堕落論 続堕落論(1946) で戦後直後に名を馳せた坂口安吾 デカダン派
そして、彼が否定しているものは、多々あるのだが、そのなかで
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新渡戸稲造の武士道(1908)
について、述べられていた。
武士道は、プロテスタンティズム社会のアメリカに対して、
自国の倫理観、道徳観は、米国にも劣らない素晴らしいものであると述べている。
それは江戸時代が培ってきた教育の賜物だという。
だが、この明治の世になり、最後には武士道は桜の花びらのごとく、散っていく運命にあるのだろうと予測を立てていた。
そして、坂口安吾が活躍する1946年
その武士道精神で臨んだ太平洋戦争での敗戦後、
いままでの基盤であった武士道精神では、明日の米、命を長らえることはできない。
命をつなぐために、武士道は全く役に立たなくなった。
あくまで貴族階級、上流階級の思想だったのだ。
そして、その上流階級の将軍達が自害もせず、恋々と東京裁判所に連れられていく。
武士道の精神なんていうものを持っていなかった。
武士道は、その縛りや制約のため、人間そのものの生命力を失わせていた。
それよりもそんな欺瞞にとらわれず、命を長らえるため、どんなことでもやる。
それは武士道の精神からみたら堕落だ。
しかし、坂口はその生命の躍動こそが人間の本質なのだ。
武士道の作る精神は、虚構にしかすぎない。
武士道精神、太平洋戦争で散っていった英霊たち、
その彼らの支える精神は、偽りだったのだと説く。
この戦争の敗戦で、新渡戸稲造が言った通り、武士道は失われていたことが判明した。
闇市、労働争議、そういった自己の精神の解放、命のためにどん欲になる。そうせざるえない世相でもあり、武士道はすでに発表から40年で失われていたのだ。
そして、その生命の躍動こそが人間の本質である。
だが、坂口は、結びに、ひとは堕落するほど人間の生命力を取り戻す。
しかし、人間は堕落し続けるほどには強くない。
またいつか、自分自身を頼るようなひとつの虚構を作り出してそこに安住するだろうと述べている。
新渡戸稲造と同じように自分の理想、考えうる世界は、早晩失われていくのだろうと考えていた。
そこに同じような人間への達観を感じ取ってしまった。
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