2013年6月22日土曜日

あなたの苦手な彼女について 読書メモ

あなたの苦手な彼女について

橋本治の女論
恋愛に限った事ではなく、女全般について
女とは、女という中身の上に女という衣装を着ているという二重構造を持っている
男からみての女だけではなく、女からみての女も含まれる。女というカテゴリーのなかで苦手といいようがない女たちが個々にある。それについてのお話
何時もながらややこしい。

男性にとって、女とは恋愛対象になる女と、恋愛対象にならない女に分けられる
恋愛対象にならない女性に対して、男はどうでもいい、好きにすれば良い。ここが男性の女性差別の根っこになる。

1970年になり、日本は豊かになった。
そしたら、基本的にどうでもいいやという回路が働き、女性の社会進出が始まった。

そして、ウーマンリブ運動などから、派生して
従順ではダメだ!戦わなくてはならないとなり、片方は肩肘張って会社社会で闘い、社会参加してないと言われた専業主婦は、もの言う消費者となり、そこから、敵対的な立場をとって文句を言っていればそれだけで自分は社会に参加しているという歪みの発想が生まれた。
そして、男女含めてクレームをつけることそれが社会に参加している事として容認されているとなってしまう歪みが残ったままになってしまった。

そして、すべては豊かな社会が支えていたのだが、バブルが弾け、社会自体が揺らぎ始めてきた。
一方で専業主婦も家事自体の簡略化や、機械化、和裁、洋裁が、洋服の発展によって衣食住の衣の部分から完全に切り離されてしまった。仕事がなくなった。余分なエネルギーが生まれ、そこで教育ママの誕生へと繋がる。

働くということは、人間の生存のあり方、それを豊かさは無くしてしまって、どうでもいいことばかりやるようになった。
そして権利を主張するようになった。それに付随する義務は、豊かさのなか拡散されてしまって行った。

自分がない男と、自分しかない女

女から自分がないと言われて、男は傷つくのか否か?
傷つくかもしれないし、傷つかないかもしれない。ただ、関係ないとはねつけることが出来る。自分がないことのメリットは、孤独がなく、代わりに全体がある。全体のワンパーツとしても考えられる。
でも、自分がないという事自体ありえない。自分の家や自分の会社人間として価値があるからあるだけで、自分というのは必ず存在する。
孤独とは、どこかに所属しているはずなのにその所属がみえないことをいう。
人は何処かに所属している。言葉が通用する共有されている世界の中に所属している。
女から自分がないと言われない方法はただ一つ、その女の仲間になれば良い。そうすれば我々と思いを同じくしている以上自分があるということになる。
我々はこう思うから自分がある。あなたはこう思わないから自分がない。


結婚が成立しない理由について
豊かさが揺らいできたから
結婚したくてもできないもんだいがあり、
出会いがないプラス生活が安定しないが原因でもある。この人はと思える直感が働く出会いがない。つまりは、出会いではなくその先にある結婚への具体的なイメージの共有がない。

個的なあり方に慣れているということは、自己中心的であろうと自己利益的であろうと、なんであれエゴを第一にしているのだから、他人と折り合いをつけることがうまくできない、、だからこんな自分には彼女はできないのこんな自分とは貧しさではなく個的な生き方に慣れきった自分ということになる。

位置付けを欠いた思考はいくらでも自在になるが、一向に外には出てこず、どんどん自在になるだけで自己完結してしまい、思考が自由ならば自分の位置付けを欠いていることそのものが問題にならなくなる。
そういう存在があなたの苦手な彼女について、になる。

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