2013年3月31日日曜日

暗記ソフト i 暗記 使いやすい


http://ianki.jp/ianki/
web2.0て言葉が流行ってた頃、梅田望夫はものすごく持ち上げられていた
その彼が、羽生さんにいった、我々はインターネットをつかって知の高速道路
に乗っているのだ ある程度までは、ITを駆使していくことができる。

いままで単語帳をつくって覚えようとしていたが、
なんども挫折して単語が覚えられない人のための
ソフトがここにあった。



他人の作ったものを使ってやるよりも、むしろ自分でわからなかった単語を
コツコツと積み上げていったほうが効率的に覚えられるだろう。

一回目は、他人の作ったカードデッキを使ってやっていたのだが、
知っている単語もあるし、どのような理由でこの単語が覚えられなかったんだっけ
という文脈がまったく思い出せないので、ぜったいに自分でコツコツと作るほうがおすすめする。


iphoneかアンドロイド必須のソフトだというのが、今の時代らしい。

2013年3月24日日曜日

生きるのに困難な人のタメに。。。




心の休ませ方 加藤諦三 著 読了

人生には頑張る時と休む時がある。あなたの今の疲れは長い人生で無駄ではない。
いまのいきることに疲れた状態は自分の人生に必要なトラブルだと思えばよい。
自分の生き方のどこにトラブルがあってどこに間違えがあったのかを考え、
トラブルから学ぶことである

生きることに疲れた。
一人でいることは楽しくないが皆でいるのも人前で自分を偽らなくてはならないから消耗する。
こういう人が生命力の低下した状態を生きるのに疲れたひとといえるのではないだろうか。

生きるのに疲れた暗い顔恨みがましい顔をしたひとは甘えの欲求をみたしていないひとである
甘えの欲求を持つひとは傷つきやすい

なぜかといえば、子ども時分に逆に親から甘えられ、親子の役割を逆転してき続けてきたからだという。

その憎しみの感情は、吐き出せずこころにたまっていく。そのあいだに敵意、憎しみ、恐怖、不安、などのマイナスの感情は根雪のようにをためてしまう。

このひとのアドバイスの根本は、この一言

「不幸な星に生まれた人は、生きているということだけで偉大である。」

心の病弱な子が社会でまともに生きているだけでとてつもないことをしている、偉大なことを成し遂げているのだと気がついて欲しい。死んで当たり前なのに生きているのである。

だから、うつ病になるようなひとは会社の仕事は少しサボっても心の葛藤を解決する方向を考えるべき

人生において最後に決めるのは、英語ができる、パソコンができるなどではなく、人間としての器量、優しさにある。
そういうひとにはこころの葛藤は少ない。

いまうつ病であるということは、そのように生きていた生き方を改めなくてはならない時期にきている。

うつ病になった時は、いままでの生き方をもう一度ゆっくり反省すべき時なのである。


生きることに疲れたひとは、周囲のひとから認めてもらいたいという欲求の強さで生き方を間違えてしまう。

ひとがマイナスの発想をするのは認めてもらいたいからである。幼児的願望からくる「愛情飢餓感」がマイナス発想の原点である。

うつ病傾向を周りに撒き散らすひとには周囲にひとは集まらない。
うつ病は愛情飢餓からきているので、
辛いわねーという同情と、それに耐えているあなたは偉いわねーという賞賛なのだ。

生きるのが苦しいを翻訳すると、もっと私を認めて欲しいということになる。

なぜこうなるのか、心の底から積もり積もった憎しみの感情、小さい頃から愛されることがなかった無念の気持ち

うつ病になるようなひとは、もともと生きていることだけで精一杯だったのに、そこに事件がおき、うつになってしまった。


うつは、愛情を欲しても求めることのできなかった憎しみの蓄積なので、
まず一緒に嘆いてあげ、相手の気持ちを汲み取ってあげることである。

ほんとうの心の底で求めているのは、「私の辛い気持ちをわかって!!!」


しかしそのままではうまく人生を生きていけない。なぜ生きることに疲れたのかを考え、そこに必ず原因を見つけることである。
振り返れば、自分が苦しい時になんの心の支えにならない夫や周囲の好意に執着している。そこに満たされない幼児的願望がある。

自分の不幸について周囲に責任をとってもらいたい
自分の不幸を宣言するひとは憎しみがあって周りを責めているのである。
その憎しみを晴らすために、自分は幸福にはなることはできない。
不幸とは「憎しみ」のこと
幼児的願望を満たすことのできなかった愛情飢餓感の強いきもち。
あたしは不幸だは、別名、愛してという心の叫び
幸せになるよりも憎しみの感情をどうにか晴らしたい。

