2013年5月6日月曜日

カウンセリングの手法一覧が書かれた本


立ち直るための心理療法 読了

「心の問題の原因は過去のトラウマにある」とする考えかたを立ち直るためには有害無害

身体の変調をきたして病気になるのと同じように、身体の一部分の脳が変調きたしてなるので
精神が弱い、育て方に問題が
合ったなどという立場は取らず、ただ器官の変調としてみなす。

そして精神科の薬は、原則的にすべて対処療法である

まずは、ありうる病状を列挙する。

うつ病

物事への活き活きとした関心が失われ、非常に悲観的になる
⇒脳内物質のセロトニンの減少なのだが、
ただ、脳内物質のバランスが崩れる原因はなにかまではわかっていない。

統合失調症

通常の意味の読み取りシステムの秩序が解体した事態
薬物療法によってむかしほど酷くはなくなり再び日常生活に帰ることが出来る
ただ、以前のような難しい仕事をするのは困難で一段レベルを下げる必要がある
発病率は全人口の1%

心身症

身体に異常ははっきりとでる。
身体の病気が心理的要因で必要以上に悪くなっている場合に使われる
医療や家族に依存しがちな傾向がある。

神経症

強迫神経症

不安に対して万全をきすことによって対処しようとする方法
それを何度も異常なほどに繰り返す
この病状のひとは考えるということに対して異常に熱心であり、感情に流されたりしない。

病気というよりも、特定の戦略(理性)に頼りすぎて柔軟さを欠けていることから発生している

恐怖症

元来、死というものは不安がある。それを特定の(犬)などに振りかえることで大きな不安から
自分自身を守っている。

森田療法

些細な現象を問題として気にする
症状に過剰に注目するようになる
症状を取り去ろうとして症状と格闘する
症状を自分にレッテルを貼ってしまう
症状と格闘することが自分の人生の目的になってしまう。

退却神経症

ひきこもりのこと、問題を棚上げする

依存症

アルコール依存症や関係依存などそれなしではやっていけない状態になっている。



心の病気の発病の原因はなにか?


心になにかトラウマのようなことがおこりそれが原因で病気になったという因果論
元々は19世紀のコレラや伝染病の病原菌
を見つけ出し原因を失くすことで改善していったモデルであるが、それだけだと心の病気は
改善していかない。

むしろ

生活習慣病をモデルにしたほうがいい。


其の原因が何なのか一つの原因に特定できないし、特定した所で特別治療に役に立つ
わけでもない。こちらの考えのほうが、心の病気を考える上では有効だと思われる。

生活習慣病の場合、原因がひとつではない以上、運動したり、お酒を控えたり、食生活を
改善したりしたりしていく。医者のちからだけで治るのではなく、本人自身が生活習慣を
改善するために色々とやって見ることも必要となる。
また、完全治癒を目指さず、病との共存くらいを目的としたほうがよい結果がでる。

発病の論理はあるが、それがそのまま治療の論理に繋がっているわけではない。
原因を究明して除去すれば、またはトラウマによって引き起こされるという考えかたは
間違っている。

それによって、人々が過去に受けた傷によって心の病を発症するのだという誤解を生み、
アダルトチルドレンのような宿命論的な考えかたを生み出してしまった。

PTSDでは有名な夜と霧があるが、アントノフスキーの健康生成論という考えがある。
むしろ逆にそのなかで健康を保った人間もいた。
それらのひとを研究し、ひとはストレスを受けてもそれを回避する方法さえあれば
逆にそのストレスをバネにストレスへの抵抗力を高めることができる。
人間にはストレスへ抵抗して自らの健康を維持していくような積極的な力が存在する
ことがわかった。

にんげんにはストレスを受ければそれを受けて病気になるという単純なものではなく
跳ね返すような力強さを持っているということを忘れてはいけない。

むしろ、病気になった原因の傷を数えていくよりも、
どうやったら健康を保つための武器を作っていくかを考えていく。

あくまで主役は立ち直って生きていくあなたであり、医者であろうがカウンセラーであろうが
それは貴方が生きていくうえで得る様々なサポートのひとつにすぎないのだ。

まず、精神病(うつや統合失調症)は突然なるので、医師の介入による治療が必要になる
ただ、神経症の場合、本人がどれだけ問題にしているかによってかわってくる。
問題視していたら治療をうければ良い。

精神病は精神科で薬治療 心身症は心療内科が専門領域にあたる
神経症はカウンセラーか医者かで分かれる 
依存症もカウンセラーか医者かで分かれる、またセルフヘルプグループ


精神科の腕の良し悪しの落差は他の診療科目とくらべて激しい。

腕の良い精神科医を探すにはどうしたらいいのか?
まずはユーザー情報 実際に治療を受けた人からの情報を聞く
つぎに大きな病院の精神科で外来の看護師さんたちが一番医者を身近でみているので
どのくらいの力量なのかが見極められる。

カウンセラーの世界の腕の落差はさらにひどく天と地ほどのちがいがある。

悪いカウンセリングには副作用もある。仮にパニック障害で悩んでいた所を、
トラウマをひっぱりだして、幼児期に受けたトラウマまで解決しなくてはならなくし、
余計に問題を増やしてしまったりする。
カウンセラーの見分け方としては、カウンセリングを始めて10分か15分話して
自分がどんな問題を抱えているのかが、ひとりで考えている時よりも明確になった
と実感が得られるかどうかにあたる。どこか的外れだったりすると、カウンセラーの
必須の傾聴する能力が足りていないということになる。

カウンセラーは言葉の専門家であり、ただ話をしていくことによって、其の人がもっていた
問題をうまくとぎほぐすことができることが可能になる。他者との対話によって解決の
糸口がみつかるように導いてくれるのが真のカウンセラーと呼べる。


心理療法(カウンセリング)とはどんなことをやるのか?

