2013年6月12日水曜日

生きとし生けるものは全て必ず亡びるが、出来うる範囲で精一杯生きた生命に後悔はない。

死ぬときに後悔すること25読了

健康医療編

健康を大切にしなかったこと

たばこを止めなかったこと

生前の意思を示さなかったこと

治療の意味を見失ってしまったこと

心理編

自分のやりたいことをやらなかったこと

夢をかなえられなかったこと

悪事に手を染めたこと

感情に振り回された一生を過ごしたこと

他人に優しくしなかったこと

自分がいちばんと信じて疑わなかったこと

社会生活編

遺産をどうするか決めなかったこと

自分の葬儀を考えなかったこと

故郷に帰らなかったこと

美味しいものをたべておかなかったこと

仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと

行きたい場所に旅行しなかったこと

人間編

会いたい人に会っておかなかったこと

記憶に残る恋愛をしなかったこと

結婚しなかったこと

子供を育てなかったこと

子供を結婚させなかったこと

宗教哲学編

自分の生きた証を残さなかったこと

生と死の問題を乗り越えられなかったこと

神仏の教えを知らなかったこと

最終編

愛するひとにありがとうと伝えられなかったこと


ちょっと前にベストセラーになった死ぬときに後悔すること25 読了




ほぼほぼ目次を見れば言っている内容は理解できる。

健康を害するとなにもできなくなる。ガンは早期発見がベスト
そのためには、年に一度きちんとした人間ドックにかかること
怪しいサプリメントは効果が信用出来ない。
寝たきり、喋れなくなる前に生前の意思を表明してくれる

心理的には、 人生はあっという間だった
そのために自分の気持ちに嘘をつかない。
命の時間は決して長くはない。
人の心を惹きつけてやまないのは、やりたい放題の人生を送ったほうが
自分の自由に生きた人のほうが尊敬はされないが、愛される

夢を叶え切れなかったことに対しても後悔する。歳をとるたびに可能性が
へっていく。そのなかで夢を持ち続けられなかったことに後悔する。
中途半端だというのが、一番後悔する。

感情に振り回されず、平静の心を保ち、立腹することはしてはいけない。
他人に優しくすることと、生の終わりを敗北ではなく、完結と捉えるならば
死は恐るべきものではなくなる。

社会的には、葬儀の方法、遺産の分配も考えておく必要がある。
そして、死の間際には、過去を振り返ることが多くなるので
故郷に戻れるうちに戻っておくことも必要となる。
仕事一筋ではなく、趣味をもっておくと、己の糧になってくる。 
旅行も行きたい場所に行っておかないと後悔することになる。
悩みがあるなら旅にいけ!

人間としては、会いたい人がいたらすぐに会いに行け
会いたい会いたいと思っているうちにすぐに数年が過ぎ去ってしまう
本当に記憶に残るような恋愛をしてください。
結婚することで、ひとつの形を残すことができ、後々の後悔をしないですむようになる。
独身者の場合、子供を育てなかったことに対してすごく後悔をするようになる。
自由と孤独はいつも隣り合わせで、どちらかを立てればどちらかが立たない状態になっている。
子供が結婚していないことに対しても後悔の念をもつひとが多いことには驚いた。

出来る限り人生の総括は早めにしておいたほうがいい。
自分の生きた証でなにを残したいのかをきちんと考えておくべきだ。
そして自分の生の意味、死の意味をきちんと考えておくほうが後悔しなくてすむ。

そして、愛する人にありがとうといえなかった後悔
愛しているという言葉は魔法の言葉 


生きとし生けるものは全て必ず亡びるが、出来うる範囲で精一杯生きた生命に後悔はない。



2013年6月11日火曜日

竹宮ゆゆこの新作 ゴールデンタイム


ゴールデンタイム 1 春にしてブラックアウト

http://golden-time.jp/
ゴールデンタイムアニメ化決定

ゴールデンタイム 春にしてブラックアウト読了

とらドラの作者竹宮ゆゆこの最新作

とらドラが、高校生の親子の間の自立を描いた小説だったが、このゴールデンタイムは一体なにを表現してくれるかな?

大学時代は、確かにゴールデンタイム
普通の人だったら、本当自由で何事にも楽しみながら過ごしていくんだろうな。
自分は、大学生活を最初に躓いて大失敗したから、憧れの意味もこめて読み進めようと思う。この異様に美人でありながら、人間がめちゃめちゃ不器用に出来ているという描写、美人を表現する洋服の格好の細かく精密なこと、女性作家らしさが満載。

主人公の万里が、なにか記憶喪失というものを抱えているところが、伏線になって行くんだろうな。まだ伏線を張ったり人物紹介巻なので、めちゃめちゃ面白いかまではいかないけど、

大学を舞台にした珍しいライトノベル

六巻までノンストップで読んでしまうだろうな!







ゴールデンタイムタイム2
答えはYES

柳澤からふられた香子に、万里が告白してふられていい友達でいましょう!と言われてしまい。。

本当にいい友達でというのを過剰にまで演じ切るところがマンガチックで素敵すぎる。

この人は、なんて頭で考えてばかりで不器用なんだろうと愛しくなってくるという万里の気持ちがよくわかってしまう。それも完璧な美人で隙などなさそうに見せている分余計に際立つ。

その香子が阿波踊りに挑戦して、あまりのぎこちなさに大恥かいてしまうところなんかが、自分のできない事を方向も定まらずやろうとするまさに青春そのもので、読んでいて清々しくなってくる。

飲み会で、自分を振った完璧の柳澤が、岡ちゃんにまったく相手にされていなくて撃沈するところ、そしてそれに狼狽してしまい逃げ出してしまう香子

なにかしらみんなが始めてのことを繰り返しやってきて、それでぶつかっていく物語なんだろうな。

テーマは青春の痛さと甘さなのかな。

柳澤も完璧じゃなく、むしろへたっていた方で、二次元くん、リンダ先輩、岡ちゃんなどの人物が出揃って人間関係もしっかりと把握完了

さあ、どうなっていくのだろう

読んでいてこんな青春送りたかったという思いにさせて欲しいなあと思い3巻を読む

箱根の坂を越えること 北条早雲

箱根の坂


司馬遼太郎読了

伊勢新九郎ことのちの北条早雲の事は、前半生はほぼほぼ想像で描き出したとあとがきで書いているが、その人物像が、自分の居場所として鞍作りに励む番匠として自らを規定し、それにはみ出さず、心にある愛情を押し殺して、それでもなお心の強さを持ち続ける、そんな魅力的な三十代の男性を描いている。
司馬遼太郎の書く主人公はいつもかっこいい。司馬史観と揶揄されながらも、このヒーローの魅力にやられてしまうのだ。
縁で駿河に下り、千萱の息子、竜王丸に政権を取らせる為に、駿河各地を歩き回り、人間的魅力や、知謀策略を用いたりするのだが、歳が40を越えているのに、11年も待つという事ができた強さを感じてしまう。
結果として駿河を竜王丸に取らせ、今川氏親に守護職を復権させようとするのだ。
その後、自身の勢力争いで伊豆に進出、伊豆を五年かけて平定して、
その後相模小田原城を攻略、大森氏を倒す。
そこから、三浦半島に位置する三浦道寸を倒すのに、10年近くかけている。
何にしても司馬遼太郎の描く伊勢新九郎は、年齢を重ねているのに、待つ事を知り、命尽きたらそれが天命だったと受け入れる思いを持っていたというのが、侠気のある人物として描かれている。
問題は、司馬遼太郎の小説としては、伊勢新九郎は伊勢家の傍流として素浪人から二国の戦国大名になったとされているが、いまは年齢は二十年くらい遅く生まれたのではないかという説が有力と聞いて驚いた。88まで生きたのではなく、60代なかばで死んだ説が有力候補なそうな。そして厄介者というよりむしろ伊勢家の中でもなかなかの役職を占めていて、駿河下りも、伊勢家、幕府の命令のために動いていたという説の方が有力なのだ。
決して素浪人から上り詰めたのではなく、幕府の高級官僚の一族の出身だったという説のほうが信ぴょう性は高い。
司馬遼太郎はものすごく落ち着いた人生を達観していた北条早雲を描いていて、小説としては楽しくてたまらないのだけど、歴史小説の限界は、定説はどんどんと変わっていく。でも物語は改訂して更新する事ができなくて、歴史的事実とかけ離れて行ってしまう。
歴史小説で勉強しようという無駄な考えさえ捨てれば、なんと魅力的な人間に書かれた英雄譚なんだろうと思う。
そっちの読み方の方が正常なんだろうなと自分は今回考えさせられた。でも面白い!