まとめると、生きるのに疲れたうつのひとは、愛情飢餓感から、世の中への憎しみが溢れている。それが世の中への不幸だ!という気持ちでうつ状態に陥る。その原因は、子ども時代に満足に愛情を満たすことができなかったこと。ただ、そんなひとを軽蔑するのではなく、人生の出発点が違う分、生きているだけで大事業をしていることを忘れてはならない。


生きることに疲れたときは生き方を変える時

人生への憎しみを抑圧することに疲れたのだ。
憎しみ自体もうまく感情を吐き出すこともできず内的緊張をしいられてきた。

心に憎しみがあると他人に心が開けない。結局ほんとうの友達もできない。
他人に優しくできない。

ひとはひとを信じなければ幸せになれない。心の底に憎しみがあったならそれは無理だ。心が触れ合わなくては幸せにはなれない。真面目なだけでは幸せになれない。
うつ病になる人に今大切なのはら自分の考えを出すことだ。長いこと自分の考えや自分の感じ方、自分の印象などを表現してひとに好かれ様とする努力をしてこなかった。

自分を出してしまった方が愛される


こころにたまった恨みを吐き出せ

自分を抑えすぎるから生きるのに疲れる

人類を愛することは優しいが隣人を愛することは難しい

生きるのに疲れたうつ病患者は何よりいまじぶんの経験をひとひ話すことである。それを話せるひとを探すことである

生きるのに疲れたひとはとにかく休むのである
あなたが休むことで蔑視するひとがいれば、それはあなたが頑張っている時、あなたから搾取するひとである

人間関係の整理として、
自分を軽く扱うひととは付き合わない。誰が誠実で誰が不誠実かがわかる。
ひとは自分をバカにしたり軽く扱うひとを見返したいと思い、逆に執着することがある。
こういう人間関係は整理していかなくてはならない。
一人で生きていくと決めれば生きていける。

じぶんのこころに響く文学や音楽は定評のあるものを選ぶのではなく、じぶんのこころに響くかどうかで決めるべきである。

生きることに疲れたひとは、なにより自分を守らなくてはならない。
辛いおもいをして、迎合してもその人たちは苦しい時に誰も助けてくれない。

六章
生きるための決断をせよ

生きることに疲れることで考えが深くなる
あなたはひとに迎合して生きてきた、不誠実に生きてきた。結果として、生きるやに疲れた。

明日死ぬとしたらいま自分は何をする?
いま付き合っているひとと、どういう人間関係で終わるだろうか考えてみる。

自己執着が強すぎるから生きるのが辛くなるのだ。
自分は幼児的願望が強く心理的に三歳か四歳の子供にすぎないと認めなくてはならない。

そして、身の上話を聞いてくれるひとを探す。癒される相手を探す。
犬を飼うのも良い。林の中を歩くのも良い。

そして、満たされなかった過去に気持ちの欲求に支配されずに今を生きるようにしていく

いまに反応せよということである。

過去、失ったものを面々と追いかけるのは愚かである。

人間的成長を止めるのは憎しみである。

幼児期に愛情が満たされず、憎しみを持ってしまうと、生産的に生きる能力がちょっとやそっとではつかない。

過去を悔やんでいることで失敗の免罪を得られると思っている間違いをしているのだ。

ひとは残念ながら与えられたじぶんの運命を選択できない。与えられた運命で生きるしかない。

人生とはこういうものであったか、人間とはこういうものであったか、ならば私はいまからこういきよう!

それでもなお、幸せになるための決断をしていこう。
いま幸せな人は、過去の何処かで幸せになる決断をしている


七章
うつ病になるひとは、生きるのに疲れたひとはひとからなにかをしてもらうことばかりを考える。

その受け身の態度が物事を困難にしてしまうのだ。

受け身なのはそのひとの幼児的願望が満たされていないからだ
ひとにこうして欲しいという願望を捨てること、ただ捨てること、その時に幸運がくる

通常の場合、消極的見通しを立てることで事態はより悪くなる
職場をクビになるかもしれないと思うこと、怯えること自体が多大なストレスになる
消極的見通しの心理的影響は計り知れない。

八章
大人の幸せとは、こころのなかで自分がひろげていくもの

心理的に健康なひととうつ病になるひとでは生きることそのものの辛さが違うのだ。両者では生きていることの前提が違う。うつ病になる人は生きることそのものが辛く苦しい。
幼児的願望をみたそうとして褒められることをしようとして嫌いなことを頑張ったが幼児的願望がみたされるまえに消耗してしまったのである。