まずは言葉によるアプローチをとる。
フロイトの無意識と超自我(理想や道徳心で心をコントロールする機能)
超自我の検閲によって抑えられ発生した抑圧した願望を本人に気が付かせることによって
治療していく。方法としては、超自我が弱まる思いついたことをしゃべる自由連想法がある。

カール・ロジャースとクライアント中心療法

日本における主流
無条件に相手を受け入れる、そして、共感、自己一致
ロジャース派の人間観には人間の中には自然に成長していく肯定的な力がある
自己一致とは、自分の思っている感情と、心が実際に感じている感情が一致していることを言う
共感の態度をとることによって、自己不一致を起こしていた治療者が自己概念に合わないもの
に対して厳しく排除しなくてもよくなり、最後は自分自身に対して色んな隠し事をしていた人が
率直になり感情の流れに率直に身を任せられるような自然体の人間になるようにしていく。

ポストモダンセラピー

解決志向セラピー

トラウマ探しをせず、そのトラウマとの因果関係を証明することはできないのだから、
原因をあれこれ考えるのは無駄と考え、とにかくうまく行った例を試してみる。
当事者自身が過去に試してみてある程度までうまく行った方法を試してみる。

ナラティブセラピー

最終的には原因にあれこれ言及しても意味はないと考え、そのひとの言葉を客観的な
事実であるという保証はなく「物語」と考える。その人の今後の人生全体にも悪影響を
与えそうな問題の染み込んだ物語を別の物語に書き換えることを治療手段とする。
人生物語の書き換えをやっているうちに特定のストーリーのなかで見えなかったものを
色々ときがついてくるようになる。発想の転換をすることによってあたらしい可能性を見出す

自律訓練法

人間が体験しうる意識の状態には心身にプラスの影響を及ぼす意識状態がある。
トランス性意識状態 など と呼ばれている 催眠術師や坐禅を組むときに陥る状態のこと
このような状態の時、人間は心身は最も少ない心拍や少ない呼吸で酸素を始めとする
必要物質を身体のなかに行き渡らせている。とくに心身症の治療には有効
心身が波立っているような興奮した状態から穏やかな水面のような状態へと短時間で
静まっていくことを繰り返すことで心身は撹乱されてもすぐに平常に戻りやすくなる。
確実に効果はあるが、習得までに時間がかかる


トランスパーソナル心理学

私という意識をより拡大させ高次な精神的健康を保ち、古代の宗教が求めてきた
悟りや万物と一体化したような法悦体験こそが理想とする考えかた
チベット密教の瞑想や坐禅の呼吸法を取り入れている。
健康の人がやるのにはいいが、治療者がやるのは難しいと考えられている。

イメージ療法

リラクゼーションに相手を誘導してから、あなたが一番安心できる場所にいるところを
想像してください等と視覚イメージを浮かぶように誘導していく。著者が多様している
方法、肯定的なイメージ体験に誘導していくほかに、自律訓練法と同じような
非常にリラックスした意義深いイメージ体験が得られる

ボディーワーク

センサリーアウェアネス

身体からアプローチする、東洋の心身一如の発想
横になった姿勢からコレ以上ゆっくり立ち上がれないというほどゆっくり立ち上がり
また目をつむってゆっくりと横になるまでを目をつぶって身体感覚に注意をこらしながら
スローモーションのようにやるのです。その間指導者はいまどんな気持ちですか?
足の感じは先ほどまでとは変わりましたか?などと控えめな指示を行い、
一刻一刻に注意を向けさせる。
たった二時間のセッションで体験したことのない一瞬一瞬が過ぎていくのがもったいない
感覚になっている。

フェルデンクライス身体訓練法
オーセンティックムーブメント
野口整体

芸術療法 

アートセラピー

人間の行動のなかには表現行為と呼ばれる一ジャンル、表現活動を通じての治療方法がある

絵を描いたり、歌をうたう、お芝居をする、踊る、詩を書くという 芸術的創造行為
クリエイティビティーを重視する

音楽療法

受動的に聴く側と能動的に弾くことで治療効果を得る

ドラマ、ダンス、エクスプレッシブセラピー

ドラマを演じてセラピーする、ダンスを踊る、いろんなものを組み合わせるセラピー

こころの病気の治りかた


精神病の場合、こころの問題だけではなく、身体の生理的な部分の異常でもあるので
ある程度適切な休息をとって、自分の自然治癒力がでてくるのを待つ。
ただ、時間がかかるので、ゆっくりと焦らずじっくり構える必要がある。
ただ、精神科の薬に対する偏見というものがある。これに影響されてしまう。
それで、飲むのを止めてせっかく良くなったところを元に戻ってしまった例が何件もある。
薬を過剰に警戒するのはやめよう。

こころの病気がどう改善していくかの流れを書く

こころの症状があれば、自分はもう社会人としてやっていけないのではないかと落ち込むという
症状のことが生きるか死ぬかの大問題になっている。
それがしばらくするとその強さが次第に弱くなっていく。頭のなかには症状のことよりも
現実的な問題が占める割合が増えていく。
そしていつしか症状のことを思い出さず、ただふとそういえば〇〇という症状に
ずいぶんと悩まされていたなが最近は少なくなったなと思い、
最後は、ある日はっと気がついてみるとそういえばもう何ヶ月も症状のことを考えていない
すっかり忘れてしまった。こうなったときに再発の危険性は随分と遠のいている。

回復の過程で共通する心構えは、薬を飲まないようにしよう、カウンセリングにいかないで
良いようにしようとするマイナスの何かが「ない」のではなく
「海外旅行にいくようにしよう、やりたいことをやろう」というように
プラスの何かが実現した状態を目標にしたほうがよい

症状を消すという目標もよくない。症状は注目をすればするほど強くなり固定化する原則がある

神経症に関しては なにかのきっかけで治ることがある


最後に
人生とは楽しい事ばかりではないけれども、じたばたしているちにいつの間にか
何とかなっているものだよと娘に教えるつもりだ。


カウンセリングの手法について、ここまで詳細に詳しく読んだことがなかったので
勉強になった。様々な宗派ややり方がある。精神病と神経症の区別をしっかりする。
そしてそのなかでカウンセリングで自分なりの答えを見つけていく。
その方法は、山のようにあるので、自分に合った方法を選べばいいと思う。
なかにはとても面白そうなものがたくさんある。























富田隆のモテ本




モテる男の40のマニュアル読了

いまは最近見かけない富田隆氏の本。
コンビニで売っているような単純な本のなかでも学びの要素はたくさんあった。
イケメンだからモテるんじゃない!モテるのは自分を成長させようと努力する男
容姿(生まれつき)がいいよりも、年収や社会的地位が高い(こちらは努力できる)
ほうがモテるのだ。

面白い人 優しい人の勘違いがある。

女性の求めている「面白い人」とは自分の知らなかったことを教えてくれたり
気が付かなかった魅力を引き出したり新しい見方を発見させてくれる人

優しい人というのも、女性が困っている時助けてくれる男のことをいうのだ

女性の理想の男性像
たくましさがある 頭が良い 包容力がある 正義感がある 自己犠牲の精神がある

モテるためには欠点にこだわらないでおこう。欠点があるから持てないのではなく
欠点にこだわるからもてないのだ。

例としては、ソニーのウォークマン。出てきた当時は録音機能がないというのは
致命的な欠陥だった。それが軽く小さくなりどこでも音楽を聴けるというように
欠点を長所に変えてしまったのだ!