2013年6月3日月曜日

本当に人生観が変わる本 箱の法則

2日で人生が変わる「箱」の法則 読了

前作も読んだけれど、自分的には続編であるコチラのほうが気に入った。
サラディンがエルサレム奪還のとき、虐殺を行わず、相手が約束を反故にしても
かれはそれに対して憤りもせずに敵に対してさえ温情を見せた。
サラディンの成功の理由はこの本では「心が平和だったから」と言っている。

心の状態が敵対的か平和的であるかが最も重要と説く。
それを決めるのは心のあり方だという。
他人のことを自分と同じ人と見るか、それとも物と見るかを選びとっている。
物と見れば敵対的になり、人と見れば平和的になるだろう。

ここの文章だけで、自分は精神的に人生観がすごく変わった。
イライラするとき、自分に問いかけてみる。相手は同じ人間か、それとも物として見ていないか?それをするだけで心がものすごく平穏になる。
たった一行の他人を人と見るか、物と見るかだけでこんなにも心の感じ方が変わるとは思っても見なかった。
振る舞い(行動)が重要と説く本はたくさんあれど、行動ではなく、心のあり方が大事だと説いている本はあまり接したことがない。行動を変えるのは並大抵の努力ではできない。でも見方を変えるのは一瞬の心掛けだけでできる。その単純さが自分の性に合った本だった。

それと相手が間違っているかもしれない場合、それでもなお自分がもしかしたら間違っているのではないだろうかと内省することを求めている。どちらも自分たちの正義を掲げて生きているので、それに真っ向から対抗しても対立しかうまない。だからといって折れろと勧めているわけではないというのがこの本の面白いところでもあった。

前作の自己正当化というところにもここで話がつながってくる。
自分自身の心の正直な感情に従わなかった時起こることは、自己正当化。不安定な自我に耐えられず、自分自身を裏切ったことへ直視しないために自分は間違っていなかったと自分を正当化して考える。自分自身に背くことは闘争へ向かうということ。なぜなら、自分が自分に背いた時、他人の過ちが自分の中で急速に膨れ上がる。それを実際よりも悪いものにし始める。それが自己正当化が敵対を生み、心の平穏を失わせ、他人を物としてみるようになってしまう。

人からさげずまれるのは苦痛だが、人に対するさげずみの心のほうがはるかに自分自身を消耗させる。
自己正当化には4つの形がある。
優越の箱 他人を自分より劣ったものとして偏見を持ってみること
当然の箱 自分は被害者であり、権利があり恵まれないでいると考えること
体裁の箱 助けになることや正しいことでも好ましく思われる事を気にするため相手が好まないときそれをしないでおく事 寛大さのなかには、自己正当化によって生み出されているものもある。
劣等感の箱 障害、劣等部分が自分が周囲とうまくやれない言い訳に利用している。自分のこころに嘘をつくとき、ひねくれた時に自己正当化するために劣等部分を使う事

ただ、人間とは一生自分を裏切り、正当化しつづける生物でもある。一生箱という自己正当化をしようとし続ける。でも、そういう事を知っていれば、自分自身で気をつけて自己正当化を取り消すこともできる。自分自身の心が平和に成らなければ、他人に平和をもたらすことはできない。

人を無理やり変えることはできないが、変わろうという気にさせることはできる。

箱の外側にでるためには、 
普段自分が箱の外側にでて接しられる相手は誰かを考える
なにもかもが順調だったことを思い出させてくれる場所や行動を考えてみる
他人について自問することで、自己正当化と非難から解放される
重要なのは何をすべきかという気持ちだけではなく、それをしたいという願望
そうした願望は心のなかから生まれてくる。それに従って行動をすることによって
こころの平和を保つことができる。
外面的な闘争は避けられないにしても、心は平和な状態で闘うことができる。



2013年6月2日日曜日

橋本治の古事記 橋本治ファンには最高すぎる


古事記の上中下の上巻のみの現代語訳版

それも、橋本治が翻訳をしているということもあって、文章が最高に面白い。
いままで、日本の神話は断片的な知識しかなかったが、始めて神話を
きちんと最初から最後まで読みきった。
ここに日本人の精神性が詰まっているのかと思うと、もっと早くこの本に
出会っていたかった。
天地開闢から、高天の原、
イザナギとイザナミの日本列島の國造りの神話
火の神を産んだことでイザナミが死んだときの激昂

その後の黄泉の国での見てはいけないというものを見てしまったイザナギ
禊をしているなかで生まれた天照大御神、スサノオノミコト、月読命
スサノオノミコトと天照大御神のウケイ(賭け)
天の岩戸の話とここで使われた八咫の鏡 勾玉
スサノオノミコト高天の原追放と、地上での八岐の大蛇退治
草薙の剣 ここで三種の神器の由来がわかる。

オオクニヌシと因幡の白兎
オオクニヌシの黄泉の国でのスサノオノミコトの計略を尽く交わして、スセリ姫を得て帰ってくるところと、出雲大社の出来た由来
葦原の中つ国と呼ばれる地上の最初の支配者だったのにもかかわらず
不思議なオオクニヌシの国譲り神話
ニニギの天孫降臨
その孫である神武天皇の東征

こうみると、断片断片では、ぜったいに聞いたことがあるのに、一気にまとめて読んだことってほんとうになかったのがわかる。
いろんな現代語訳があるなか、文章的な面白さは、橋本治に叶う人はいないだろう。
こんなにも生き生きとした八百万の神が日本にはいたのかということ自体
けっこう新鮮だし、天照大御神の傲慢で不思議な決定とか、オオクニヌシの浮気症など
物語としても楽しい。これを児童文学として読めるレベルに落とし込んでいるのだから
素晴らしい。今年になって最高の本だと思う。
中下巻は、橋本治訳はないので、それ以外のひとで読んでみたい。




村上春樹 アフターダーク 読了


アフターダーク(村上春樹)読了

やっぱり小説は良い!別世界に連れて行ってくれる。

この本は、深夜の11時56分から朝の6時52分までの半日を舞台にした小説

単純明快に真面目で頭の良いが、美人の姉にコンプレックスを抱いている浅井マリ19歳の外国語大学(中国語)が、深夜の街の都会という異界との接触と、6時40分に太陽が出てからの明るい日常の世界へ帰還した、たった半日の冒険譚

