間悩んだひとを主人公にした小説でした。
視覚的な表現がたまらなく多く、情景はすごい。
誰ひとりとして単純には救われない。救うのはもっと高次の精神での救済。
毎日生命との淵にいる人、やりたいことをどうやってもやれなかった人をここれでもかこれでもか と書きます。
そして、主人公で作家である「私」の妄想が始まる。
妄想はえらく視覚的。ここは自分も漁船に乗っていたのか?転覆事故のさいの冷静さと起こる出来事がえらくリアリティがある。
ひとは生まれながらにして不平等に生まれてきた。
それでも 物語のモデル 木田金次郎は有島武郎の死後 画家になる。
有島武郎が妻の死後に小説家になったように、木田も有島武郎に生み出された
「小さき人へ」 は、完璧の直情 檄文とも言っていいほどの、子供たちへの未来の手紙。
母を亡くした三人の息子にお前たちは不幸だ。
生まれながらにして、平等ではなかった。
子供へのはんぱないほどの愛情に溢れている。
ここまでの愛情をきちんとストレートに書いて明確にしてくれるというのは子供心にどうなんだろう。
母が死んでいなくなった。それは不幸だ。生まれながらにしてハンデを背負った
お前たちを不幸だとなってほしくない。お前たちを守るために私は戦い続ける。
父親としての意思表示の文章
自身が10数年たち大人になり
かりに子供がいたら、この文章はどう思うするのだろう。
「小さき者へ」、三人子供のひとりは名優森雅之(黒澤の羅生門など)
この小説がかかれたのは大正2年くらい
そしてその10年後から20年後に 有島武郎からの血筋がこうやって育っていった
有島武郎はどう考えても、精神を病んでるひとの文章です。
あまりに激情家でありながら、描写をする際は丁寧。差し迫ってくる文章は半端ない
この人の作品は北海道の冬の寒さを知っている。
自分は下北半島の漁村に少しいたからこの漁村の寂しさは本当に知っている
凄いと思ったのは北の方言も違和感なく書いてある。
冬の情景がアリアリと思い浮かぶ。
北国の海は泳ぐところじゃない。魚の餌であるプランクトンが多い為
魚を追って 北国にきた人間たち
この二作はギリギリのところまで、死の縁を歩く。
そのギリギリのところで戻ってくる。
作品では、みんな生きて帰ってきた。
さあ、でも物語と違って現実世界は甘くなかった。
実際の有島武郎は、45歳の時に自殺をしたんだ。
精神の問題を一切誠実にこなそうとし、
そういう大問題に立ち向かいすぎた戦士だったのかも。
物書きはあまりに精神、人間の深い部分に突っ込むから、命がけの仕事だということを感じさせられる。
とても繊細な方が書いた激情の文章です。
オススメしたい。
0 件のコメント:
コメントを投稿