人間にもちょっと見方を変えるだけで短所が長所になるのだ。
自信のない人ほど自分の長所よりも欠点に目がいってしまう。

そもそも自信とは、自分を信じるということなので、欠点だろうが、長所だろうが、
関係なく、自らを無条件に信じるということしか、自信をつけることはできない。
なになにができるから、というような感じで条件付けをしてしまったら
もうその時点で自信といえないのではないだろうか。


以後具体例で、マメであること。誠実さ、頼もしさをかんじさせろ。女性に言い訳を与える
きちんと目を見て会話する。ありがとうという。女性から学ぶ。なんでもいいから近づくきっかけ
をつくる。容姿で差別しない。聞き上手であれ。楽しい気分にさせる。わかりやすいコトバをつかう
ポジティブに振る舞う。相手のことを考える。他人をほめる。新しいものにチャレンジする
外見の変化に気をつける。叱るより褒めろ。相手の事をよく知る。愛の告白がひとつのGOAL
恋人になれるかどうかくらいのPROCESSを楽しむ。すぐに決断できる。強さを持っている
話題つくりの為いろんな人と話す。男同士の友情を大事にする。


このなかで一番こころにひっかかったのは、清潔なひとを好む、男性に対しても清潔さを求める。
まず、見た目は清潔なことはなにより、じぶんの部屋も清潔にしておかなくては普段の行動に
でてきてしまう。


読んでいて、速読できる本だったが、、それでも清潔さという部分では自分はものすごく
劣っているので、部屋を綺麗に保たないとならないなと思わせてくれた。
電車とか移動先できちんと集中して本を読めないときに最適な本だった。

無一文から1億円貯めた人の本


一億円が貯まる人の24の成功ルール 読了

28歳借金500万円から37歳で資産1億5千万円作った男の
マネー版マネジメント

田口さんの本は何冊読んだんだろう?

本を読むだけじゃ金にはなりませんね。
きちんと実践をしなくちゃ駄目だ。それができていないから自分はまだ金に操られている。

いつもどおり、お金を貯める意味は、
お金で幸福を買うことはできないが、不幸は避けることができるから

そのためにどうやって儲けるか、節約してきたかが書かれている。

財布にコインを10枚いれたら使うのは九枚までにする
必要な経費と自分自身の欲求を混合してはいけない。


全くの畑違いである家業の保険屋を継ぐという事から、、ファイナンシャルインディペンデンスというら経済的独立と良い価値観を知る

自分にとって、このヒトのルビコン川はここの家業を継ぐところだったのだと思う。
嫌で仕方ない仕事でも、お金のためにやると決心を決めた所が男らしい。


資産形成には、みっつしかない、
収入をふやす
支出を減らす
運用利回りをあげる


それまでの贅沢な暮らしを一変して止めてしまって
いま必要ないものはすべて、捨てるか売ってしまった
マンションを引き払い2万5千円のボロボロの借家に引っ越した
そして、外食をやめすべて自炊で賄う事にした。

成功には代償が必要だ。
この世の中に代償を伴わない成果などない。
楽をして成功しようなんて甘い考えを捨てろ、、
成功を掴むために必ず痛みを伴う時期がらある

まず、彼はお金の支出を出来る限り減らすようにした。
そのあと

お金を稼ぐ事に専念した。
今後しばらくは仕事でのやりがいや、社会的意義は一切考えない
ある程度お金が溜まってから自分が心から楽しめ豊かになれるものを仕事することに決めた
トレードオフの考え
なにかを得るためには何かを犠牲にしなくてはならない

人生で満足させなくてはならないのは自分だけ。
自分が正しいと思う事をしてその気持ちに正直になれば良い



今の夢はかつての自分のようなお金の落ちこぼれたちに金融のノウハウを教えて回る事なのだ。

きちんと講演のお願いすれば、どんな相手にだって接してくれる。
いまは塾講師の時のように、お金の講師として全国を飛び回っていて、
何冊も本を出している。この人間性の幅広さが何冊も本をだすことに成功しているんじゃ
ないだろうかと自分は思っている。
できることならなにかのタイミングで田口さんに相談してみたい!



28歳貯金ゼロから考えるお金のこと


http://yasu0312.blogspot.jp/2010/06/28.html


年収200万円からのお金と人生人生を真剣に考える


11歳のバフェット




お金のストレスフリーをつくるための悪い習慣を治すための本


http://yasu0312.blogspot.jp/2013/04/blog-post_9.html

2013年5月5日日曜日

頭VS心=身体


普通がいいという病 自分を取り戻す10講 読了

面白かったので、読書メモの書きだしがすごく長くなってしまった。


人それぞれ他の人とは違う角をもっている。
その大切な中心である「角」をそれを憎んで
邪魔にして生きるようになってしまうと
生きることそれ自体が色あせ始め
無意味なものに感じてしまう。

角を人と違うものとして切り捨てるのではなく、
「自分で感じ、自分で考える」を通じて
いままで疑うことなく信じていた様々な常識や知識を一度丁寧に
洗い直してみる作業が必要になってくる