そのなかで、姉を再発見していったりする。彼女の異界への導き手として高橋やカオルという保護者が付いてきてくれるという風に簡単に読んでしまった。

そうしないとまったく意味がわからない小説になってしまう。意味をどう取っていいのかわからないが、取り敢えずマリとエリの物語として読めば筋道はきちんと通る。


いつもどおり、あちらの世界とこちらの世界を行き来していくのだが、

あちら側が、ラブホテル 「アルファヴィル」という現実にある存在で

コチラ側が、デニーズやすかいらーく 自宅が 舞台

異世界というのが殆どでてこないのが村上春樹にしては珍しかった。

唯一あるとしたらお姉ちゃんが入り込んでしまった世界の切れ目として、テレビの中くらいか。

ラストはもどかしい終わり方をするが、希望の種だけは残していっている。

短編小説のようにすらすらっと読める久しぶりの村上春樹本でした。

気に入った言葉は、
高橋の言葉P19
浅井エリみたいなすごい美人とデートできたらいったいどんな気持ちがするんだろう?知的好奇心? けっこうココがツボに嵌った。

P138 裁判という制度そのものが僕の目にはひとつの特殊な異様ないきものとして映るようになった
裁判自体を 深い海の底に住む巨大なタコ と例えていた。この権力に対するイメージは村上春樹一貫のテーマな気がする。一人では対抗できない。どう逃げ切ろうとしても、切り落としても何度も追いかけてくるイメージはすごくわかりやすい。

P243 コオロギの言葉

あんたがお姉さんに対してほんとに親しいぴたっとした感じを持てた瞬間を思い出しなさい。
(中略)一生懸命思い出そうと努力していると、いろんな記憶がけっこうありありとよみがえってくるもんねん。

2013年5月25日土曜日

旨い仕事論読了


旨い仕事論読了
各人の仕事への取り組み方をインタビュー形式で記載
とくに飲食業に専念して書かれている。

和 道場六三郎の言葉

性に合わない事はしない、性に合うことをすれば心理的にも動きにも無駄がない
手を抜かず、ひとの二倍働く
相手ではなく自分を自身を変えていくことで物事は好転する
人間は追い詰められた時肝がすわる、なんとかなる という開き直りの精神
相手の気持ちを考えて行動すること

洋 北岡飛鳥の言葉

運命に逆らわない
心底好きなものは自然にそれをやらざるえなくいられるものだ。
プライベートが充実していると仕事が充実する
仕事が充実しているとプライベートが充実する

中 長坂松夫

信じた上司のいうことは100%信頼する
技術や知識よりも心構え
嫌なことを面と向かっていってくれる人=自分にとって大切な人
お前は料理はできないけれど、人を使える能力があるのはおまえしかいない。
そして21歳で料理長に抜擢
良いときにどう動くか、悪い時にどう動くか 相反する局面での働きで人間の大きさが決まる
自分のなかにある陰と陽の部分では陰を隠して陽をできるだけ表面にだせるかが重要になってくる


インタビュー形式なので、まずもって読みやすかった。各章に名言を散りばめているから、
その章の言いたい事をわかりながら読める。ただ、類似本はリクルートのプロ論などあるし、これを読んで知的な好奇心を得られるかというとまた別問題。
どうせなら、興味を持ったところには食べに行くか、つてを使って会う機会を作らなくては真意がよくわからないし、心に突き刺さって来ないと思える。

モテ本一気に4冊読み

モテナイ。
なので、モテ本を読みまくった。
書いてある内容をここにまとめておこう
うまく実行できなかっただけなのかもしれないのだから




女性100人に聞いた魅力ある男の条件 なにが彼女の心をうごかすのか?

男の魅力は自信に裏打ちされた精神的なゆとりから生まれる
女の子は恋をするとき、ヒロインになるからこちらも主人公としてそれに沿った行動をすること
特別、彼女のために行動するをひとつでも起こす
服装には、気を使い、背筋をきちんと伸ばして堂々と歩く

まずは聞き上手になり、相手を楽しませる気持ちを持たせる
本能的にもつ守って貰いたいという気持ちに応えてあげる
「端的にいえば父性愛」
嫌われるポイントはネガティブ思考
告白とは、好きだということと、彼女になってくれたら幸せにすることへの未来への誓い

本自体は人間の理想像が書かれていて、それに到達するための方法論は書いていない。
そこの方法論こそが、ニーチェが永劫回帰の究極のニヒリズムで、耐えうる思考実験を薦めているのに。。。だから理想を再確認するにはいい本だけれど、実践は難しい。



最初の一言をどうかけるか なぜモテる人 出会いの話術

ナンパの成功のためには、まず実践 恐怖心を乗り越えて告白する
失敗は糧として落ち込むべからず
モテる奴には金やルックスに頼らない強い決意がある。最後まで執着心を捨てるべからず
ナンパする前には陽の気分を自分の中に作り出す。感情コントロールが大事
そして、相手も陽の気分にさせる。
ストリートナンパの立ち位置から話題の作り方などさすが塾を開催しているだけあって実践的。
トークに関しては相手を安心させることを基本にする。
ナンパには執着心と忍耐力が必要だ。 しかし真剣になれば誰でも必ずなんとかなる。

この本は実践的であり、具体的である。なので読んでいて納得感がでてくる。
そして気持ち、実践の気持ちの持ち方の乗り越え方も体育会系ではあるが書いてある。
学がある文章ではないが、凄まじいパワーにあふれている本だった。



好きにさせる心理学
渋谷昌三氏というのは、250冊もこういう一般向けの心理学を援用したエッセイを書いている。
書いてあることは、平均的なこと。だから面白くはないがハズレはない
繰り返し目に触れることで次第に好意をもってしまう単純接触効果
でも、心理学書ならば、なぜ何度も会うと好意が発生するのかという説明が欲しかった。
初頭接触時点では、わかりやすい魅力が重視される。
相手と自分との一致性、類似性が大きな役割を果たす
類似性こそが恋愛のきっかけとなる絶対条件とよべる
なので、できるかぎり多くの類似点、共通点(性格、能力、容姿、趣味など)を持つ人同士は恋愛関係になりやすい。
同調ダンス 相手のしぐさを真似る(ミラーニューロン)が働くのだと思う。
不安なときほどだれかと一緒にいたくなる親和欲求をもっている。
やはりなんにせよ似たもの同士は仲良くなる。
恋愛には距離感が大事だが、物理的に距離が離れている時は視線の交差こそが親密度をあげていく。
人間には縄張り意識があり、45cm-75cm圏内に入ってくると親密なものでなければ不安になってくる。その不安感、ドキドキ感を脳に錯覚させ恋心と勘違いさせる方法もある。
相手の特定化 あなただからという感情は恋愛感情を生みだす。
好意の返報性 好きと言われたら好きになってしまう。
自我関与 相手とのコミュニケーションのなかでできるだけ深く自分の心を訴え、存在をアピールする。そうすることによって、自分で選んだという感情が強くなってくる
微笑み、肌のふれあい、視線 が大事になってくる。
恋愛感情は基本的に人間関係の一部であり、ほほえみは子供が親の注意をひくため、好意を伝えるためにあるのだ。
最後のほうは、影響力の武器でも紹介されたフット・イン・ザ・ドア・テクニックなどそういったものが書かれているので、この本を読み終えたので、途中で放り投げている影響力の武器を読み返そうと思う。

渋谷昌三の本は、単純明快。心理学の言葉をたくさん使って説明してくれる。
概念はよくわかった。その正当性はわからないが。
ただ250冊も書いている人だけあって、文章は読みやすい。一冊は読んでおいてもいい本かもしれない。







