金儲けは理屈ではなくて、実際である。
計画ではなくて、努力である。
予算でなくて、結果である。
その秘伝はとなると、
やっぱり根本的な心構えの問題となる。
金というのは重宝なものだ。
ところが、世の中には、往々間違った考えにとらわれて
この人生に最も大切なお金を
頭から否定してかかる手合いがある。
人生の最大幸福は職業の道楽化にある。
富も、名誉も、美衣美食も
職業道楽の愉快さには比すべくもない。
略歴は、
1868年埼玉県菖蒲町に生まれる。
11歳のとき、父を亡くし苦学して19歳に東京山林学校に入学。
25歳でドイツ留学し、帰国後東京帝国大学助教授に。
以後、日比谷公園の設計改良にあたり、秩父の山林で財を成すが、
60歳の停年後、財産を寄付。1952年に死去。
本多静六の財産の貯め方は単純だ。
月給の4分の1を貯金し、ボーナスなどの臨時収入は全て貯蓄に回す。
その間、生活レベルは一段下がり、吝嗇の陰口を叩かれても耐えぬく。
月末に子供が腹を空かせていても、感情に左右されず、貯蓄する理性をもって行動する。
なぜなら貧乏であることは、苦渋であり屈辱を味わうことが多い。
また精神の独立や生活の独立を果たすために貧乏であっては自立することすら覚束ない。
よって貧乏であることに安住せず、積極的に貧乏を討伐しなくてはならない。
人間、だれでも貧乏をするのだから、貧乏をするなら若い内にしてしまえ。
虚栄心が取り除かれていく。
倹約勤勉をモットーとし、毎日著述原稿1ページを仕上げることを自らに課す。
財産を作ること、それは一生耐えざる精進向上の気魄、努力奮闘の精神であって、
自らの生活習慣の中に十分染み込ませることにある。
貧乏であることを脱するために倹約をする。
それで幸福感を得られるのだろうか。
幸福感とは、現在の生活水準で決まるのではなく、自らの生活自体が上向きになっているのか
下向きつつあるのか、方向性によって決まる。倹約し、勤勉であることは方向を上向かせることに
なるので、より幸福になれる。
そして、生活をおくるには、理性をもって感情を制御することが求められる。
そして、その理性に他者への愛嬌という衣装を着せてやることで、他人との軋轢をさけることができる。なまじっか、理性だけで推し進めると喧嘩になる。人情をもって行動することが大事となる。
金は、大事だが、なにより大事なのか職業を道楽としてできるかどうかだ。
金自体は職業道楽の粕にすぎない。仕事を通じて、金という利益を得なくても、名誉を得ることもあり、社会的地位を得ることもある。利益というものは、金だけではなく複数の考えかたがある。
総合してプラスとなるかマイナスとなるかという風に考えよ。
職業の道楽化する唯一の方法とは、勉強をすること以外にない。
努力のうえに努力を積み重ねるしかない。
自分の仕事を天職を信じ、一心不乱に取り組み、迷わず疑わず努力をし続けることにより
早晩その仕事に面白みが生まれてくる。
面白みが生まれてくればそれは苦行ではなく、立派な道楽に変わってくる。
一生懸命やる。これが平々凡々の人間が唯一、自己を大成化させるための方法である。
「汝の上位は常に空席である」 本当に勉強し、本当に実力を養うものには必ず門戸は開かれている。努力の前に閉ざされる扉は存在しない。
自ら進んで卑屈に陥らないで、萎縮しないで、いつも「おれだって」という気概をもって努力を続けていきたい。
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