病・苦しみのもつメッセージ

昔は病気と健康というものが、決して別世界のものではなく
連続して繋がっていた
自分はどうせ病気なのだからと差別的な見方をしてしまわないで、

異常・正常というレッテル貼りを自分自身に安易に行ないこと
そういうことがとても大切だと思う。

人間は何らかのレッテルを自分で自分に貼ってしまいがちだ。
貼ったことにより自分自身を規定し自分自身を閉じ込めてしまう。

葛藤というのは、意識の中に○と相容れない△という気持ちがある

葛藤している状態は問題ない、それを△を抑圧してしまうと
見た目は葛藤が消えて健全だと思うが、そのうち抑圧した
△が反発してくる。
こころと身体は一心同体なので、身体もエネルギーを出してくれないので
疲れやすさ、倦怠感、などなどのうつ状態になる。

なので、治療としては、抑圧した△を葛藤レベルまで持ち上げて
悩むべき問題はあるべき悩みを悩むようにする。

病的な安定から健康な不安定へ持っていく。

安心して悩めるという状態が人間の健康な状態だ。

本当に人が救われるというのことは、其の人の中に潜在している力や
眠っている知恵が目覚め、動き出して成されること。

悩み・苦しみのなかには大事なメッセージが必ず入っている。
他人がただ表面的な解決法のみを提供していると
同じメッセージを届けるために何度も同じような災難が本人に降り掛かって
くることになってしまう。

もっとそのひとの根本にある価値観や生き方自体に関わるメッセージだ。

うつ病を通じて、本人の基本的な価値観のところに革命的といえるほどの
大きな変化がおこり、生き方が見直され人生も変わっていったということだ。
うつ病の根本をなしている「病前性格」の部分に変化が起こって
完全に治癒したものだと考えられる。

そう考えると、病気や苦しみは天からのギフトとも呼べるもの。

病気のもつメッセージは常識的な価値観より深い層で起こる。
治療者自身もその深さでいきていかなければならない。

私達が認識を獲得するのは苦しみに寄ってであって、読書ではない。
読書には一種の距離がある。生こそほんとうの経験。
内的経験でないものは、すべて例外なく薄っぺらだ。

言葉の手垢を落とす

クライアントにどうなりたいですかというとき、普通になりたいという

しかし、本来すべてのものがオリジナルであり普通というものは存在しない

言葉には流通していくうちに手垢にまみれ錆びてくる。それは世俗的な価値観だ。
言葉にまとわりついている価値観や世界観のようなものが本人を縛っている。

言葉には公的な側面と私的な側面がある。
近年、それができない人が増えてきている印象がある。
プライベートな言葉をそのままパブリックな場所に持ち込んできたり
パブリックな言葉を自分のプライベートなフィルターを通して傷ついた
ひどいことを言われたと反応したりする人たちが実に多い。

自他の区別
自分と他者が違う内界をもち、違う価値観で言葉ひとつにも自分とは違う
意味をもせているかもしれないかもしれないということが想像できない。

境界なしに自他がつながっているような人間関係は「自他の区別」の
できていない人が強く憧れるものだ。
しかしそのような関係は現実には存在しない。

その「ないものねだり」を他者に求めることになってしまっている根本原因は
「自分自身を愛していないこと」にある。つまり、自分の内界が寒く寂しい
ものになっているために、他者にそのその代わりの温かさを求めざるえなくなっている。

普段はとても不調を訴えているけれども、欧米に旅行すると突然水を得た魚のように
元気になる人もいる。しかし帰国すると元に戻ってしまう。

なぜなのか?
西洋の場合、一人称の自分が三人称のひとに話している。
なぜ三人称なのかというと、相手とこちらとの関係によって変化しないという意味合いを
こめている。
日本の場合、0人称のひとが二人称の人に話しかけている。
自分の意見を言う時に相手が自分より目上であるのかなど自分と相手の関係によって
内容が変わる。
0人称というのは自分がないという皮肉

普段我々が現実と読んでいるものよりも心のなかの心的現実性のほうが大切
ひとはこのように「現実」的なファンタジーのなかでいきている。

心の問題のなかでは、歴史的事実よりも心的現実の方が大切になっている。

人間の苦しみの起源 失楽園

頭とは理性の場所 心は感情や欲求の場所 身体と一心同体と繋がっている感覚

頭VS心=身体 という内部対立を持っている

頭と心は混合されやすい

頭 理性の場所 使う言葉は「すべき」「してはいけない」must should
過去を分析し、未来やここ以外の場所をシュミレートするのが得意
過去の後悔、未来の不安はここで生み出される

「今・ここ」を正しく捉えられない。

頭はとにかくなんでもコントロールしたがるという傾向がある
欲望とは「欲求」とはちがって心からではなくこの頭のコントロール志向から生じる

心 「したい」「したくない」「好き」「嫌い」 want to  like
時間の認識としては、頭と違って「今・ここ」に焦点をあてシャープに反応する

オリジナルな感情 喜怒哀楽は心から 期待を掛けてかなわなかった時におこる
ような感情は頭から生まれる。なぜなら未来をシュミレートしてこうあってほしいと
コントロール志向を向ける頭由来のものだから。

身体 身体と心は直結して密接に連動 欲求や感覚はこの両者で生まれる

頭とは二元論が基礎になっている理性の場所だが、この理性が人間の文明を
作ってきたが、この働きが同時に人間の不幸を生みだす源になっている。


現代人は、頭が独裁者として振る舞う専制国家
心がストライキを起こせばうつになり、暴動すれば、感情の爆発になる

本来人間の中心は、「心」=「身体」のほうであり、あとから移民として
頭のほうが入ってきたことをわきまえる必要がある。

心=身体には桁外れに凄い能力がある。食べたいもの、必要なもの、そういったもの
をなにも考えずに身体が教えてくれる。

野口整体の野口氏は健康になればどういうことをやっても快くなる。
そして、その快いという方向にさかわらないようにしていれば自然に丈夫になる
それを意識で良薬は口に苦しというようなことを考えてしまう、それは間違っている。


人間の身体も心も本来は快 不快 というシグナルで持って適切な判断を自分に
教えてくれるもの。それをいつからかむしろ頭で逆の司令を出し不自然な状態に
自分自身を追いやってしまっている。