モテる男の会話術

こちらはコーチング理論を使った本
コーチング理論を広めたいため、一番みんなが興味のある恋愛を題材にした本
まずは女性は圧倒的に話を聞いて貰いたい。(人間誰しも)まず言葉が届いたということを確認したい。
コーチングには自分自身の内面を理解してもらうこと が含まれている。
自分の考えなのだけれども、なぜ生まれてきたのか?生まれてきてどこにいくのか。それはだれしも考えるけれど、忙しさにかまけてわすれてしまうものになってしまう。それを自分探しは意味が無いといって切り捨て、自分とは相手との関係性のなかでしか発生しないという発想に行き着くもよし、本当の自分があって、それにはぜったいに到達できない影としてそんざいする自分という考えでもよし、ひとのためになにかするんだという考えでもいいと思う。どれだけ自分自身と向き合えるかが大事なのだろう。

合コンは笑顔、自信をもって望む。これはすべてのモテ本で書かれていることで、笑顔はどれだけひとを安心させ、親密感を与えるかというのを経験則でみんな知っているのだろう。
合コンのときにきちんと自分の感情を相手に伝えてみてほしい。これは感情を揺らす効果もあるのだろう。自己開示としての親密感も湧かすことができる。
またもや、距離感の話がでてくる。人間にとってどれだけの距離感、類似点、共通点があるかが大事なのかがよくわかる。
何度も出てくる自分自身を誇示する、自慢だったり自分のことしか話さないということを女性は嫌がるということ。それはわかるのだが、動物は誇示する。人間だって恰好で無意識に誇示したりしている。こんど動物の誇示は良くて人間が誇示されると逆に嫌がる理由というのを知りたいと思う。
コーチングスキルに、相手を承認するというのがある。きちんと合コン相手のことをひとりの人格をもった存在として尊重しているか、そこが出発点なのかもしれない。
コーチングっていいな。受けてみたいと思った。

四冊をまとめて読んでみて感じたのは


ひとはポジティブであることが好き。
共通点、類似点が多い人が好き
笑顔、視線は親密さをアピールする道具
人は存在の承認をしてもらいたい。自分の話を聞いて貰いたい。

この4点が読んでいて人間関係を良好にして、モテるための秘訣なんだと感じた。



2013年5月24日金曜日

サークルクラッシャーの女の子の名作漫画


サユリ1号 全五巻

たった10年前の作品なのに、もう印刷することもなくキンドル版しかのこっていないというのが悲しい。

大橋ユキというすごい美少女で、いろんなサークルを渡り歩いてそこのメンバーのすべてとSEXをして男女関係、友情関係をぐちゃぐちゃにして、どんどんと色んなサークルを壊していく。そんな女の子がねらったのが、海洋冒険同好会だった。

どんどんと壊れていく関係のなかで、主人公の部長とその幼馴染の関係性にも変化がでてきて、それが最後の救いとなっていく。

村上かつらはどうしてこういう一般の人間、弱い人間のこころをうまく表現できるのだろう。

物語で、大学生活を経験できるというつもりで購入したんだったな。
人間関係に飢えている人には、漫画という形式をとっているので安心して読めると思う。

でもこの漫画とも卒業しなくちゃな。




2013年5月17日金曜日

古すぎる本 得する生活読了


得する生活読了
2003年の本なので、どのくらい法律が変わったか知らないから
今更読む必要はないと思ったが、マイルの使い方すら知らなかった自分には
第一章のクレジットカードに関する章は参考になった。
また、

貨幣とは一種の信用であって、
ただの紙切れにすぎない。
それをみんな実体のないものに対して価値を認める信仰心が貨幣経済を作っている。

という考えも基本に忠実でこの一文でこの本の全てを表しているくらいだ。

借金を踏み倒すことで失うものはほとんどない。唯一は信用だけだ。ただ、貨幣経済は信用にこそが最大の資産であり、富を産む源泉である。

40を過ぎて金も地位も家族もなければ社会的な信用を得るのは難しい。

クレジットカードの法則
クレジット会社が得なことはあなたにとって損である
クレジット会社が損なことはあなたにとって得である。

販売店は、クレジットカードの利息分を商品価格に上乗せしている。カード払いの客が得をした分、現金払いの客が埋めているのだ。


一章 クレジットカードは世の中のカラクリを教えてくれた

クレジットカードをなぜあれだけ販売店は作らせたがるのか、そのからくりが書いている。

クレジットカードを選ぶコツは、ポイントの還元率、これが1%越えてくると良い。年会費無料は魅力的だが、還元率の割合と年会費を総合して考える必要がある。

そういうことを書いてあるサイトを貼り付ける。

それにハウスカードを組み合わせたり、金券ショップを組み合わせると、年利数パーセントの利益は得ることができるのだ。ただ、それがめちゃめちゃ手間がかかる。

目から鱗だったのは、海外旅行付帯保険はほとんど役にたたないこと。
医療保険がほとんどないからだ。
だから海外旅行に行く時はきちんと正規の海外旅行保険に入ったほうがよさそうだ。

マイルは第二の通貨
どのマイレージプランにはいるかはライフスタイルによるが、ロイヤリティの獲得のために航空会社はマイレージを積極的にやっているので、きちんと各自でシュミレーションしなくてはならない。
マイルの次は、格安航空券の生まれた歴史だ。それに対応するかのようにうまれたのが、もともと格安航空会社だ。マイルを貯めたかったら、宴会の幹事をやろう。それをカードで支払えばマイルはどんどんとたまり、タダで海外旅行にいくことができる。

世の中にはきちんと知っておかないと、損をするし、こうやって得をするものが生まれてくるのだな。それを痛感した一章だった。


二章借金から経済の秘密が見えてくる


この当時は、2003年当時消費者金融が盛んだったが、同じことを銀行がやり、なおかつ金利を安くしても、消費者金融に勝てなかった。いまではすべてのノンバンクが銀行傘下に入った時代からみれば隔世の感がする。

基本的に借金をすると、踏み倒したらブラックリストとして残るのは知っていたが、ホワイトリストのほうも金融機関相互で共有していたのは知らなかった。そして、いくら借りているかという情報はいまは知らないがこの当時はだれでもアクセスできたのか。それだけ債権者というのは、立場が弱く、返さなかったからといって刑務所に放り込むことができるわけでもなく、債権者は泣き寝入りするしかないのだ。

この借金も信用であり、貨幣経済はすべて信用によってまわっている。
何年も前の延滞によって信用情報が傷つき、ローンが組めなかったりするのだ。
まず借金情報は銀行金融機関以外の調査会社でも借金の個人情報は簡単に調べることができる。借金についてはプライバシーはあったものではない。

金貸しは利息が安い金貸しが良い金貸しだ。
民間金融より公的機関、無担保より担保融資、消費者金融より銀行ローン

この章は、連帯保証人制度の活用法などか書かれている。ただ、なにせ古い本2003年なので、いまがどうなっているのかの知識は得ることはできないというのが残念だ。
債権回収は汚れ仕事

人間の醜い姿を繰り返しみることになる
人は借金を返さないように物凄い努力を重ねるものだ。で、会社からは回収して当たり前といあ風に見られる。確かにやってられない仕事。

信用情報を無効にする方法がある。
信用情報は、名前、住所、生年月日

このなかで住所、名前は簡単に変えられる。結果、信用に傷ついた情報を無効にすることができる。
国民マイマイナンバー制が導入が検討されているが、これが出来るようになると、個人情報の部分ではだいぶ厄介だが、いろいろな問題が解決するのだろう。だから導入したがってるともいえる。

世の中には金貸しより賢い人間はいくらでもいる。多少の知恵があれば金融機関を食い物にするのはそれほど難しいことではない。

金のない人間から金を取り立てる有効な方法は連帯保証人のハンコを押させることである。金や地位のある人間を連帯保証人にすることができたらどんな危ない融資だって回収に不安はない。

