2013年6月11日火曜日

箱根の坂を越えること 北条早雲

箱根の坂


司馬遼太郎読了

伊勢新九郎ことのちの北条早雲の事は、前半生はほぼほぼ想像で描き出したとあとがきで書いているが、その人物像が、自分の居場所として鞍作りに励む番匠として自らを規定し、それにはみ出さず、心にある愛情を押し殺して、それでもなお心の強さを持ち続ける、そんな魅力的な三十代の男性を描いている。
司馬遼太郎の書く主人公はいつもかっこいい。司馬史観と揶揄されながらも、このヒーローの魅力にやられてしまうのだ。
縁で駿河に下り、千萱の息子、竜王丸に政権を取らせる為に、駿河各地を歩き回り、人間的魅力や、知謀策略を用いたりするのだが、歳が40を越えているのに、11年も待つという事ができた強さを感じてしまう。
結果として駿河を竜王丸に取らせ、今川氏親に守護職を復権させようとするのだ。
その後、自身の勢力争いで伊豆に進出、伊豆を五年かけて平定して、
その後相模小田原城を攻略、大森氏を倒す。
そこから、三浦半島に位置する三浦道寸を倒すのに、10年近くかけている。
何にしても司馬遼太郎の描く伊勢新九郎は、年齢を重ねているのに、待つ事を知り、命尽きたらそれが天命だったと受け入れる思いを持っていたというのが、侠気のある人物として描かれている。
問題は、司馬遼太郎の小説としては、伊勢新九郎は伊勢家の傍流として素浪人から二国の戦国大名になったとされているが、いまは年齢は二十年くらい遅く生まれたのではないかという説が有力と聞いて驚いた。88まで生きたのではなく、60代なかばで死んだ説が有力候補なそうな。そして厄介者というよりむしろ伊勢家の中でもなかなかの役職を占めていて、駿河下りも、伊勢家、幕府の命令のために動いていたという説の方が有力なのだ。
決して素浪人から上り詰めたのではなく、幕府の高級官僚の一族の出身だったという説のほうが信ぴょう性は高い。
司馬遼太郎はものすごく落ち着いた人生を達観していた北条早雲を描いていて、小説としては楽しくてたまらないのだけど、歴史小説の限界は、定説はどんどんと変わっていく。でも物語は改訂して更新する事ができなくて、歴史的事実とかけ離れて行ってしまう。
歴史小説で勉強しようという無駄な考えさえ捨てれば、なんと魅力的な人間に書かれた英雄譚なんだろうと思う。
そっちの読み方の方が正常なんだろうなと自分は今回考えさせられた。でも面白い!

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