我を淡々と行う肉体。つまり心=肉体の持っている大いなる理性を信じて
委ねることが現代人にとってもっとも大事なことではないだろうか

そしてその身体は自然とつながり、自分の頭を超越した「内なる自然」になっている。
私の身体は私のものであって、わたしのものではない。

コントロールという病
ひとはとにかくコントロールしようとするが、それを一度委ねてしまってもいい。
本当の変化というのは中から自発的に起こってくるもの。

脅迫神経症
頭によって強力にコントロールされている心がそれに対する反発として
でたらめな感じを乱発し、頭をてんてこ舞いにさせる状況
なぜそもそも頭は心を強力にコントロールしたのか
本人が反道徳的と考えているある感情を心から噴出してくるのを抑えるため

摂食障害
身体にたいする頭のコントロールののトラブル
過食や拒食
対応として
どうせたべるなら貴方がその時本当に食べたいものを
美味しいと感じながら食べるように
過食も拒食も量の病理なので質の機能が働いていない。
摂食障害になりやすいのは、自分はこうあるべきだというあるべき自己にむかって
強力に自己コントロールを行うタイプの人だ。褒められることはあっても
問題視されることのない強い意志、それこそが問題なのだ。

難治性うつ

頭のコントロールが強い時、心の不満は完全に封じ込められてしまっている。
コントロールをおこなう中心は頭のなかのとりわけ道徳的観念。
この道徳的観念は肥大化していき、「謙虚さ」「自己卑下」の名目で
厳しい自己批判を行う。そうして、高い基準をクリアした場合のみ自分を認め
それ以外の自分を認めないという強権体制が続いていく。
自分を愛するということは自分を甘やかす事と混同され、厳しく禁じられ遠ざけらる。
自分を褒めることも禁じて、生きるとは終わりなき努力と忍耐の修行のようになる。
それでも弱音を吐くというのは「逃げ」として禁じられているので自分の奥底にある
疲労感と自己不全感が蓄積していく。
あるときちょっとした失敗や挫折が引き金になって突然自分ではコントロール効かない
死にたい願望がでてくる。うつとして、休養をとり、薬を飲むが、単なる怠けなのでは
ないだろうかと自己批判は止まらない。焦ってすぐに社会復帰しなければと自分に鞭打って
動き出すが、すぐにブレーカーが落ちたようにまたうごけなくなりまたそういう自分に
厳しく批判し、嫌悪する。
じっくり考え込んでいるのが行けないんだから少し身体を動かしてみたらといわれ
るが、心=身体は動かない。死にたい気持ちも湧いてきても死にたいと考える自分は
ドウしようもない人間だ もっと回りのひとの気持ちを考えなければと すぐさま
頭が反省し、死にたいと思う心をさらにコントロールしていく。日々の自己否定や
死にたい気持ちはより深刻になり、周囲には頭がそれをみせないようにコントロールし
いつしか心が暴発し、本当に自殺してしまう。周囲はどうして死んだのかわからない

ほんとうに力があるのは、生きている人間の生きた言葉だけ

自己形成のイメージ


あるべき自分というものにとらわれて、足りないところを身に付ける。いつも
自己の理想的自己設計を目標にそこにすこしでも近づけるように努力していく。

もう一つの考えかたは彫刻的な自己形成の作り方 こちらのほうが良い

ある核があってそこにむかって自己を削りだしていき、余分なものをそぎ落とし
最終的には光り輝く核を磨き出す
本当のじぶんというものをどこからからもってきて身に付けるのではなく、
予め内在しているものとして考える。

精神の成熟過程 駱駝 獅子 小児

感情には頭由来の浅い感情 心由来の深い感情の二種類がある

意識(頭)がつねに蓋をしていて、無意識のなかに

怒 哀 喜 楽 の順番で入っている ネガティブな感情が出てこない限り
ポジティブな感情はでてこれない。
深い感情に於いて、ネガティブなしのポジティブというものが有り得ない。

ネガティブな感情もポジティブな感情も差別せずに怒りも悲しみも喜びも楽しみも
同じくらい大切なものである。

感情にも鮮度があり、一番最初に出てくる怒ノ部分は歴史があってOLDな怒りを
ずっと溜まっている。いろんなことがあって、それを感情のなかに貯めこんでいくもの
だからものすごく古い怒りが溜まっていく。

精神療法でこの蓋を開き始めると必ず最初にOLDな怒りがでてくる。
とても爽やかなものではないが、この古い怒りが出しきってしまうまで
サポートしていく。

古い怒りの感情を吐き出すのは、日記という手段が一番いい。文字にして出すことで
芋づる式に悲しみが現れ、整理され、浄化されていく。
のちに自分との創造的な対話をも可能にしてくれる

浅い感情は頭由来のもの 過去だったり、シュミレートした未来だったりしたものから
生まれてくる。頭の本来の言葉は「すべき」「してはいけない」だが、心
に偽装して「ニセの心」を作ってしまう。「会社に行きたいのに行けない」
心が本当に行きたかったら身体もいけるはず。こういう場合、頭が偽装して
ニセの心を作っている。

なんにせよ、心由来の深い感情は、身体と密着しており、浅い感情は頭で作られるもの
なので、浅い感情自体に振り回されないようにする必要がある。

深い感情を信じるということは、「心」を信じるということであり、人間を突き動かしている
深い流れ「運命」「自然」を信じることでもある。
私達人間のちっぽけな理性では計り知れない深い流れに身を委ねて生きていくことが
運命に身を開いて生きることです。

ニーチェは、人間のあるべき姿を超人とした
そして成熟していく姿を没落と言っている

最初人間は駱駝として描かれる。従順さ、忍耐、努力、勤勉
龍は「汝なすべし」という名前で駱駝を支配している。
そして駱駝は獅子に変更し 龍を倒してしまう
獅子の言葉はわれは欲す。ここで一人称のわれが出てくる。獅子は怒りの象徴
我を獲得した獅子は小児に変わる。ここでは「然り」「その通り」
「全てはあるがままに」
小児は創造的な遊びに没頭する。
セラピストは、クライアントがどの時点にいるのか、怒りを爆発している獅子をサポートできるか、
世間一般が駱駝であることを良しとしている社会でどう手助けしてあげるかが大事になる。