それに対抗するような方法として、自己破産の手続きがある。なんにせよ、法律につうじていれば、金の返せない弱者だったら借金がチャラになる魔法の方法はあるのだ。

不動産を所有するということは、固定資産税を支払いする、マンションなら管理費を絶対に払わなくてはならない、持ち家を推奨するのは、そこから金を吸い取ることができるからだ。

得する生活

人間が完璧ではない以上、市場は少しだけ歪んでいる。その歪みは利益を求める人々の行動によっていずれ修正される。他人よりいち早く市場の歪みを発見し、賢く利用することが得する生活の第一歩になる。

古い本であり、マニュアル本ではないと著者自身も述べている。それでも、このように市場と法律の少しの歪みを発見し、それを使って儲ける事が出来るのだという解説本としては最適だった。この本から橘玲が好きになった。

2013年5月16日木曜日

うつになることは生まれ直しを迫られていること


クスリに頼らなくても「うつ」は治る

いろんな欝に関する本を読みあさっているけれど、どの本でもいうのは、
考えかた、この病気というのは生き方を変えることを
自分自身から迫られているということだ。


今現在ほとんどのうつに対して薬物療法が試みられている
しかし何度社会復帰を試みても再発のため療養が長期化して
諦めの心境になっている人たちがいる。
薬物療法はあくまで対症療法であり、病根にはアプローチしないからだ。

そもそもうつがその人に生じたのはなぜだったかを探索し
自然治癒力を妨げているものがなんだったかを明らかにして行くのが、
精神療法と呼ばれる

そもそもうつとはどこか外から降りかかってきたものではなく、内面で生じた現象。
セロトニンのアンバランスという説明で済ますのではなく、
なぜ発症以前にはなかったアンバランスさが
その人に生じたのかを考えなくてはならない。


この泉谷閑示の考えかたでは、身体、心、頭、と分けて見る。

動物は心と頭で生きている
文字通りの一心同体で心と身体がつながっている

だから決して心と身体は対立をしたりしない。

ただ、人間は頭を発達させてきた。過去の分析や未来予想をすることで、
文明を作ってきた。
が、弱点があり、いまここ現在を把握することが不得手である

頭を表す言葉はmust shouldすべきだ、してはならない、に違いない
 主に論理的思考を司る

心とは、感情、欲求、感覚、直感を生み出し、いまここ、現在を見ることができる。
Like want to 、〜したい、したくない、好き、嫌い、
頭のように論理性がなく、結論から出てくる。


頭が強くなりすぎると、心をコントロールしようとして
頭対心と身体をいう図式を生み出してくる。
うつとは、こころと頭の対立によって生じてきている。

頭がコントロールして心を支配しようとしたとき
発生するストライキしてうつになる。


回復には、頭主体から心と身体の復権が必要になる。

あまりに頭の精神力が強い人が鬱になりやすい。
精神力が弱ければうつには逆になりにくいとも言える。

頭のコントロールに対応しようとしても聞き入れない場合、
心は身体にSOSサインをだす。
それが心身症と呼ばれるものである。

身体の不調をただ困ったことと受け取るのではなく、これは何を言っているのか?
という問いをもつこと、それを手がかりに自分の心に耳を傾けて見ること、
少しずつ頭と心の間の蓋が開き、調和の取れた状態になって行く。

自己イメージがあるべき自己イメージ一色になってしまい、
実際のある自分が見えなくなってしまっている。

〜すべき〜してはならないという頭の命令に常に従ってきた人にとっては、
じぶんの心の〜したい、〜したくないという声が聞き取れない。
まずはそれを聞き取れるようになると、遊ぶことができる。
遊べることは改善の一里塚とも言える。

鬱になりやすい病前性格

作業遂行上の秩序を重んじる、道徳、人間関係、責任など
社会的な秩序を重んじる傾向がある。

また道徳心の強さから、心から湧き上がってくる怒りや恨みも良心的であるべきだと
いう頭から却下されて、行き場のなくなった感情が鬱状態を招く

新しいタイプの遊びにいけても会社にはいけない性格の場合

対人関係への過敏さ、過度に他人にどう思われるかを気にする神経症、
不当に自己評価が低く自分を無条件には愛せない自己愛の問題を抱えている。
傷つきやすい繊細さ、他者からの評価を拠り所にする傾向が強く、
ときにそれが感性豊かな仕事を産んだり、人並外れた頑張りをすることもあるが、
しかしちょっとした失敗で挫折感を味わい、
人間関係による動揺が大きい敏感な性格傾向とも言える。

性格はその人の突出した資質であり、良い形で出れば長所、悪い形だと短所になる。
精神療法では、資質は変えられないが、良い方向にでるように
治療アプローチのガイドやサポートをしていく。

うつの経過中はイライラしやすい状態になる。怒りは心に由来するものであり、
頭と心の蓋が外れるとき、どうしても最初に出てくるものになる。
ネガティブな感情から先にでてくる。怒りというのも自然にでてくるもので
それを押さえつけることは問題があるのではないか。
怒りをだからといって周囲に撒き散らすことは社会性の問題が発生する。
自分でやる方法としては、日記を書くこと、
そこに心の吐き出しノートをつけること。
書くことは論理的作業なので、心で感じている怒りを言葉に落とし込むのは結構難儀なこと。
しかし根気良くやって行くことで、頭と心の協働作業が生まれる。

不眠について
眠るを死ぬことと捉えれば、今日一日をよく生きていなければ良く死ねない。
死ぬに死ねない状態になる。つまりは不眠になる。

なぜうつになると死にたいと思うのか?

死にたいという患者の心は積極的に死を望んでいるよりも、
終わりなく続く苦しみからとにかく解放されたいと思っている。
死にたいと思っているくらい辛いということに対しての
SOSサインでもある。患者自体も死にたいと言うこと自体に罪悪感を持っている。
それでもひょっとするとこれを話すことによってなんらかの救いが
得られるかもしれないと期待してしまう。

自己否定型うつ病の場合、発症以前から心に自己否定を宿しているので、
死にたいという気持ちは強弱はありつつも長期間もっている。
その場合は薬物療法よりも生育史を丁寧にたどって自己否定を明らかにしつつも
そうなる以前にあったはずの自然な自己愛を蘇生させる作業が必要になる。
もともと強い感受性と内省力をもっているので、しかるべきサポートを得られたら
病的な方向に発揮されてしまっている生来の資質を
美点として開花させることもできる。

努力に価値をおく視点

成功したひとは努力をしていると考える。しかしそれは努力ではなく、
本人はただただ熱中していたのを努力と見誤ってしまっているのではないだろうか、
人間は生まれ持った資質に叶うことであればそれを面白いと感じ、
資質に乏しいことには苦痛を感じる。努力信仰は、資質の乏しい方向に
無理に進むことを奨励してしまいかねない。
人間本来が備えている快不快のセンサーはその人の生き方についても
その人の資質にあった方向に導いてくれる。

うつは心の風邪?

