敵に勝つではなく、己に勝つ。
自分の限界まで修行して、人間の発しうる最高度の生命の火華を咲かせてきた四人の剣人の話
日本男児の生き様、道を極めることが命よりも大事であり、その為に生死をかけた剣士たちがとてもかっこ良く描かれている。
柳生石舟斎宗厳
宮本武蔵を描いた吉川英治だからこそ、最高の柳生宗厳を描く。
柳生宗厳の無刀の極意。
無刀 剣は持てど剣に頼まず剣に妄執せず、無刀の心をもって体とする。
こんな剣士として相反する理と技を超えた心のあり方に達した生き様だった。
彼の一生と戦国末期の波乱時代を描いている。
剣豪でありつつも、柳生の庄の領主でもある人間
剣豪として名を上げ、その人格も尊敬の念で語られ続けるも、
領主としては何度も領土を失った人間として描かれる。
そんな彼が上泉伊勢守との仕合で領主としての立場を離れて勝負をする。
そして最後には、家康の元に柳生宗矩を推挙する。
そこに親の情と、戦国時代の領主としての成功を掛けてもいる。
そして柳生宗矩には、将軍家兵法指南として、
剣は、経世の剣、治世の剣という考えに至る。
軍事力そのものが、平和をもたらすという考えととても近い。
ちょうど1943年、日本が戦時まっただ中にあった時、この本はどういう受け入れ方をしたのだろうか。
林原甚助
最上家の出身として、父の敵討のために剣技の道を極める。
柳生宗厳のように師というものに巡りあうことはなかったが、
自然全てが師であると神社で参籠と精進を行い神のまえで100日間抜刀を続ける。
ただ、百日参籠ではなんら奇跡的なことは起こらなかった。
が、寝食を忘れ、限界までの努力で身体に染み込ませた抜刀術は、
父の仇を打つことを達成することができた。
高橋泥舟
幕末の槍術の達人
兄弟で槍術を争っていたが、優しくもあり、強くもあった兄 高橋静山が死ぬ。
そのため、悲嘆にくれていたなか、夢の中で兄と仕合をする。
そこで、兄に触れ、兄と戦うことで奥義を取得したという話。
上ふたつよりもだいぶ現実感が薄くなる。
ただ、幕末の山岡鉄舟など出てくる登場人物が自分たちと陸続きの人間であるため
現実感もあり、なんだか不思議な話だった。
小野忠明 将軍秀忠 柳生宗矩につづいて次席の兵法指南。
師を見つけ、それに仕え続けることがどれだけ得難いことかがテーマの話
房州に来た伊藤一刀斎と出会い、その剣に魅了され、彼に勝ちたいと思い、勝負を挑むが、何度も負ける。
そして、自分の心構えが間違っていたと気が付きその弟子となる。
兄弟子の善鬼との対比で、彼は伊藤一刀斎の免許皆伝を欲し、
小野は伊藤一刀斎の精神に仕えた。
師となるものは、すべてにおいて人格者であるはずもなく、吝嗇家でありつつも
諸侯に招かれても、大金や黄金を目にもくれず、気難しく、小言も多くて辟易ともする。
完璧ではない師匠でもある。
ただ、それでも一生懸命にお仕えすることで、小野忠明は自身の人生を切り拓き、
兄弟子、善鬼との皆伝を争っての死合に勝利する。
その後、徳川家に仕えるが、
その時に十数人に取り囲まれて殺されそうになった時、
大勢で取り囲まれながらも、8人を斬り殺して生還した時の話が出てくる。
この話を読んで、101経済のタイラー・コーエンのフェンシングの話を思い出した。
大人数の時は、フリーライダーの発生するという話。
http://econ101.jp/タイラー・コーエン-「日本のテレビ番組に見る『/
タイラー・コーエン 「日本のテレビ番組に見る『ただ乗り問題』 ~三銃士vs.50人の素人集団~」
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