深い感情すべてはそれ自体がクリエイティブであり、生きることに新たな指針を生み出してくれる。
深い感情すべてが愛の現れだとしたら、浅い感情は欲望の現れである。

愛と欲望


孤立と孤独の違い
孤立とはある集団内で一人ぼっちになってしまったことをいうのに対して
孤独とはそれぞれ人間全てが個であるという避けようのない状況を示している。

孤独に対して向き合わない孤独の否認者

また、ちょっと孤独を見ただけでなにか恐ろしい闇と思い込んで厭世気分に陥るタイプ
このタイプは孤独の否認者を嘲笑し自分たちが最も孤独を知ってると自負している。
ニーチェはこのタイプを「死の説教者」と呼んでいる

孤独について本物の認識があるタイプ
そこには暗闇ではなく別の風景が広がっている
「独りでいるのは賑やかだ」
とてもあたたかい楽しい雰囲気に満ちている。 
独りでいるとき寂しい人間が二人いたらもっと寂しくなる。

人間は自分一人を支えるくらいの力しか持たされていないから
他人の分までもつことはできない。
たまたま同じ方向にむかって並んで歩いているに過ぎないとわきまえる必要がある。

まだどこにいるかもわからないけれども将来必ず出会うはずの恋人

その恋人にも自分とおなじような賑やかな孤独を持っていてくれと呼びかけている

万有引力とは引き合う孤独の力である。

孤独は自然に引き合う万有引力をもち、万有引力をもつからこそ孤独でいられるのだ。

孤独のあるところには、必ず愛がある。愛はそれぞれが孤独であることを前提としている
孤独の世界は愛によって賑やかさが与えられている。
だから孤独とは決して冷たい死の闇ではない。孤独に足を置いた者の最低限の想像力に
よって他者も自分と同じ孤独という状況に生きていることに気がつくこと
それが愛の出発点だ

エーリッヒ・フロム
幼児の愛は、私は愛されているゆえに愛する 成熟した愛は私は愛するゆえに愛される
未成熟の愛は私は貴方を必要とするゆえに愛する
成就した愛は私は貴方を愛しているので貴方を必要とするのだ


愛 相手が相手らしく幸せになることを喜ぶ気持ちである
欲望 相手がこちらの思い通りになることを強要する気持ちである。

愛の姿 不動明王 愛染明王などのように邪なるものへのたいする怒りの姿をしている
怒りも愛の重要な側面である。

内なる太陽 自家発電する愛

自己愛の障害
自分自身への愛がうまくいっていないということは、自分自身に対して「欲望」
をむけた状態とも言える。「でなければならない」ということを自分に押し付け
それに応じきれない自分に制裁を加える。力によるコントロールが行われる。

自己否定 それは親からの否定的なものによって、自分が生まれたこと自体が
わるいことなのだと考える。(そのときの親のきまぐれによって)
なので、自己否定の根拠を徹底的にさぐっても否定の出発点のところには
自分を否定すべき何の理由もみつからないものだ。
子供にとって、親は神に等しい存在だが、実際は人間だ。つまりはだれしも
この自己否定の認識をもっているのだが、実態は存在しないということだ。

それでは自分自身を愛せない状況からどうやって脱却するのか

自分を愛するということは、後天的に獲得されるものではなく
生まれた時には問題なくできているというものなのだ。

他人に愛を求めるのではなく、愛の自給自足を体現している存在に出会うこと


生きているもの 死んでいるもの

死んでいるものは、なにか機械的な反復、生の感じがない
生きているものは。マニュアルではなく即興性があり、鮮度がある。

すべてのひとが経験をしていく。そのなかで体験と経験をわけるとなると

経験 あくまで未来に向かって開かれている。たえず新しいものを受け入れる準備がある

体験 経験のなかの一部が過去的なものになってしまって、今に働きかけてくる。

生きているものを経験とよび、死んだものを体験と呼ぶ

経験したとは、質的に深い変化がその人に起こることで、どんな小さなことでも
経験を深めることでいろんなことの普遍性につながっていく。

体験の場合、苦労の勲章になるばかりで、普遍性をもてないのでピント外れの親切や
ありがた迷惑を引き起こす

経験を深めていくと最終的には個々の要素は消えて普遍性を獲得することになる。
なので、どんな学習してもそのエッセンスまで到達するとしないとでは大きく違ってくる。
本当にわかるということはそういうことで、物事をよく咀嚼しているからわかりやすい言葉
を使っても自在に話したり書いたりすることが出来る。

マイノリティを生きる

「いうまでもなく、思考に関しては多数派はいつも間違っています」

必ずどんなひとにもその人なりの敏感なアンテナというものが何処かにあるが
その敏感さゆえに弱ったりもろくなったりしている。使わないから磨きが掛からない。
しかしアンテナ自体がなくなることはないから中途半端で敏感で細い状態になり
その人自体を弱くしてしまう。

小径をいく

細い小径 いろいろと障害物はあったり、どっちいこうかあっちいこうかと自分で
一つ一つ判断して道無き道をいかなくてはならない。小径に入ってしまった場合、
大通りには戻ることが解決にはならない、自由というのは何の指針もなければ、その
小径が正しいのかと問われても答えすらないので、自分の判断以外にあてになるもの
がない。マニュアルもなければ他人との比較もできないし、前例もない、それが自由の
大変さです。そして多くのひとはこのリスクが怖くてしょうがない。それにくらべて
大通りは不自由だけれども安全。多くの人々が大通りにつよく惹きつけられている理由だ。

一万年も生き長らえるであろう者のように振る舞うな。死の運命はすでに迫っている

死は我々と不可分の関係にある。それは外にあるのではない。それは我々自身なのである。
生きることは死ぬことである。まさしく死が外部的なものではなく、生の中に包含して
いるがゆえにあらゆる生存は同時に死ぬことであり、それでいて否定的ななにかでは
ないのだ。死は人間の生の欠陥ではない。それどころかそれを完全にするものである。

あるところにいくと死と生はひとつになる。

あした死ぬとしてあなたはなにをやり残していますか?今日一日をどうすごしたいと
思いますか?と問いかけてみる。

毎晩眠るということは、毎日死ぬことである
不眠とは死ぬに死ねない状況である。今日という一日を生きたという手応えがない
という未練がある。
なので、ほんの少しでもよいから自分らしい時間を過ごすようにと勧めている


自分を求め、自分を手放す
螺旋の旅路


神経症性のことをそれは真に自分が感じたことを押し殺し、「他人にこう思われたくない」
「他人にこう見られたい」のほうを優先してしまうことをいう。
裸の王様の物語には、自分というものがあったのは、「裸だ」という子供のみだった。