うつというのは、心の風邪というが、長期間かかるため、
むしろ疲労骨折に近いとも言える。
鬱は完治というのはなく、病気の勢いが弱まった寛解という言葉を使う。
再発の可能性はいつでも残っている。

病というのは、何らかのメッセージを自分自身に
伝えるべく内側から湧き上がってくる。
病はその中核的な症状によって、自分自身をより望ましい状態に導こうとしていると
という考え方を取り入れてみる。

うつは元に戻るという考えると再発の可能性もある。
生き方や考え方が代わる生まれ直しという深い次元での治癒が必要になってくる。

うつの本当の病根は何なのか、そこを見極める作業は本人に任されてしまっていた。
それを精神療法を用いてきちんと治癒を目指す。

薬に頼っていると後ろめたさが出てくる。そのときは薬に頼っているのでなく、
クスリを活用していると捉え直す。
きちんとクスリを使用する事で状況が改善され、
あるところから必要がなくなってくる。
医師と違った中途半端な使用方法をしていると帰って長引かせてしまう。

うつでは大抵の場合、物事に対して拒否反応を示す部分というのは
だいぶ広がってしまっている。
そのマイナスイメージを絞り込んでいく作業が必要になる。
そうすると鬱を生み出した核となっているオリジナルのテーマが抽出されてくる。
そのテーマによってどういう社会復帰をするかを決めて行く。

適応障害について

適応障害の解決のためには、まず環境からストレス因子の除去が優先される。
だが、世間のイメージはどうしても本人がその環境に適応できるようになることが
治癒だと勘違いしてしまっている。

現実との関係を尺度にして人を判定する事は適応イコール正常と考える事になる。
その現実自体が、満員電車にゆられ、長時間労働をして、
理不尽な命令に耐えることだったとしたら?それは適応しているが、
人間性としてみて適応していると言えるのだろうか?


心理学で葛藤や抑圧とあるが、
頭由来の論理と心由来の感情が対立している、これが葛藤

抑圧は頭が心との間の蓋を閉めてしまい、頭の中は何の問題ないが、
心の奥底に問題を抱えたままにしている。

葛藤は人間的な意味では健康とも言える。
抑圧が進みすぎると、心の声の蓋を閉じてしまうがある程度限度を越えると
それは心と体がストライキを起こしてうつという身体状況を生み出してしまう。

鬱状態に陥ると、あまり意識しなくて済んだ
生きる意味を問わざる得なくなってくる。

人間の基本的価値観はどんな価値観が支配的な時代に人格形成期を迎えたか
によって少なからず方向付けられてしまう。
一度できた基本的価値観は時代が移り変わっても深いところではなかなか
簡単に変化しにくいものである。


しっかりうつをやるという発想

うつになると昼夜逆転になる。
治療を始めた当初は規則正しい生活をと言っていたが、
起こってくる症状に何らかの意味があるのではないかと思うようになってきた。
病気や症状にはなにか大切な働きをしてくれるのではないかと
しばし立ち止まって視点を変えてみる事が欠かせない。

何をやっても長続きしない。とくに自己愛がうまくいっていない人に多い。
かりそめのいい子でありたいという思いである時期は長続きしていた。
そのかりそめのモチベーションが自分を支配してしまい、
真のモチベーションがつかめなくなってしまう。

ニーチェのツァラトゥストラのラクダと獅子と小児のように、
ラクダとしての義務が果たせなくなった
疲弊した状態になり、義務の遂行が次第にうまくいかなくなり、
物事が長続きしない時期になる。
やがて、意欲減退、集中困難、鬱状態になる。この行き詰まりの極地において
ラクダは獅子に変化する。ただ獅子は強奪する猛獣なので、
怒り、苛立ち、攻撃性を帯びている。それまで自分を支配していた
龍を連想させるような対象に対しては敏感に怒りの矛先を向ける。
この状態を通り過ぎると小児、物事をあるがままに捉える事ができる
成熟した人間になる事ができる。危険だった獅子の獰猛さも
己の主体性が取り戻された事で自然に消えて行く。

復職の時期については、医師側の見たてと患者の思いが食い違いやすい。
治療の中でも難しいポイント。
復職したいというのは本当に心の声なのかを考える。
それが復職すべきという頭が心を偽装した声かもしれない。
その場合は、復職したいといっても身体がついてきてくれない。
心から復職したいと言える状態になるというのはどんなものか?

頭からではなく、心と体の真の休息がとれるようになると休む日々、
好きに遊ぶ時期が物足りなくなる、退屈になる。
社会と関わってその中で自分を生かしたいという欲求が強くなってくる。
真の心から発してくる決定は精気に満ちた状態とも言える。
逆をいえば、復帰と休職を繰り返したり、長い期間状態が改善出来ないケースの
ほとんどの場合真の休息に至る前に復帰をしたか、
社会化した頭が心に対して真の休息を許していない状態に
あるのではないだろうかとかんがえられる。

しっかりうつをやってみるという逆転の発想

病と闘うと考えてきたひとはこころと頭が対立したまま療養したつもりで、
むしろ皮肉にもうつを促進的な内部環境を作ってきていた。
まず、病に従ってみる、鬱に従うとは何もしたくない、
抑うつ気分や意欲減退に身を任せてみる
現代人の鬱は大まかにいえば頭によるオーバーコントロールにたいする
心と体の反逆というもの。
次に動ける状態になってから、なにをしたいのかわからなくなってきた、
何もしたくないという気持ちになってくる。
そこで、頭は心と体に何が本当はしたいの?と問いかけるが何も答えてくれない。
何故なら長い間声をあげてこなかった心と体はいわば退化しており、
再び動き出すには幼児の目覚めに相当するプロセスを経る必要がある。
なんにでもイヤイヤという幼児性を経て、
徐々に一貫性をもった〜したくないが生まれてきて、
やがて〜したいという高度な自己主張が表明されてくる。

〜したくないの対象が絞り込まれてくると、その人の譲れないものが
ネガのように反転した形で見えてくる。
決して妥協できない中心的なこだわりが幹のようにあり、
多少の妥協は厭わない周辺的なこだわりが見えてくる。

絞り込まれたしたくないことは、その人の中心的なこだわりに反するもの。
したくないの声を手がかりに小さな声のしたいに耳を傾ける。

夏目漱石がいう他人本位こそが、
何もしたくないという空虚さ、不安感を生んでいて、
外から無批判で受け入れた知識や価値観を用いて生きるのではなく、
丁寧に咀嚼した我が血肉とよべるものを養成し、それに基づいて生きることにした
自己本位に目覚めることになった。
自己本位として漱石が言いたかった主体性の回復の大切さは時代が変わっても
大事なものである。

いまの私たちは未来に備えることばかりをしていて、
いまを生きることをしてきていない。
心と体はいまを重視するので、あまりに将来に偏った時、
内なる自然は警鐘を鳴らし始める。
内なる自然を信じて、生きていく。
身体にいい食べ物というのは頭で考えることもなく、
身体が食べたいという欲求で教えてくれる。
その日その時の体調によって必要なものを間違いなく教えてくれる。
大切なことは、その時の自分の身体がなにを欲しているのかというのを
歪みなく聞き取れるように心がけること。
身体の声が聞けるということは頭と心の蓋が開いている状態に相当する。

うつのみならず不健康な状態とは頭が独裁的に肥大化して、
心と体を無視した時に引き起こされる。

人間には何もしないという空白の時間があってこそ、内省や創造といった
内的作業が可能になり、ぼんやりと思いを張り巡らせて見たり、
自分自身と対話を行ったりする。人間はなにもしないということに耐えられるほどの
忍耐力は持ち合わせていない。療養が長引くのは自己コントロールという
頭の要素が解除できず、充電しながら放電している状況に陥っていると言える。

うつがなおるとは

病気以前の状態にもどるのではなく、
生まれ直しという深い次元での変化が真の治癒と言える。

自力とは自分の力を頼りにしていることで、
他力とは仏の力によって導かれている開かれた状態のこと
自力とは頭の意志や知力を頼りにし、
他力とは心と体に委ねると言った状態

