2011年1月2日日曜日

稲盛和夫のガキの自叙伝

稲盛和夫の自伝 私の履歴書を加筆修正した話




まだ現役バリバリのひと 

JALの再建をやっていて、叩かれながらもやってるひと。

京都サンガFCがどんなに悪くても見捨てない不思議なパトロンの怖いおっさん。

経営手法とか生き方がスピリチュアルでちょっと朦朧してるんじゃないかと勝手に判断してた。




この自叙伝を読み、人生は壮絶。ただ単純に哲学的なきれいな事を言っているひとじゃなかった。

鹿児島で生まれ、子供のころ結核を患い、なかなか目が出なかった学生時代

その中で、人生でいちばん大事だといった高校時代「紙行商の仕事」を素人ながら回したこと。

戦争で家を失って、生活の糧を失ったなかで、やってきた経験からの覚悟や人間への理解は

どれだけの人がその深さまで考えられるのだろうか。自分には想像もつかない深さだ。

その後の躍動振りも戦後日本復興時代の創業期の人間にしかない熱さ。

あと、後先は考えているんだろうけれども、最後のところで命を張れる度胸の良さというものも。


人生前半は、人の縁でどうにか引っ張ってこられたことにすごく感謝している。

中盤の松風工業、京セラ創設時代は、技術者としての実力を発揮していった時代。

セラミックを使った発明や、創業期の問題、技術的挑戦。

経営手法は苛烈だ。できるまでやるということを徹底している。退却することを良しとしない。

開発現場では、泣き尽すまで働く社員を作る。自燃性の人間という。

自分の為や周りの家族や友人の為には自燃性の人間には人はなれる。

でも、会社の為にここまで頑張れる社員を育て上げるのは半端ない器量の持ち主としか考えようがない。

宗教的と言われるこの手法。成果がでて、酔っていれば、これほどの幸せはないんだと思う。

人生後半は、企業の吸収合併したり、DDIの挑戦したりと、誰かに何かを命令してやらせる場面が増えてくる。

最初は救われたひとが後半はひとを救っていくことを繰り返して行っている。


そういう人なんだろうな。得度したときの托鉢の修行で、おばあさんから100円もらったことを

感謝している姿は、稲盛和夫の伝説をどんどんと心のなかで膨らませてしまい、

勝手に個々の稲盛和夫像を作りそれを目指す自分たちという図式になる。

膨らみまくった理想の妄想を受け入れてくれる度量を稲盛和夫に求めてしまう。

そして、死んだあとは、伝説で目標の経営者として、こころのどこかでずっと神として生き続けるんだろう。

永遠に生き続ける方法て、自分を捨てなくちゃダメという

利他の精神というものをそうやって体現していっているんだと思う人。

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