自信について

自分を信じると書いて自信  
ひとつは信じるとはどういうことなのか 
信じる対象として自分とは何かということ

まず、信じるということは本来、なんの保証もなしに根拠無く行われるもの。
なんらかの根拠をもとめるのならば、それは他信とよぶべきものだ
信じるというのは愛のひとつの現れであること 
愛も信じることも根拠無く見返りなしに行われる心の動き。
逆に根拠を求めるのは頭由来の欲望。

自分とは何か

信じる、自信とかくが、自からみて自然と考えてみてどうだろうか。
自分というと有限な一個人のイメージがあるが、そういう限界がある事自体
信じること自体無理があるのではないだろうか。
底が抜けて自然と繋がっている自分ならば信じることもすんなりできるのではないだろうか。

たいていのひとは主観を押し殺して客観的になろうとする。これがおおきな間違いである。
主観をなくして客観であろうとするやり方はけっして成功しない。

主観は心に由来し、客観は頭に由来する。
ですから、主観は十分信頼に足る

逆に主観に徹して主観の純度が高ければ高いほど一人よがりにならずに
信頼性に高い認識になる。
主観の純度を低下させる不純物とはほかでもない客観である。
そもそも客観とは様々な主観の最大公約数にすぎない。

人間の変化成熟のダイナミクス


1.生まれたて 本当の自分だが純粋で弱い
2徐々に偽りの自分を身に着けて行く、本当の自分にたいする反発する反抗期
3反発の挫折と社会への屈服 一人前の社会人 他者本位
4本当の自分 反逆をはじめようと疼き始める 他者本位の行き詰まり
5本当の自分による革命的動乱 溜め込んだ怒りの噴出 一人称の誕生 自己本位
6自分という一人称が消え大いなる存在にぬだね、自然や偶然に身を開いている

なぜいきるのか?

そもそも生きる意味が必要なのか?それは頭が創りだした理性中心の発想
もちろんいきている途中に、なぜ生きるか?をかんがえることは大事。
だんだんとそれが消えていって、大きな流れに動かし生かされていることに気づく。

「私は生きるがゆえに生きる」

命そのものには本来、意味や目的はないのだ。

なぜ?という問い自体が頭=理性からでてきた煩悩のひとつだということだ。



2013年5月3日金曜日

砂時計 名作の漫画でした。



砂時計計10巻読了

名作でした。最初の12歳冬の母親の自殺という事態に対して、
まわりの人々、とくに主人公の杏がどれだけ苦しめられているところが見どころでした。

砂時計がテーマだけあって、時間12歳冬、14歳夏、16歳春 20歳 26歳 など

時間時間によってこの杏、大悟、藤、椎名 の四人の青春時代を追体験することができます。

それぞれに悩みを抱えていきていき、少年時代から青春時代、そして20代なかばでどういう

ふうに生きているかを見ることができて幸せでした。

幸い、親類に自殺者はいないけれど、これほどまでに多くの人々を死ぬということが

苦しめ、主人公に重みを載せてしまったのかというのが、物語をどんどんと重く重厚に

していってくれました。

それにたいして大悟という恋人はガンバった。色々と手をつくしてきたけれど、、、、

2005年の小学館漫画賞受賞作だけあって、重いながらも良い漫画でした。

7巻辺りで杏が死の淵をみたことで、生まれ変わりを果たせてようやく母親の呪縛から

逃れることができたのが感動的でした。それにしても、26歳、14年間彼女は苦しみ続けた

のだというのがとても重かったです。

だからこそのあのラストだったのだとおもいました。

そして、この本は、若い女性にプレゼントする予定で、読み継がれていってくれるのが

嬉しいです。

2013年5月1日水曜日

人生にプライオリティをつけろ






残念な人の思考法読了

人生のプライオリティはまず仕事である
残念な人とは働いても働いても結果が今ひとつの人をいう

残念な人とはバカな人ではなく、ちょっとした詰めの誤りを繰り返し、うまくいかない持ったいない人の事である。

それは、物事を捉える時の前提条件を間違えて捉えているからだ。

プライオリティという言葉ですべてを表現できる。その時の選択が正しかったかどうかの明確性を計る正否、その時の状況にマッチしているかの適否である。
これを見誤る人が残念な人である。

残念ではない人は、

論理的に明晰に話す

結論を示し、理由を述べ、具体例を述べ相手の納得を導き、再度結論を示す。
そして、仕事において図々しさは善である。
多少強引でも仕事の早いできる人は、そうやって人脈を広げて行く


残念な人には仕事を任せられない

前提条件→ロジック→結論

どれかが破綻しているからだ。

ロジカルに話しなさいよりも、まずは、前提条件の共有化というのがどうしても必要になってくる。
ロジカルな考え方と前提条件が同じならば、同じ結論がでてくる。
だから、ロジカルシンキングを学ぶのも必要だが、ロジカルは道具にすぎず、仕事の場合、人によって違う前提条件の擦り合わせが必要になる。

仕事というのは、相手の立場になって考えること。それはすべてにおいて共通する考え方になる

ビジネスも若い人に負ける時がくる。そのさい、美容室なら、髪を切る技術ではなく、どうしたら人がついてくるかを考えよ!どうやったら好かれるか?人に任せるか?
商売とはどう人を使うが肝になる


やりたいことはやりたくないことから見えてくる

残念な人というのは、人生において相手の立場に立つことが考えられず、プライオリティ思考ができない人のことなんだ!