鈴木大拙が自力を尽くしたところで他力が働いてくると述べた

鬱時点では患者はまだ自力を捨てず自己コントロールの主導権を握ったまま、
意地を張り続ける。この時期が治療の最も根気のいる時期になる。
いかに自力の根を切り取れるかが今後の経過を左右する。
動けない、なにもしたいと思えない、起きられない、この時点は頭が動くべきだ、
なにかしたいと思うべきだ、起きるべきであるとおもっている。
それが、動かない、何もしたくない、起きたくないと変化してきたら、
療養が良質なものになってきている。何故なら心から発せられている言葉だからだ。

それがこんな風に何もしないで過ごすのは快適だ、ずっと休んでいたいなあと
思えるようになってきて休みを満喫できるようになったら、
自力を捨て他力に身を委ねているといえる。

このプロセスを経るということは大自然の摂理で動いている心と体に対して
頭が畏敬の念を抱くようになり、大いなる流れに身を委ねる
生き方に目覚めることになる。
適応イコール正常と信じていた思い込みが脱落し、
適応イコール麻痺であることが見えてくる。
自力から他力に抜け出すことによって生来刷り込まれていた
思い込みの数々が再検討され、
物事の真の姿を新たに捉え直す動きがでてくる。

うつは、現代における重要な覚醒の契機のひとつであるとみることができる。

2013年5月15日水曜日

人生で行き詰まった時は逆が正しい



自分の受け入れ方読了

気になった文の書き起こし

人は生き始めるスタートラインが違っている。同じトラックを走っているように見えて、実は何周も違って走っている。到達する地点は違っている。だから、到達した地点ではなく、自分が走った距離でじぶんの人生を評価することをこの本は勧めている

自分を受け入れる
人に受け入れられるよりも、自分で自分を受け入れられた方がはるかに大切で気分が良い。
逆に自分で自分を拒絶するとそれが悩みの種になる。

自分を卑下しないで、人を認める。
自分を受け入れるためには自分を知る。
自分を受け入れられない人は親しい仲間がいない。じぶんの運命を受け入れられない人は仲間が悪い。心の底では孤独であり、憎しみがある。

自己を認めない人には、幼い頃からありのままの自分に価値が無いと錯覚をした。そしてその段階で心の成長を止めてしまった。長年に渡りつもりに積もった不平不満、心の不満の根雪を解決しようと一気に飛び越した考え方をしてしまう。
悩んでいる人の共通点は自分を受け入れていないことである。
ありのままの自分に価値を見いだせれば運命は光になる。
自分を受け入れられないで悩んでいる人が本気で解決しないとならないのは、仕事の失敗ではない、自分への間違った評価である。

人に認めてもらいたいと自分を偽るから疲れる。
幼児的願望とは、わがまま、頑固、おんきせがましさ、ナルシズム、依存性、いつでも褒められたい、注目されたい、求められたい、とにかく自己中心的なので願望のことである。

大人になって幼児的願望が抑圧されていると、表面は大人の振る舞いをしなくてはならないから憂鬱になる、イライラする。幼児的願望が満たされていないまま大人になると、我慢我慢の連続になる。いつも心に不満を抱えている。人間関係もうまくいかない。
幼児的願望が満たされなかったのは、その人の運命だったかもしれない。それにも関わらず、どうにかそれを克服しなくてはならない。人生は不公平に出来ている。美人もいたり不美人もいる。それに加えて幼児的願望を満たされて過ごした人もいれば、過ごせなかった人もいる。
それを運命だとして受け入れなくてはならない。

愛されなかったものは人を信じることができない。愛されて始めて愛する能力も出来てくる。
憎しみの処理は、愛されなかったものの人生最大の課題である。
幼児的願望の処理は人生最大の課題である。

生きづらさを和らげる方法

俺の人生は辛いと認めること、これが運命だと決心する。
だいたい人生はうまくいかないように出来ているものだ。

自分の背負った運命と闘うことが生きることである。

じぶんの精神の幼児性を認め、それを受け入れてくれる友人を選ぶ
自分に正直になり、心の底にある不満に直面すること、恨みがある。

アイデンティティはどう確立させるのか。
理想の自分と現実の自分を間違えないこと
なりたい自分といま現実の自分を勘違いしてはいけない。
ドン底に落ちた時、本当の愛が見える

愛されないで育った人が人生は不公平だと受け入れられた時、始めて救われる。人と比較しない自分自身の目的ができる。そしてその目的に向かって生き始めることで毎日が楽しくなる。

何より自分の過去を受け入れる、それが決断であり、人生最大の業績である。
人生の業績は人によって違う。人それぞれ違った運命を持って生まれてきている。だから、業績も人によってそれぞれ違う。

自分の脳は幼い頃からの長期に渡るストレスで生きにくくなっている。自分はこの脳で生きて行こうと決心することが、正常な脳で生きることを断念することであり、正常な脳で生きることを相対化することである。
決断と諦念、断念を通して始めて自分の人生を生き始めることができる。

生きることに疲れたあなたは、人生はそういうものだと覚悟する時にきている。不幸を受け入れようとする気になるとなにをすればよいか見えてくる。
私の人生は辛いと認めること。

人生はなるようにしかならない
ジタバタしても仕方ない
人生、寿命があるのでいつかは死ぬ
そう覚悟できたら心に余裕ができる

運命に逆らえば逆らうほど運命は過酷になる。人間が運命に勝てるわけがない。自分の運命にあった生き方を探すことである。

自分を受け入れない人は人生の目的を間違える。運命は逆らえない。運命はじぶんの方から進んで受け入れるしか生きる方法はない。覚悟を決めるとは口でいうは容易いが、実際はものすごいことである。自分の人生が悲しくて悲しくて胸が張り裂けそうになる。何度自分はこの人生の辛さに耐えたのか、そう思うと悲しさで崩れ落ちそうな気持ちになる。
これほど人は不公平に生まれている。これほど人は不公平に育てられている

初めは涙と共に運命を受け入れることである。そして、一人しみじみなくことである。涙が枯れるまでなくことである。


ゴリラがウサギとして認められようと長年に渡って努力すれば最後は無気力になるだろう。自分を否定する努力を長年に渡って続ければ生きるのに疲れるのは当たり前である。

事業に失敗したからこそのあなたなのである。あの大学に落ちたからこそののあなたなのである。それに悔やんでいるとすれば、あなたはあなたの指紋を悔やんでいるようなものである。
指紋が人それぞれ違うように人生は人と違っているのだ。

自分の人生の履歴はまさに自分なのである。成功の裏にも失敗の裏にも自分がいる。
あなたの失敗はあなた固有の失敗であり、成功はあなた固有の成功なのである。

何より大切なのは自分が自分として生きることである。

不幸な人は自分はこうあるべきだというところから出発する。だから生きづらくなる。

あなたの人生でかっこ悪いと思っていることがあるだろう。誰にでもかっこ悪いと思っていることはある。だが、じつはそのかっこ悪いということころがあるから、あなたはあなた自身なのだ。
なんという自己を肯定する力を要求するのか。
いまなりたい理想の自分は本当にあなたにとって望ましい自分なのか?むしろいまの現実の自分の方が望ましいことはないだろうか。理想の自分という解釈をもう一度考え直す事を勧める

あなたがいままでそのように生きてきたということが、そのままあなたの固有の人生なのである。あなたの過去を肯定するとはそういう事である。
だから、あなたは自分がいままでしてきた事の中に自分を発見できる。

自分が自分として生きているか、自分ではない自分を演じて生きているのかそれが問題である。
なぜ自分ではない自分を演じてしまうのか?
間違った価値の序列が自分の心の中にある。
実際の自分を卑下しているから自分と違った自分を演じてしまうのである。

