2010年7月14日水曜日

岩波明の狂気の偽装 精神科医の臨床報告

狂気の偽装 を読了 狂気という隣人の続編に当たる。

岩波先生の大立ち回り PTSDとは、本当に死の恐怖を味わったひとにしか罹ることはない。
軽く言っているのはほとんどが嘘をついている。マスコミによって汚されて意味を取り違えられた精神科の用語だ。

そして、フロイトのいうようにそもそも幼児期の問題が思春期にでるのか、なぜそんなにタイムラグが発生する。
アダルトチルドレンも意味が履き違えて使われている。アルコール依存症の親をもつ子供のことをさしていたのに、機能不全に陥った家族の子供たちに使われるようになった。カウンセラーはいまの原因をいまの状況に求めないで過去に求めがちなので、ちょっとでもひっかるところがあると、それを拡大解釈してしまって、罪のない親を罪に追い込んでしまう。トラウマもそんな系統の言葉だ。ADHDもそうだ。病気の問題というのは、基本的に過去に原因があるよりも今現在に問題があるのだ。それを過去をひっくり返して考えるというのは間違っている。このスタンスはずっと変わらない。

そして、岩波さんは自身の臨床で得た経験を書く。それは決してうまくいったものではなく、失敗したものをわざと集めて書いているかのように、失敗談が続く。患者に自殺されてしまったり、つらい目にもあっている。

そして、農薬自殺や風邪薬自殺は、一瞬で死ねるわけではなく、体が吸収してしまったら手の施しようもなく数日死をまつのだ。それはどんなに悔いても戻らない。その時間はとても残酷だ。
死ぬのがわかっていながら、手の施しようもなく、そして、患者は数日だけ命を取り留める。
後悔しても取り戻せない命。

自殺について 孤立感が関与していると引用している。社会からはじき出されてしまった。もしくは社会からでてしまった人々 空虚が心を支配していると述べている。ここにこの岩波さんの優しさを感じた。巻末の紹介文に甘えている若者論が出ているが、そちらには、現場のリアリティさがないように感じた。どうしようもないけれども、本質的に空虚な社会である日本。そこに飲み込まれたひとがいるということを精神科医が認識し、自分だけでは変えられないけれども、少しでもその穴埋めとして患者から精神科医が使われているのは仕方ないと考えている。

最後に病気がどれだけ厳しいものなのか、急性期の統合失調症や、依存症の人々の壮絶さを書いていた。病気というものの重さをすごく考えているひとなのだ。

そして、近年心療内科が乱立しているのは、厚生省が医療費削減のために行った政策のせいだと書かれていた。日本の入院ベッド数の3分の1が精神科でしめられていて、それを外来でまかなうことで、医療費削減をもくろんだ。
しかし、結果は軽症うつなどの新規需要の開拓と、大学病院に医者が残らなくなってしまい、開業医ばかりふえて、大病院には医者を派遣できなくなる医療崩壊をもたらしたと。
行政の失敗でもあったのだ。そういうことを切れ味するどくかいてくれる岩波さんの本はとても魅力的だと思う。

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