雑多な本であちこちに事例が飛ぶのでまとめるという本ではないが、読んでわかったのは、プライオリティを常に意識するということだ。それができない人のことを残念な人という。

残念な人の仕事の習慣

2013年4月24日水曜日

女子視点からの婚活本





一年以内に理想の自分で理想のパートナーを引き寄せる魔法のレッスン 読了

婚活コンサルタントの澤口珠子さんの本http://ameblo.jp/imageconsultant/

婚活に対するスクールも開講されていて、多くの生徒さんが参加されていました。

4/21日曜日に横浜葉山庵で出版記念パーティーがありました。

ここには170名もの参加者が集まり、

すごく盛況でした。

生徒さんたちも、すごくフレンドリーでお話ししていてとても楽しめる空間でした。

難点は170名もいると名刺交換するだけで時間が終わってしまうことです。二次会のほうが40名くらいの落ち着いた雰囲気で会話を楽しめました。

なので、じぶんの企画する場合、MAX40名くらいが、イベントとしてはよいのかと思います。

読んだ内容としては、

女性の視点から、男性の特性を理解してあげよう、それに合わせて行動して行こうという本です。

マインド コミュニケーション 外見

の三つから理想の自分になり理想のパートナーを引き寄せましょうという本です。


マインドについて

自分に自信がない人が多い。だからセルフイメージを高く持って。だからといってポジティブシンキングですべてを片付けるのではなく、自分の感情自体を受け入れましょうという内容です。

そして、大事なことはいまの環境はすべて自分が生きてきた結果そのもの、すべてのことを自分が引き起こしていると考えることです。これは、よく言われますが、こうしないと人間の弱さで言い訳をしてしまうのと、それ位人生というのは自分自身の大事なものなんだという事を言いたいのだと思いました。

理想化のワークショップは定番の

なりたい自分をビジュアル化する
理想の自分になるのに必要な行動をすべて書き出す
個人的にはやりたくないことを書き出していく
じぶんの良いところを書き出す

知ってはいてもなかなかやれないワークです。

理想の自分になりたければ、まずそのように行動して見る。身近な環境を整える、人間関係、行動を変えるなどを勧めてます。

自分に自信をつけるには、自分中心を勧めています。夏目漱石の自己本位に近い考え方かもしれない。
齋藤孝のいうように、自分の機嫌を自分できちんと取る
他人では無く、自分の人生を生きる
いまを生きる。とかく過去にとらわれたり、将来の不安に苛まれたりするけれど、いましか生きることはできないので、その自分に対して自分自身を最高に満足させてあげる行動、考えをすることを勧めてます。

こういったマインドを持つことが、自信を持つことにつながり、理想のパートナーに繋がるということです。


コミュニケーションについて

まず、実践へんとして、
最初にじぶんからお声がけをかける
決して壁の花にならないように
相手の名前を覚えて、何度も呼ぶ
名前を呼ばれれば信頼関係はぐっと上がります。
共通点を会話のなかで探していく
ミラーリング、ラポール、ペーシング
きちんと相手の目をみて心と耳で相手の話を聞く

このへんは営業テクニックと似ている感じです。

出版パーティーの日曜日に感じたのは、じぶんはももクロが好きなのですが、その話題になった時、やはり興奮気味にしゃべったりしたのですが、普通はバカじゃねえ、知らないよーで終わるところを、ここの生徒さんは、きちんとその話題から自分で広げられる部分に広げて行こうとする相手を会話で楽しくさせようとさせる部分がありました。

自分が知りたいことを質問するのでは無く、相手が話したがっていることについて質問できるようにならないとコミュニケーションは深まりません。
これが、ここの生徒さんちは実践できていてすごく心地よかったです。


これが女性向けに書かれた本だなと思うのは、一見わがままな女性はもてるという項です。男性は、役に立ちたい、褒められたい、認められたい
女性からお願いをされるとやはり嬉しいもので頑張って行動するものです。もちろんそのあとのお礼や態度が丁寧であることが大前提ですけれど。

またコミュニケーションの仕方で良く言われる男性の問題解決のためのコミュニケーションに、沿った形で質問や会話をして行きましょうというところは女性本だと思いました。

普通の男性向け本だと女性は会話に答えは求めてなくて共感を求めているのだから、聞いてあげるのが正解だ!とは同じ考えでも異性に沿った行動を取るように勧めています。

お互いの違いを認めて歩み寄ることが大事ということですね。

男性が会いたい女性は、性的魅力が高い女性だけど、一緒にいたい女性の共通点は、一緒にいて居心地がよい女性であること、
端的には自分を信頼してくれる女性とまとめています。
たしかにこんな女性だったら、長く付き合いたいと思います

男性向けだと、ありのままの自分を受け入れてくれるのは母親だけで、きちんと大人の対応をしていこうと書いているのですが、そのぶん、もしありのままの自分でいいよと言ってくれる女性がいたらモテるでしょうね。

この本で学んだことに、いただいたご縁は途切れさせないで、きちんとお礼メールを送る、新しいお誘いにはできる限り行って見る、主催者に挨拶をすること、キーパーソンと挨拶をすること
主催者のメンタリティは、きてくださった方が楽しんで欲しいので、不安だったら主催者のところに紹介をしてもらうようにすると良いというところです

これが自分ができなかったのは、パーティにあって酷いなと思った時、それを顔に出して行動してしまうところです。主催者へのギフトは楽しんでいる姿をませることという観点はもっていなかったので、いままでの行動を反省です。

外見について

男性は恋愛対象を決める時、10人の女性にあったら有りか無しかを決めて無しになったら有りになることはない
女性は10人の男性に会ったら有りか無しかになっても無しから有りに変わることもあるそうです。
ただ、男性の有りは10人中7名、女性の有りは1or2名
ここは初発見だったので、面白かったです。女性の判断基準は厳しいなあ。

あとは、金ウォームタイプか銀クールタイプかのパーソナルカラー診断

自分は銀と診断されました。
この辺はこの本ではあまり詳しくないので、個別に本を読んで勉強した方が良さそうです。

男性の一番の大好物、素肌 これはその通り! これを維持するのは生活全般が整っていないと作れないから大変だけど、努力でなんとかできる部分でもあるから、女性には頑張って欲しいと思った部分です!!!マジで素肌美人は男性はみんな好きだと思います。

あとは、アクセサリーの使い方やお財布だったり、服のコーディネイトの仕方だったりします。

この辺は、プロの人が書いた本を読んだ方が勉強になりそうです。

なんにせよ、外見で男性から落とされると復活の目は女性にはないので、女子力をあげたければ男性受けする方法をしりましょうという内容でした。


本自体は平易で、とくにじぶんのマインド、コミュニケーション分野のところは読む価値が大きかったです。
本人がこんなにレッスンのこと書いて良かったのだろうかという位書いているので、それを1300円で得られるのはすごくお得です。
女子には女子の苦労があるんだなというのをシミジミと感じた本でした。