この機会に生き方を変えよう
頑張ることも人生だけど、休むこともまた生きることなのである。

努力と意志だけでは物事は解決しない。上手に生きる知恵が必要である、
そうすればじぶんには明るい素晴らしい人生が待っていると信じることである。

こころの歴史をかいて見る。鬱積した気持ちを吐き出して見るのだ。
生きるのに疲れたあなたは心の底にたまった無念の気持ちの凄さに気がついていない。心の底にたまった悔しさの量に気がついていない。生きるのに疲れたあなたは「憎しみ「や「敵意」があることを自覚することである。
私はあなたたちが嫌いだというじぶんの感情を認めることである。
あなたが思っている以上にはるかにあなたはひとを「恨んでいる」。それを我慢してきた。だから生きるのに疲れたのだ。
あなたはじぶんの目的のために頑張ったのではなく、人に気に入れられようと自分を欺いて頑張ったのである。それで生命力の強い人間になれというのは無理である。

最後に

あなたが相手がいう一言一言をあまりに深刻に捉えすぎたのではないだろうか、普通の人は適当に対処して適当に解釈する。生真面目さから真剣にかんがえすぎてしまっているのではないか。

生きるのに疲れたひとは生き方を間違った

長年真面目に頑張って生きてきて、なぜかどうすることもできずエネルギーを枯渇した人である。
幸せな人とは苦しむことが少ないわけではないが、しいていえば苦労が多い人である。
全体として言えるのは、苦労のない人生、問題のない人生というものは存在しないということである。

2013年3月20日水曜日

たった一人で組織を動かす新・プラットフォーム思考 読了


たった一人で組織を動かす新プラットフォーム思考 


プラットフォーム戦略とは、様々なグループが集まる、場や舞台を提供する。
そこに多くの人をや企業を集めその場を拡大させ、
一社だけで多くの人のニーズに対応して行くのではなく、
多くの企業とのアライランスによって場や舞台を拡大して行く方法である


確かにこれができたらよかった。
ここにあげられている
任天堂やソニープレイステーションは、すでにもっと巨大なプラットフォームであるGoogleやアップルにシェアを奪われ、課金ソーシャルゲームに人は流れ、据え置きゲーム機という市場自体がほぼなくなってしまった。

この巨大なプラットフォームにどう対応していくかはこの本では解明はされていかない。それは残念だし、四年前の古い本でもある。

ただ、プラットフォーマーの役割としては、
参加企業すべてにメリットを与えられるか、
グループ間の交流が活発か
プラットフォーム内のルールを作り悪貨が良貨を駆逐しないようにする
キラーコンテンツとなる存在をつくる、例えばマリオだったり検索エンジンだったり、iPhoneだったりそれがないところには人々は集まらない。

プラットフォーム自体はできる限りニッチな分野に絞ることを勧めている。例えば三十代女性に関係する美容や結婚の悩み、子育てなど。

ただ、絞るとプラットフォームは作りやすくなるが、やはりビジネス的な旨味はなくなってしまうのではないだろか?著者が作り上げたお財布ケータイのような大きいビジネスに結び付けられるのかが不明瞭だった。しかし大きいコンテンツを作る資本力もない以上、大きいプラットフォームに飲み込まれる前に、多数作り上げる機動力、数の勝負が大事なのかもしれない。 まったくのzeroの状態だったら小さくともプラットフォームはあったほうがいい。



どういう人間がプラットフォームビジネスに求めているのか?

「一人で一億のビジネスを作るのではなく十人で百億のビジネスを作りましょう」
と考えることのできる人

ひととひとのアライアンス提携をつくるのがこの人のストロングポイントでもある。

あとは、人間の育て方と人生訓が本の後半を占めてくる

若手の育て方とは、
若い人間を一人の人間として認め、リスペクトする
まずは会社のミッションビジョンを理解する
ランチで雑談して仲良くなる
相手にその人自身の強みを発見してもらう
失敗したら尻拭いは上司の責任
三ヶ月以内に成功体験を作らせる
苦手な部下、上司にこそ話しかける

おれはこれができなくて、部署から飛ばされたので言うはやすし、行うはがたし、
この辺は著者の方にメールして聞いてみたい。


ここからは仕事相手とのアライアンスについて

自分の主張より相手の主張
相手を出世させるように仕事する


まとめに、サラリーマン根性をすて、リスクを取り一つの行動に責任を持つこと、自分自身を知ること、グローバルの視点を持つこと


どんな戦略を考えるにしても最後に問われるのは人間力

あった瞬間にひとを引きつけ、好きになってしまう
常に相手の立場に立って考えられる
ひとのアドバイスを素直に受け入れられる
自分の間違いをすぐに認めて謝る事ができる
一緒にいるとやる気に溢れている
嘘をついたりしっとしたりしない
挨拶や返事など日常的なマナーを守っている


嘘をつかない
勇気を持つ
時間を守る
他人を褒め感謝する
嫉妬しない
きちんと謝る
素直な気持ちで物事に臨む
謙虚さを忘れないわからない事はわからないと正直にいう


こういう人間的な道徳をきちんと守れる人が人から信頼され大きな仕事をすることができるのだ。

あたりまえすぎる結論なだけあって、説得力の強力な結論だったりする。