人は段階を追って成長して行く。したがって幼児期から愛されなかった人は単に社会に擬似適応する事はできても心理的には成長しておらず、情緒的には成熟できない。
幼児期に愛されなかったひとにとってはたとえ大人になって大人の役割を周囲から期待されるのは辛い。
周囲から期待されたことはあなたの運命なのである。それを辛くてもそれを引き受けるということが運命を引き受けるということである。

人が自立し始めたときは本人は意識していなくても心の中ではものすごい闘いをしている。表面的にはなんの困難もないようにみえるがただ生きているだけでものすごいストレスがあって当たり前なのだ。
依存性から自立性へと移行するときは心のなかは戦場である。
自立性を獲得し始めた初期の段階では単に生きているだけでも必死の闘いである

いままでは人の期待に応えるためのストレスであった。人の期待に沿うようにすることに必死だった。無理をしていた。それは大変なストレスである。いままでは人の好意を得てその好意で自分を守ろうとしていた。そのためのストレスである。しかし自立性を獲得し始めたときには、自分の意見を述べるストレスである。自立性を獲得するとは人の好意を得るために闘うのではなく、自分の意見を通すために闘うのである。したがって結果がどうであれひとを恨まない。
自立性の心理状態になるとする事はすべて自分のためである。だから何事も自分がしたいからしたのだとなる。
自立性を獲得すると恩着せがましくなくなる。人を以前と比べて恨まなくなる。結果として人間関係はうまく行くようになる。

人はそう簡単に自立できるものではない。あなたのなかの依存への欲求はものすごい。
あなたはうつになるように、ノイローゼになるように生きてきたのである。それがあなたの運命なのである。だからまずうつだろうがノイローゼだろうが受け入れる

幸せとは問題のないことではない。問題を扱う心の能力によって同じことを幸せと思うひともいるし、不幸せと思うひともいる。
ものの捉え方で幸せか不幸せになるかが決まるのだ。

人間は自分で自分を苦しめている。
恨みを持って死ぬか優しい気持ちで死ぬかはあなたが選択することである。

おそらく悩んで不幸になっているひとは避けてはいけない問題の解決を避けてしまった人たちではないかと私は思う。
うまくいっている人生とは問題のない人生ではなく、次々に問題を解決していっている人生である。
生きがいとは問題解決の積み重ねのなかで味わうものである。一つの問題を解決することで人生に意味がでてくる。

擬似成長しているときには消耗が激しいから些細なことで落ち込む。擬似成長しているひとには生命力がない。
しかし本当は落ち込むのではなく誇りを持っていい。誰も好き好んで擬似成長したのではない。誰でも本当に情緒的に成熟したかった。しかしそれができる環境ではなかった。成長していないのに外だけは成熟したふりをしなければ生きてこれなかった。内面は幼児なのに成熟した大人の役割を演じるのは地獄である。このギャップのなかで生きるのはものすごいエネルギーがいる。幼児の頃から集団への献身を求められた人が大人になってどうしてエネルギッシュでいられようか。
死なないで生きていること自体が奇跡なのである。
生きることに疲れた人は、自分はすごいのだと気がついて欲しい。

そして、あなたの心の底に積み重なったゴミを焼き払いなさい。もう助けてくれと人に叫ばないで自分でゴミを焼き払いなさい。
人生はやり直しが効くのにどうしようもないと思っている人たちが多い。
この本は生きるのに疲れた人が自分を受け入れてエネルギッシュになるための本である。

2013年5月7日火曜日

塩野七生の時事コラム集2006年から2009年


日本人へ 国家と歴史編

時事問題をローマの歴史と絡めて説明する塩野七生流の文章

特に最初の後継人事について最高のものは、イエスキリストから初代教皇ペテロへ
ユリウス・カエサルからローマ初代皇帝アウグストゥス

両方共、相手の持っていないものをもつ正反対のものを選んだのだ。
ペテロは頭の切れないペテロをトップに据えて、回りの警戒心をとかせることに成功した。
アウグストゥスは病弱だが、無理のしない冷徹な政治家に渡し、ローマ帝国の礎を作った。

同じ事を小泉総理から安倍総理にできただろうか という時期の本だから
うまくできたのかどうか、一年で放り出したのだから失敗だったのだろう。
でも、その失敗が2013年の今となっては力強いリーダーとしての安倍総理の復活劇に繋がっている。

後継人事の難しさを感じる。素質はあったのだろう。それでもその重圧に耐えられなく辞めざるえなかった
第一次安倍内閣。その経験が二次内閣に繋がるのだから、歴史というものは面白い。

内容的には、ローマ人の物語を書き終えての後日譚 書き加えたいところだったり説明をしたいところを書いている。
あの15年にわたって毎年一冊物語を発行するのは苦労したかといえば、(とくに滅亡時)そんなことはなく
よくもわるくも歴史の愉快な男たちと過ごせた日々だったと書き記している。

歴史というのは流れさえ感知することができるようになれば、半ばわかったようになるようなものなのだ。
ローマはこういう歴史をたどった。紀元一世紀は力はあっても洗練度がなく、二世紀は力とともに洗練度も最高潮になる。
三世紀は力は衰えただ洗練度は最高を維持していく。

靖国神社問題についても語っている。自分が靖国に参拝したときに感じた個人的な意見だが、ここは死者の霊魂を鎮魂する
場所であることは間違いない。それに大してA級戦犯だろうが、なんだろうが戦争で亡くなった人を弔うのは必要だと思う。
ただ、隣にある遊就館は、大東亜戦争の日本の戦争の記録を残していることが問題だと思う。
それは、鎮魂の場所である靖国神社には似合わないものではないだろうか。ここは死者と生者の出会う場所なのだから。

本では第一次安倍内閣を買っていない。誠実のあまりに単純すぎる。民主主義の政治家は感性にうったえて得た票を
理性に基づいて権力行使しなくてはならない。「美しい国」という目標の抽象度の高さが人々には伝わらなかった。

その後、歴史の示す通り、一年に一回政治家が代わり、そのたびに日本の国力を落としてきて、
再度安倍総理にバトンが回ってきた。こんどは「美しい国」という抽象度が高いことは言わず、インフレ率2%経済成長3%と
いうような明確な目標を立てる強い総理大臣、期待の持てる総理大臣として返ってきてくれた;

ローマ皇帝たちを日本の大臣にしてしまうという遊びも面白かった。いまだローマ人の物語15巻読みきってはないけれど
それでもこういう人がいたのかという想像ができて楽しい。

こういう外国から日本を見てくれる日本人というのは、変にドライか愛国者のどちらかになるかのどちらかというが、
このひとは愛国者の部類ながら、外から見る情けない日本を書いてくれる(イタリアももっと情けないが)
だから読んでいて、溜飲が下がるがしながらコラムを読み進めていくことが出来る。
読んでいると、日本はほとんど注目されていないのだな。関心がまったくない。日本がアフリカに対して感じるくらい関心がない。
いくら地域的に真逆でも、日本はヨーロッパへの関心はまだ持っているのに、反対側はもっていないのか。

小沢一郎に大連立を福田総理と自民党との大連立を薦めているのは、先見の明があったと思う。
この時期に連立しなければ民主党は政権を運営できなかった。
負けた側からの手は受け取れないが、勝った側から差し出された手は受け取ることができるからだ。

2006年から2009年あたりのイタリアと日本の実情をローマ人の世界を見てきて返ってきたおばさんの目から読むのは楽しい読書経験だった。

日本人へ リーダー篇
http://yasu0312.blogspot.jp/2013/04/blog-post_2.html
の続編に当たる。