2011年5月4日水曜日

仙台 名勝松島 に遊びにいってきた。 4月29日 4月30日


ベガルタ仙台ユアテックスタジアム

色が変わっているところまで津波がきた。

観瀾亭より


松島の復興取材中のカメラクルー

松島遊覧船のかもめ達

円通院庭園

円通院

松島 瑞巌寺 庫裡

五大堂
                
透かし橋

 
はやぶさ
4月29日30日 仙台へ遊びにいってきました。
仙台の名勝松島は、国道45号を通じて、石巻への拠点となっていた。 

松島のホテルが基本的に復興の業者の泊まる所になっている。 

津波は怖いと思ったのは、海沿いのお土産屋さんは一階は全て壊滅している事。 

泣けるのは、張り紙に頑張ろう宮城、頑張ろう松島、 
が至る所に貼ってある事。頑張ろうという言葉が痛々しかった。 

松島の橋は一つは流されて、一つは通行止め、一つは無傷。 

瑞巌寺は無傷。さすが政宗のお寺。悪運が強い。 

東北最大の独眼竜、秀吉の奥州再仕置きで、本拠地の米沢から、仙台へ追いやられた伊達家は、どんな気分だったのだろうか。 


瑞巌寺には伊達政宗の鎧があり、木像もあるので、あの三日月の鎧兜を見る事ができる。 


松島の人は、松島に高いプライドを持っている。
 
だから、決して大変ですね、とかは言えなかった。 

地震の見物として行くには余りにも酷い有様だった。 


ホテルは、まあそこそこやってる感じ。 

最大の楽しみは、遊覧船で、カモメが間近すぎるほどに見れる 
カッパえびせんを上げるとうまい具合にかぱえびせんだけをクチバシで取っていく。

とても近くで見れて怖い位。 

復興翌日だった為、カメラクルーが三組乗っていてました。

レポーターの人と遊覧船のガイドさんが 

「松島は、負けません。

皆が戻ってくる八月までに、お迎えできるようにしたい」


といっていたのが印象的でした。

震災一ヶ月以上のときは、松島はなんとか回復に漕ぎ着けた

5月の半ばにいった友人は 一階部分はお土産屋さんけっこうやってたよと言っていました。

着実に復興していっているのを聞き、少し嬉しくなります。

ただ、まだまだ道のりは長く、メインである夏休みまで頑張っていかれるのでしょう。

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